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▽ アネモネは見ていた(祈梓)


※公式SS『苛立ちの理由を』と少しリンクしています。



「梓兄さん、ねえ…前に僕が言ったこと、覚えてる?」
「…ごめん。どんな話をしたっけ?」

騒がしい兄弟達が各部屋に引き上げ、さっきまでとは打って変わって静寂に満ちた深夜のリビング。
台本を読むために残っていた梓は、足音もほとんどなくやって来て窓際にそっと花瓶を置いた祈織にふと目をやった。

目が合うと祈織は僅かに微笑み、梓の方へやって来てすぐ隣に腰掛ける。
椿以外はあまり座ることのないその少し近すぎる距離に梓は戸惑うも、祈織は気にせず話を続けた。

「僕の学校帰りに、交差点で梓兄さんとぶつかりそうになった時の…」
「…ああ、あの時の?」

二人は以前、駅前の交差点で青点滅で立ち止まった徒歩の梓に、自転車で来た祈織が危うくぶつかりそうになったというニアミスがあった。

「あの後、歩いて一緒に帰ったよね」
「そうだね」
「その時に僕が言った事、覚えてない?」

あの時は確か…祈織が京兄に頼まれて妹に勉強を教えることになったという話と、妹に対する感情が最近変わって来たけどこの気持ちは一体何なんだ的な話しをしたような…
梓は顎に手を置き、しばしう〜んと考え込む。
その様子を見て、祈織はふふふと口元を僅かに上げた。

「僕さ、ようやくあの時の気持ちがわかったんだ」
「…へぇ」

(それを何故わざわざ僕に…?)

あの時の祈織は『徐々に変化する妹へ抱く気持ちが、自分の中で一体何を意味するのか分からない』と言っていた。
傍から見たらそれはどう考えても“恋心”でしかない。
しかし祈織はそれを頑なに認めなかった。

それどころか、自分と梓は兄弟の中で一番性格が似てると言い出し、だから梓が今妹に感じてる気持ちがそのまま僕の気持ちだ。だからどう思ってるのか教えて欲しい…と梓をいきなり問いただしたのだった。

恋心が生み出した単なる“嫉妬”――
梓はそう判断し「僕は君と似てるとは思わないし、もし似ていたとしても心の中の感情は一人一人違う。その人の気持ちはその人だけのものだ。別々の人間の心の中が全く同じであるはずがない」と祈織を軽く突っぱねた。

その場はそれで祈織も渋々納得し、この話はもう終わった筈だったが…

梓は再び蒸し返された面倒くさそうな話に少し眉を顰めるも、普段あまり家族に歩み寄らない弟がせっかく自分を頼ってきたのだからと、そのまま祈織の話の続きを黙って聞いていた。

「僕は、嫉妬してたんだ…」

(やっぱりね…)

梓は心の中で小さく溜息を吐く。
“あのこと”がありそれ以来自分の殻に閉じこもっていた弟が、少しづつ外の世界を見てその世界の者に興味を示す。いいことじゃないか。
そう心の中で安堵すると、次に祈織の口から思いも寄らぬ言葉が飛び出した。

「最近ようやく気付いたんだ。あの時知りたかったのは…僕の心の中じゃない」
「え…?」

いきなり話がまた見えなくなった。

「…じゃあ、何が知りたかったの?」

他の兄弟達と同じ様に祈織も妹に好意を持ち、梓もライバルなのではないかと疑って探りを入れてきたのでは?…と梓は首を傾げる。

「ねぇ、僕の気持ちならその時にも言ったけど、祈織とは違うよ。彼女のことは――」

宥めるように努めて静かに祈織にそう語りかけると、話の途中で梓の視界がふわりと変わった。


「……え?」


背中に柔らかな感触、真上には今話をしていた弟と天井。
祈織に押し倒されていると気付いた時には、目の前にその端正な顔が近づいていた。

唇に温かな何かが触れる。
軽く触れては離れ、離れては触れるを繰り返すだけの少しくすぐったい口付け。

しかしそれを幾度も繰り返すうちに徐々にお互いの吐息は熱くなり、酸素を求めて梓が無意識に開いた僅かな口の隙間から祈織の舌がヌルリと入り込んだ。

「んんっ…」

突然の進入に慌てて逃げようと梓は舌を奥に引っ込める。
しかし、祈織はそれをどこまでも追い回し器用に絡め取ると、表面をザラリと撫で回した。

「んぁ…っ」

その刺激に梓の躰がぶるりと震えた。
何とか逃れようと梓は顔を左右に振ってみるが、その後頭部を祈織は片手でガッチリと固定し、突っぱねてくる梓の手もソファーに強く縫い付けた。
そして、さらに執拗に舌で梓の口腔を掻き回す。

