「お兄さん!ちょっと、」

私は声を掛けても気が付かない男の人を追っていた。理由は簡単だ。私の目の前で、それなりに中身の入っていそうなお財布を落としていったのである。見なかった振りもできたのだろうけれど、そこは後で自分が許せなくなりそうだからやめた。ウジウジ考えるより、やってしまったほうが後悔しない。そう思う。

「もう、そこのとんがり頭のお兄さん!」

そこで男の人はようやく止まって、きょろきょろと辺りを見渡し始めた。これはチャンスだと駆け寄る。

「お、追いついた……」

だがその男の人は私の声に足を止めたわけではないようだ。彼は真剣に地図を見ている。……向き逆なんですけど。

「……あの、」

恐る恐る声を掛けると、ようやくこちらを向いた。
夏だというのに長袖を着込んでいる彼は、あまり健康的な印象は抱けない。だって目の下に隈がある。ただの寝不足か、本当に具合が悪いのか。
まあ、落し物を届けるだけの私には関係のない話だ。

「ハイ、何ですか?」

「これ、お財布落としましたよ」

そっと手を出せば、男の人は数秒財布を見つめた後に首を傾げた。

「それはボクのですか?」

「……そうです。さっきあそこの屋台で買い物したあと、ポケットから」

随分のんびりした人だ。悪い人に拾われたら、絶対に持っていかれてしまうだろう。

「わざわざありがとうございます。ボクはアマイモンです」

「私は葵ですって、いや、」

釣られてうっかり自己紹介してしまった。思わず口を押さえると、アマイモンと名乗った人は私をじっと見つめているようだった。

「葵、」

「あ、はい、」

初対面でのまさかの呼び捨て。名前といい気安さといい、外国の人だろうか。日本語を話してくれるのはありがたい。

「お願いがあります」

「え、いや、私はこれを届けに来ただけで……」

「このお店はどこに行けばいいんですか」

お願いとやらを断ろうとした私の前に出されたのは、地図だった。どうやら道が分からないらしい。

「日本を勉強するのに食べ物の店を回っていたのですが、分からなくなりました」

「はあ……」

「見たところ葵はここに住んでいるようなので、教えてください」

確かに私はこの地域に住んでいた。でも知らない外人さんを案内する義理はない。
でもこうやって頼まれてしまったら断りにくい。ノーと言えない日本人気質を知った上でこう言っているのだとしたら、なかなかの強者だ。

「アマイモンさんは、観光か何かでこちらに?」

「はい。兄上が日本は素晴らしいところだと言っていたので、色んなところを回っています」

考える。ここで断るのは簡単だ。でも断って、それから私はアマイモンさんのことを考えないと言い切れるだろうか。言いきれない。絶対に気になる。

「……分かりました。案内します。ついでに地図の読み方も教えますから、後は自分で行ってくださいね」

勉強というからには、行く場所が一箇所ということはないだろう。なら地図で道順を教えて、そうして別れればいい。私も心残りがなくなるし、アマイモンさんだって観光がしやすくなるに違いない。





「……なのにどうしてこうなった!!」

もう私は頭を抱えるしかなかった。予測不能な出来事に、頭の中は爆発寸前である。
その原因の一つであるはずのアマイモンは、私の隣に座って大きなテレビでゲームを楽しんでいた。

「物質界には不思議が七つあるから、きっとそのうちの一つです」

「それは学校の七不思議!というか、あ、あっしゃー?」


案内をしているうちに、妙に打ち解けてしまったのが悪かったと思う。
それなりに(微妙にかみ合わない)話が弾んで、今日行きたかったらしい場所をおおよそ巡って、じゃあさようならというところで次の日の約束を取り付けられた。私もそれなりに楽しんだから軽い気持ちでOKして、何日か掛けて隣の町まで制覇したのだ。店を制覇したアマイモンとはもうこれでお別れだと感じていたし、だから最後に連絡先だけでも聞こうとは思っていた。
だがまさかそこで、人生での選択肢を間違えたんじゃないかと思うようなことが起こるとは予想しなかった。

「そういえば、アマイモンはどこに泊まってたの?」

「ここです」

すぐ近くの扉の鍵穴に無造作に入れられた鍵。どう考えてもそこは飲食店の裏口なのに、繋がったのは別の空間だった。
驚くとかそう言う問題ではない。有り得ないことなのに、確かに目の前で起こっているのだから。
しかもその中に連れ込まれてしまったのだから笑えない。けれどアマイモンは私を隣りに座らせて、ゲームを始めてしまった。そして先ほどの会話。

「葵もやってみますか?」

「私結構こういうゲーム得意だよー」

順応している私も、こんな状況に陥った原因かもしれない。

「イイですね。負けませんよ」

「じゃあ私が勝ったら、アマイモンの携帯電話の番号教えてね」

「……賭けですか?」

「そうそう。なんかあった方が燃えるでしょ!」

「ならボクは……そうだな、後で考えます」



夏色



ゲームをした後に、葵はボクに寄りかかって寝てしまった。連日の店周りで少し疲れたと言っていたから、それが原因かもしれない。人間の身体はもろくて弱いと思う。

「ゲームはボクの勝ちです」

寝ている葵の頬を軽く突いてそう言ってみる。彼女は起きる気配はなかったが、くすぐったかったのか小さく身動ぎした。
葵と遊ぶのは楽しかった。だからこうやってここに連れて来たし、これからも遊べたら楽しいと思う。でも、葵は人間だ。
もしボクが悪魔だと知ったらどういう反応をするだろう。やっぱり今までの人間のように、怖がったり排除したりしようとしたりするのだろうか。

「それは、嫌だな……」

どちらにしたって、そうなればもう遊べないのだ。おいしいものを教えてもらうことも出来ないし、二人で道に迷うことも、食べ歩きだって出来なくなる。
そう考えると何だかイライラしてきて、手の中にあったコントローラーを齧ってみた。下手に動くと葵が起きてしまいそうだから、暴れたりはしない。
こんな風に考えるのは初めてで戸惑う。人間の反応がこんなにも気になるなんて。兄上ならこの解決方法を知っているだろうか。物質界に居るのが長い彼に聞いてみよう。
遠くで、雷が鳴っている。

「ああ、そうだ。いいことを考えた」

ふと、さっきの賭けを思い出す。葵には一つ、願い事を聞いてもらおう。きっと彼女は、笑いながら了承してくれる。


「ずっとボクと遊んでくださいね」


例えばこの先、ボクが悪魔であると知ったとしても。




fin...


「アマイモン、これは何だ」
「ボクの……友人?」
「……そうか(何だ今の間は)」地の王に気に入られた人間。
20110714
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