痛みのない世の中にて



世界は俺にとって、いつだって不平等で残酷だった。

別に嘆いているわけじゃない。恨んでいるわけじゃない。

だって人間が生きていくためには、現状に満足するためには、平和に暮らすためには……

俺たちみたいな存在が、必要だったんだ。



※※※



「朱ちゃんってさ、挫折したりとか…傷付いたりしたことって、ある?」


人気の少ないラウンジ。そこで最近ハマッているのだというキャラメルフラペチーノをつついている朱ちゃんに問いかけると、彼女は少し考えるように視線を宙に逃がした。

適正テスト全項目でA判定を叩き出したという、圧倒的メンタル美人な新人ちゃん。

それこそ色んな意味で“ピカピカ”な彼女は、さ迷わせていた視線を再び俺に合わせると、困ったようにへにゃりと笑う。


「うーん…言うほどのことは無かったかも。もちろん、些細なことはあったけど。」
「そっか。んじゃあ、俺と一緒だね。」


言うと、どこか安心したように笑う彼女はどうやら俺の言葉を額面通りに受け取ったようだった。

今まで生きてきて、挫折らしい挫折をしたことも無ければ立ち直れないような傷を負ったこともない。

極めて波の少ない日々を送ってきた点で俺たちは共通しているのに、実際はまるで違う。

俺の皮肉に気付かずに笑ってみせる辺り、朱ちゃんにとっての世界はきっと優しいものなんだろう。

システムに祝福された彼女と、システムによって切り捨てられた俺。

だけど今は、悪くないと思ってる。

俺をゴミ箱へ放り投げたそれらが、今の彼女を造りあげたんだとしたら。それが今の彼女の笑顔に繋がっているんだとしたら…

例えば、淘汰される人間を作ることによって秩序を守るような、そんな時代錯誤のシステムに俺の人生の全ての可能性を初めから奪われたって。

彼女にとって優しい世界ならそれも悪くないって、そう思えたんだ。



※※※



「常守監視官、戻るぞ。」
「…はい。」


声をかけられ、車に乗り込む。春先の風は夜になるとまだまだ冷たくて、車内の空気に触れてようやく自分の身体が冷えていることに気がついた。


「ボーッとするな。もう新人じゃないんだ。」
「分かってますよ。」
「そうは見えないが。」
「分かってます。…もう、あの頃とは違いますから。」


強い口調でそう言うと、運転席の宜野座さんは少しだけバツが悪そうに口を閉じる。

別に怒ったわけでは無かったし、お父さんを亡くした彼の方がよっぽど変化を強いられたはずなのに。

意外と配慮深い上司の横顔に思わず笑うと、宜野座さんは不満そうに私を睨んだ。


「…もうすぐ、縢くん達の命日ですね。」
「ああ…そうだな。」
「私、縢くんにはキャラメルフラペチーノを買って行きます。私が飲んでるといつも、“ひと口ちょーだい!”って言ってたから。」
「…それは別にキャラメル何とかが好きなわけじゃなくて…」
「はい?」
「ああ…いや、何でもない」


思い直したように視線を前へと向け直した宜野座さんにもう一度笑いかけてから、流れていく景色に目を向ける。

挫折を味わう必要のない平穏な世界の、その闇に気付けなかったあの頃の私と、道行く人たち。

何も遺らなくとも、確かにこの街で生きていた彼が最期に何を思ったのか、それはもう分からないけれど。

残酷で無慈悲だったはずの世界を、それでも守ろうとしてくれた彼のためにも、私たちは歩み続けなければならなかった。



痛みのない世の中にて




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