そう、それはあまりにも単純な事。
下っ端のわたしがモビーディック号を去る
そんなとても些細な事。


「船を降りる、だと?」


こくんと頷く。わたしの目の前にいる人物
はいつもの眠た気な目をしたまま、わたし
を真っ直ぐと見ている。その青い青い瞳が
わたしは好きだった。そう、好きだったの。

「オヤジには今日了承を得てきた」

「オヤジは、何も言わなかったのかい?」

「”キヨカの決めた事なら仕方ねぇ”って言
ってくれた。」

マルコの部屋。ここの居心地の良さがわた
しの体には既に染み付いていて、もうここ
に来れないのだと思うとすごく寂しかった
し、惜しい気もした。

「おれは、キヨカ無しでこれからどうすれ
ばいいんだい?」

そんな可愛い台詞を淡々とした口調で表情
一つ変えず言ってのけるマルコに、わたし
は苦笑した。

「別れて欲しいの」

首を傾げてそう言えば、マルコの表情が少
しは曇るんじゃないかって思った。思って
た。
けれどそれはわたしの傲慢な考えだったよ
うで、目の前にいるマルコはやっぱり表情
一つ変えなかった。ただデスクに頬杖を付
いて真っ直ぐにわたしを見つめてた。



”心臓の機能が低下している”

最近どうも動悸が激しくて戦闘中や睡眠中
時間帯に関係なく襲われる発作に困り果て
船医に診てもらった。
そしたらそんな事を言われた。

”不治の病だ。もう、治る見込みは無い”

らしい。直ぐに命の危険は無いらしいが、
こんな船の上での生活は寿命を縮めるだけ
なんだそうだ。命の為に、オヤジに話して
船を降りろと言われた。
別に長生きしたい訳でも無い。かと言って
死にたがりでも無い。そんな中途半端な気
持ちで、この天下の白ひげの船に乗ってい
る。そんな自分が情けなかった。ケジメを
つけたかった。

「さよならだね、マルコ。」

眉ひとつ動かさないマルコ。
わたしはこの船に乗った時から貴方の虜に
なった。青い翼を広げ、悠々と高く舞い上
がり華麗に戦う貴方。白ひげ海賊団一番隊
隊長として仲間達をしっかりとまとめ、オ
ヤジの右腕として働く貴方。
一世一代の愛の告白に緊張で卒倒しそうな
わたしを、その目尻の笑いジワをくっきり
と浮かばせながら抱き締めてくれた貴方。

その貴方との大切な思い出を、胸の奥の引
き出しにぎゅうぎゅうに詰め込んで、わた
しはこの船とマルコにさよならを言うわ。










春の終末


「おれもお前の決めた事に、口出しはしねぇ
よい」

「うん」

「相当な頑固者のお前が一度船を降りると
決めたんだ。今、おれがどう言った所で考
えが変わらねぇ事くらいおれが一番よく分
かってるつもりだよい」

「うん、」

そう、こういう物分かりが良くて冷静で、
しっかりしてる大人な考え方をしてくれる
所も、わたしという人間を理解してくれる
所も、好きだった。


「ただ心臓の病の件、それは秘密にしてる
つもりだったのかい?」


ハッとして、驚きで思わず俯いたままでい
た顔を上げるとやっぱりマルコは真っ直ぐ
とわたしを見据えていた。

心臓の件は船医にも”オヤジにだけはちゃん
と真実を伝える”という約束をした上でしっ
かりと口止めしていたし、オヤジは例えマ
ルコ相手であっても人の秘密を決して口外
しない人だと分かっている。
じわり、手のひらと背中に汗をかく。真っ
直ぐわたしを見つめるマルコの視線から逃
れるように、再びわたしは俯いた。

「船医にもオヤジにも聞いた訳じゃねぇが
お前の、キヨカの体調が優れねぇ事くらい
分かってたよい」

「戦闘中、息苦しそうに胸を押さえながら
闘うお前の頭上から、おれはお前に向かっ
ていこうとする敵と銃弾をいくつ跳ね返し
たと思ってんだい?」

「夜中、おれの腕の中で眠りながら左胸を
抑えてうずくまるお前の背中を一晩中さす
ってたのは誰だと思ってんだい?」

「…マ、ルっ」

「キヨカ、顔上げろよい」

わたしの目の前に伸びてきたその逞しい腕
の先にある大きな手のひらが、わたしの頬
を包み込み優しく上を向かせる。わたしの
目から流れ出る涙を親指で優しく撫ぜるマ
ルコの仕草が、やっぱり物凄くわたしは好
きだった。

「それだけおれはお前に、キヨカに心底惚
れちまってるんだよい。だからさよならだ
なんて、そんな事言ってくれるな。」

わたしのおでこに、マルコは自分のおでこ
を重ねながらそんな事を言った。
ああ、駄目だ。こんなことされたら、わた
しの決意はまるでオヤジの能力の様にグラ
グラに揺れて、すぐさま崩れ落ちててしま
う。

「船を降りて、海の見える静かな家で平和に
大人しく暮らせよい」

「…ぅん、」

「そしたらいつだって、不死鳥になって会
いに行く。キヨカが寂しい時はいつだって
飛んで行ってやるよい」

「……うんっ、」


そう言って目にうっすらと涙を浮かべ優し
く微笑みながら、マルコはわたしにそっと
口付けてくれる。
その口付けに応えながら、マルコとのこの
船上での青い春に終止符を打つ。
そしてこれからわたしは貴方の帰ってくる
拠り所になることを、そっと心の中で、し
っかりと誓った。



title 失青 20141229

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