「ふぁっ…、んっ…やぁ…っ、い…おり、やめっ…」

あまりに荒く深い口付けに、梓の瞳から涙がポロリと零れる。
その涙を見て、祈織は満足げに唇を離した。

ハアハアハア…としばらく乱れた息を整える梓の呼吸音だけが、広いリビングに響いた。
ようやく呼吸が少し落ち着くと梓は袖で唇を拭い、敵意とも取れる鋭い目つきで祈織を見上げる。
しかし祈織はその敵意などまったく気にもせず、冷たい微笑で梓を見下ろしていた。

そして、その視線のまま口元をさらに上げる。


「やっぱり…僕の答えは間違ってなかった」
「…何の答えなの?」

梓は怒りを含んだいつもよりも低い音色で、祈織に聞き返した。
兄をいきなり押し倒し、無理やり口付けをすることが一体何の答え?
眉を顰め祈織をしばし黙って睨んでいると、いきなり腕を引っ張られ、今度は力強く抱きしめられた。

「ちょっと! 祈織!」

その腕を引き剥がそうと慌てて両手で押し返すが、祈織の力は予想以上に強い。
梓を抱きしめる両腕も頬に感じる胸板も、いつのまにか祈織の方が大きくなっていた。

「ずっと思ってたんだ…椿兄さんが梓兄さんを抱きしめるのを見る度に、梓兄さんはどんな感触がするんだろう…って」
「……」
「母さんの再婚であの子がうちに来て、みんな浮き足立ったよね。それこそ、今まで梓兄さん一筋だった椿兄さんも…」
「っ…!」

祈織の言葉に梓はビクリと体を震わす。
そのことは梓もとっくに気づいていた。
今までずっと妹萌えを豪語してきた椿にとって、いきなり現れた三次元の妹は願ってもいなかったことで。
それで椿への興味がその妹へ移ったとしても、それは仕方のないことなんだと半ば諦めていた。

「不思議だったよ。あれだけずっと梓兄さんにべったりだった椿兄さんを引き付ける何が彼女にあるのかって」
「……」
「僕はそれが彼女への興味なのか、それとも別の感情が起因しているのか知りたかった、ずっと」

ようやく力が少し緩んだ祈織の腕の中から、梓は祈織を見上げる。

「…で、僕にキスする事でその答えが出たの?」

少し皮肉げな言い回しでそう聴くと、背中に回されていた祈織の片手が梓の頬にそっと触れた。


「出た。僕は…梓兄さんが、好きだ」
「え…?」


梓は驚いて目を見開き祈織を見る。

「だから、知りたかった。梓兄さんが彼女をどう思ってるのか」

その目はいつもの覇気のない冷めた瞳とは違う。
熱情に揺れる瞳。
この瞳をよく知っている。


だって、同じ目で自分は椿を見ているから――


「梓兄さんも椿兄さんと同じ様に彼女を恋愛対象として見てるのか、それとも…」

梓の頬に添えられている祈織の手に熱が篭る。

「椿兄さんの心を奪った、恋敵として見てるのかーー」

その熱が徐々に頬に伝わる。
梓は祈織の手に自分の手をそっと重ねると、真っ直ぐに瞳を覗き込んだ。

「…で、どっちか分かったの?」

祈織は重ねられた手を反転させて梓の手と指を絡ませる。
そして、梓の手の甲にチュッと口付けを落とすと、そのまま視線だけ梓に向けた。

「ねぇ…“梓も彼女も両方俺のもの!”…なんて甘いと思わない?」

それは妹が来てから椿がよく口にする言葉だ。
前は『梓は俺のもの!』だったのに…
やりきれない思いがどんどん込み上がり、梓は俯き唇を噛む。

「現にこうして梓兄さんはほっとかれてるじゃない」
「べ、別にほっとかれて…なん、か…」

言葉の途中で急に涙が一筋流れた。
そんなことはとうに分かっていた。でも心のどこかで認めたくなかった。


妹が来てから、ずっと苦しかったーー


祈織は堰を切ったかのようにポロポロと零れ落ちる梓の涙をそっと舌で拭い、再び腕の中に閉じ込める。

「梓兄さん、僕は兄さんを僕のものにしたいなんて思ってないよ」
「……」

「ただ…」
「…ただ?」

そこで一瞬空気が止まる。ピンと張り詰めた空間の中でゆるりと影が動く。
そして、梓の目じりに祈織の唇が優しく触れた。


「こうして涙を拭くくらいは、許してほしい」

「…祈織……」


梓を見つめるその瞳はとても優しく、そしてひどく切ない。
その瞳の中に同じ哀しみの色を持つ自分が映っていた。


「僕を、受け入れて…」


再びソファーに梓の躰が沈む。
覆いかぶさった祈織の髪がふわりと揺れた。

柔らかなその髪の向こうには、先ほど祈織が活けたアネモネが月明かりに照らされ輝きを放っていた。


<終>


アネモネの花言葉【恋の苦しみ】


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