手の中の奥村燐の身代わりには、何の変化もない。私はそれが嬉しくて、木片をぎゅっと握り締める。
大丈夫だろうという考えは正しかった。彼は呪に捕まらないし、悪魔にちょっかいを出されることもない。
私は何の憂いもなく、燐と友人としてやっていけるのだ。


人間回避の仕方


「葵先輩、こっちこっち」
燐は、一人座る席で私を呼んでいる。それに手を振って答えると、彼も手を振り返してくれた。
憧れていたその光景に心の中で感動しながら、燐の向かい側へと座る。話すポジションならここが一番いいだろう。
「遅れてごめんね。直前の授業が移動教室でさ」
「教室から遠いところだとめんどくせーよな」
話しながらお弁当を広げていく。
「わ、燐のは今日もおいしそうだねぇ」
「そ、そうか?」
燐は褒めると、素直に照れてくれる。育ちが真っ直ぐというか捻くれていない。私とは大違いである。
そんな様子をニコニコしながら眺めていると、ふと視線を感じた。見られている。確実に。
視線の元はなんだと辺りを見渡せば、先は簡単に見つかった。どうやら隠れて見ていたわけではないようだ。
眼鏡をかけた穏やかそうな男子。奥村雪男、燐の弟だ。
弟のこともそれなりに知っている。というか、調べなくとも周りの女の子たちが勝手に話して情報をくれた。
今年の新入生代表は格好良かったやら、すごく優しいやら。話題は尽きない。
目が合うと奥村雪男は人当たりの良さそうな笑顔を浮かべる。……確かにこれは落ちる。好青年だ。
けれど私は表情を変えないまま、燐へと向き直った。人間とは必要最低限関わらない。それが例え燐の弟であっても、彼が人ならば関わらない対象だ。
特に燐の弟と関わって、万が一何かしら起きてしまったら、きっと許してもらえない。
兄弟に被害を受けさせるというのも立派な原因にはなるだろうが、危険だと知っていて燐自身に近づいた私を、燐は嫌だと思うに決まっている。
……なっていないことを考えるのはやめよう。ネガティブは良くない。折角燐といるのに、暗いことを考えるのは勿体ないじゃないか。
「葵先輩も、どんどん腕上げてんじゃん」
一通り照れた燐は、こちらのお弁当を覗き込んでそう評価してくれた。その言葉が嬉しくて、私も照れてみる。
「そう?最初の方よりはまともにできてるんだ」
この正十字学園では珍しいであろう手作りのお弁当。
私も初めは食券を買って食べていたのだが、燐に突撃するためにやめた。同じ状況下なら話しやすくなるだろうし、元々高いとは思っていたのだ。
でも初めての手作り弁当なんてそう簡単にうまく行くはずもなく。おかず交換した際の燐の表情が「微妙!つかマズイ!」と物語っていたことは一生忘れられない。
「この玉子焼きとか」
「それはね、燐から教えてもらったやつだよ。味が私の好みだったから、即作れるようにしたの」
「俺たち結構好み似てるよな」
「ねー」
二人で話しながらお昼を食べる。
けれどすぐに、燐に影が出来た。
「兄さん、隣りいい?」
奥村雪男だ。先程まで別の場所で食べていたのに、いつの間に移動したのか燐の横で椅子を引いている。
「お、おう、珍しいな」
うろたえる燐を気にしつつ、奥村雪男がいた場所を見てみる。原因はそこにあった。
女子の集団様がこちらを羨ましそうに眺めている。どうやら弟は逃げてきたらしかった。燐は彼女たちに怖い人と認識されているようだから、来たくても来られないのだろう。
しかし、面倒なことになった。
「先輩、こいつ俺の弟。雪男っていうんだ」
「初めまして、奥村雪男です。兄さんがいつもお世話になってるみたいで」
こうやって燐に紹介されては、どうにもならない。今度は無視するわけにもいかないし、でも、関わるわけにもいかなかった。
最低限の会話でどこまでかわせるだろうか。
「いえ、むしろ私がお世話になってるますから」
主に料理で。
「先輩、ですよね?」
「えぇ、年上ですね」
私がほとんど会話をする気がないのを悟ったらしい。奥村雪男はほんの少し目を細めて、私を観察するように見る。この弟くんは、私が考えていたよりもお兄さん思いのようだ。
見知らぬ、あまり自分を語らない人間が側にいるのは心配なのだろう。とくに燐は事情持ちだから。
「名前を、教えていただいても?」
「……」
だが、ここまで拒否しているのに踏み込んでくるのはいただけない。弟くんが変なものに魅入られたら、私が困るんですが。
答える気はなかった、のだが。
「桐野葵だよ。先輩、雪男は時々すげー怖いけど、嫌なやつじゃねーから大丈夫だって」
燐が代わりに答えてしまった。
「燐……」
思わず頭を押さえる。するとその名を聞いた奥村雪男が、予想外の反応をした。
「桐野って、まさか……」
その反応の仕方は知っている。寺や教会の人間が、私の家の役割を知ったときにするのに似ていた。
こいつは、私の事情を知っているのかもしれない。
そう考えたら、もうこの場にいるのが怖くなる。身体の中に鉛を入れられたみたいに重くなって、じわりと汗が滲んだ。
「葵先輩?」
「ごめん、燐。ちょっと用事思い出したから、今日はこれで」
勢い良く昼の用意を片付け始めた私に燐は驚いていたが、私はそれどころじゃなかった。
早く奥村雪男の前から立ち去りたい。それだけだ。
――でも、これで燐とは話せなくなるかもしれない。兄さん思いの弟は、きっと桐野家のことを語るだろう。
そうなれば、待っているのは、また一人。
「葵先輩!」
燐の言葉に、私は振り向けなかった。



fin...

後ろめたいから余計に逃げたくなる。
20110514
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