愛ばかりの世界でした



何度も何度も嫌な夢を見ては飛び起きて目が覚める。
それが嫌で眠らなければ幻覚を見る。
繰り返される現実と夢の狭間で、狡噛はたしかに疲弊していくのを自分でも感じていた。


三年前からの未解決事件が動いたのは可愛らしい新米の監視官が入ってきてからだった。今思えば彼女は自分のラッキーアイテムのようなものだったのかもしれない。

金原の事件。あの時から槙島の影が現れるようになり、狡噛は無我夢中で追いかけた。追いかけることができた。
それはきっと、監視官が宜野座だけだったのならできなかったことだ。彼は狡噛の黒幕説を真っ向から否定し、信じなかった。実際信じる方がおかしかった。

しかし彼女は信じた。狡噛の刑事の勘を。まだ見えぬ敵の存在を。狡噛を自由に動かすために宜野座と幾度となく衝突し、その身に罪悪感や迷いを抱いても、狡噛を信じたことを後悔はしなかった。


「狡噛さん」
「狡噛さん、大丈夫ですよ」
「誰もあなたを責めたりしません」
「あなたを、疑ったりしませんから」


優しい母のように狡噛のそばにいてくれた。
潜在犯となり、いつだって蔑まれるような目でみられ、意見など届くことすらなかった執行官のことを気にかけて。

最初は気が合わなかった縢と打ち解けて、六合塚や唐之杜に可愛がられ、征陸に懐き、宜野座と喧嘩しながら肩を並べ。
まだ配属一年も経っていないというのにそこらの監視官では到底できない判断を用意に下すことができる。といってもそこには人一倍の葛藤があり、考えがあり、想いがある。だからこそ自分は、自分達は彼女を好ましく思った。


「ねえ狡噛さん。私あなたのこと好きです」


先に告白したのはどちらだったか。どちらであれ狡噛は朱を愛し、朱は狡噛を愛した。けれど狡噛は全てを擲った今だからこそ考えることがある。果たして自分は彼女にどれだけの愛を返してあげられたのだろうかと。もらうばかりが常で、返したくても到底彼女からもらったものに比べればちんけな物に見えて仕方なかった。
それだけが今になって後悔として押し寄せる。ここに来るまでそんなこと思い出しすらしなかったのに、一度思い出してしまったものは止まらない。まるで走馬灯のようだ。

走馬灯。

そう、走馬灯だ。

征陸と初めてあったのは入局してすぐだった。渋い考えと面白い話につられてよく酒を飲んだことがある。
まだ監視官だったから仕方なしに飲み屋につれていったこともあった。そこで宜野座のことを知った。

佐々山にあったのは唐之杜と同時だった。いきなりセクハラ現場に鉢合わせたものだからつい思いっきり殴ってしまった。唐之杜がそのまま倒れ込んだ佐々山の股間をピンヒールで思いっきり踏んでいたのでそれ以上は止めたが。

宜野座とは同期だったこともあり、たいして衝突もしなかった。もともと狡噛が自分よりも秀才だと理解していたためでもあったが、それでもよき友として働いていた。それでもやはり宜野座の潜在犯嫌いは変わらなくてよく仲裁に入っていたのを覚えている。

六合塚とあったのは施設の中だった。彼女は復帰を夢見ていて頑なに執行官へはなりたがらなかったがそれでも覚悟を決めた。あのときのことを彼女は恨んでいるだろうか。わざわざ嘘までついて、彼女に引き金を引けるかどうかを試させた。そういえばだが、謝っていなかったな。

縢とあったのは執行官に降格してから。縢はかなり素行が悪く施設ではかなりの問題児だった。そのとき思ったのが宜野座を一人にしてしまったことだ。彼だけでは大変だろうに。まあ結果的に狡噛に負けた縢は見事一係に打ち解けて大人しくはなったが。

そして朱。
彼女にであったのは雨の中。所見での印象は子犬だった。迷い込んだ子犬。捜査中だというのにおろおろしていて、見た感じ監視官には向いていなかった。

だからこそ狡噛は監視官である術としてドミネーターを使えと言った。もし執行官の行動に不満があるのならば、それを止めようと思うならば、その銃で撃て、と。狡噛が去る直前に背後で騒ぐ声があったから恐らくはそんなことできないとでも叫んでいたのだろう。そんな姿が、以前の自分とダブる。佐々山に撃てと言われてできるわけがないと答えた自分に。彼女も同じなのだろうと考えた。今までの監視官と、今までの自分と。

だがそれが誤認だったと狡噛はすぐに知ることになる。彼女は撃った。迷うことなく、被害者を殺そうとした狡噛を。全身全霊で狡噛を止めて見せた。
あのときのことを狡噛は忘れないだろう。痛みと驚愕に顔を歪めながら朱を見た。朱自身ショックを受けながらもその瞳に後悔はなかった。

狡噛と共に行動するたびに彼女は逞しくなっていく。狡噛になれなかった刑事になれる片鱗をいつも微かに見せていた。
誰にも信じてもらえなかった狂犬の言葉を理解し、信じ、いつのまにか手懐けてしまった。狂犬はいつのまにか飼い犬、それも番犬になっていた。

けれど狡噛には、忠犬になることはできなかった。

刑事にもなれず、聞き分けのよい忠犬にもなれず。
やはり狂犬として野良に戻ることを選んだ。


たくさんの愛を受けてきた。


宜野座だって執行官落ちした自分を局長に直訴してまで一係に配属させたのを知っている。

征陸にはまるで息子のように見守ってもらった。今回の手助けだってそうだ。

唐之杜にはヘルメットを、バレたら殺されるかもしれないことを平気で承諾してもらった。

六合塚には彼女なりになにも手出し口出ししないのが助けになると、見ないふりをしてもらった。

縢。彼にはいつも友達としての友情を与えられていた。兄としても慕われ、くすぐったかった。

佐々山はクソ野郎だったが猟犬としての考え方を教わった。状況判断力だって彼のおかげのようなものだった。


そして……


“あなたが好きです”
“誰よりも、何よりも。あなただけを”
“愛しています”


「俺だって、愛してるさ」


もう直接伝えることはできないけれど。それでもどうか届いてほしいと願う。

たくさんの愛情を受けて自分は生きてきた。生きてこれた。どれか一つでも欠けていたら間違いなく今の自分は成り立たなかった。
だからこそどうか、この想いが愛しき仲間へ。
愛しき彼女のもとへ届いてくれればいい。


「俺を裁けるのはきっと、アンタだけだから」


音声データを小さな袋へ。ジッパーをきちんと閉めて、被害者の喉へ隠す。

いっそ、寂しさも愛おしさもここへ置いていこうか。これからは命を懸けた戦いになるから。
けれどそんな考えは首を振って振り払う。これは忘れていいことではない。何より忘れたくない。たくさんの愛を受けてきたこと、それを最後の最期まで、この胸に刻み込んで。


「…………サンキュ、朱」


こんな俺を愛してくれて。
こんな俺に希望をくれて。

こんな俺を、暗闇から救い出してくれて。


狡噛はリュックを背負って歩き出した。この辺りは森だからかなり暗い。けれど休んでいる暇はなかったからすぐにバイクにまたがって研究所を目指す。
槙島が次に狙う場所。そこが、最終決戦。





この時狡噛は何も知らなかった。
まだ自分は愛され続けているのだと。
朱がシビュラの全てを知って、その上でその罪を背負ってまで狡噛を助けようとしていたことも。

朱とシビュラの間で交わされた、取引のことも。



愛ばかりの世界でした
まだ終わらせない。
貴方を失うわけにはいかないから。

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