「葵さん今は、」
雪男が首を振って私を止めた。周りの知っている人たちも、自然と進む道を塞ぐように立っている。
「どうして、奥村燐がいるんでしょう?」
この先にと、遠いせいで小さな人を示せばそれすらも身体で隠されてしまった。恨めしげに睨めば苦笑される。
「フェレス卿に、あなただけは通してはならないと」
その雪男の言葉に、自分の考えていたことが正しかったことを知る。彼らは燐を処分するつもりなのだ。
藤本先生が死んだことを聞いて感じた嫌な予感は、きっとこれ。
「!どうして、双子なんじゃなかったの!?」
血を分けた唯一の兄弟ではないのかと雪男を問い詰めても、彼は道を開けようとしてはくれなかった。焦りからか、頭に血が上る。私は何があっても、奥村燐を死なせてはならないのだ。
「お兄さんなんでしょう!?」
初めて、人の胸倉を掴むということをやってのけた。普段好戦的ではない私には有り得ないこと。それでも雪男は動かない。
それどころか逆に、掴んだ手を取られた。青い瞳がこちらを見る。
「それでも、サタンの子には変わりない」
「な、」
「僕には葵さんの方が不思議です。兄さんには会ったことないでしょう。神父(とう)さんだって会わせなかったはずだ」
品定めみたいに、雪男の目が細められた。
「どうして、兄さんを庇うんですか?」
その言葉に、一瞬息を忘れた。この少年は、これを本気で言っているのだろうか。同じ兄弟なのに。家族なのに。一緒に育ってきていたはずなのに。
口から冷水を入れられたみたいに、身体の中が冷たくなる。感情のままに手を振り上げた。
「っ、」
雨のせいで頬を叩いた音はそう響かない。利き腕でない方で叩いたからか、余り力は込められなかった。
それでも、叩いた頬は赤くなる。
「私は、頼まれたの!他でもない藤本先生に!俺が死んだら葵は味方でいてくれって、燐の側にいてくれって!」




あの時のことは良く覚えている。久しぶりに藤本先生に会えて有頂天だった私に、先生は苦笑しながら言ったのだ。奥村燐の写真も見せてくれた。
「ほら、これが燐って言うんだ。雪男の双子の兄貴でな。馬鹿だけど可愛い……俺の息子だ」
死んだらなんて縁起の悪いこと言わないでって私は笑った。でも、藤本先生は本気だった。きっともしかしたら、こうなるかもしれないと覚悟していたのかもしれない。
初めての頼みごとだったのだ。昔に褒めてくれたみたいに頭に手を置かれて、微笑みながら言ってくれた。
「こればっかりは、お前にしか頼めねえからなぁ」
「わ、わたしにしか!?」
「……葵、」
「はい!」
私は、藤本先生が大好きだった。
小さい頃に悪魔関連で助けてもらってから、ずっと追いかけてきた。だから無理を言って祓魔塾にも入れてもらったし、悪魔薬学は実力以上に頑張ったと思う。
生徒の時も晴れて祓魔師の資格を取った時も、すっと藤本先生を見てきた。勿論相手になんかしてもらったことは無い。何たって、好きだと言ったらまずは出るとこ出てから来いとか言っちゃう人だ。まあそこもいいのだけれど。
「お前はいい生徒だったよ。きっといい祓魔師にもなれる」
「……はい、」
シュラさんと藤本先生を取り合ったこともある。本当に子どもみたいなところしか見せてない。
「だから、燐を頼むよ」
「せんせ、」
「頼む……って、まあ、俺が死ぬなんて天変地異が起こっても難しいだろうけどな!」
そしてこの人も、結構子どもっぽいところがあった。シリアスな雰囲気に耐えられない辺りが特に。


「頼まれたんだよ、藤本先生に」
メフィスト卿は奥村燐を処分するだろう。親友の頼みでも、その親友を失ったのだ。もしその原因が奥村燐なら容赦はしない。
けれど先生は燐が死ぬなんて結末、望んでいるはずがない。だから私に頼んだのだ。自分の息子だと強調した上で。
「彼が守ろうとしたものを、私が見捨てられるはずがないもの」
本当に好きだったから。
考えればひどい人だとは思う。でも、それでも、藤本先生ならと許してしまえる自分がいる。
「葵さん、」
雪男の手が緩んだ瞬間、私は思い切り振りほどく。私を止めるのを諦めたのだろう。あっさりと脇をすり抜けられた。
後ろから声が掛けられる。
「葵さん、……お願い、します」
それを聞いて思う。雪男は兄が処分されることを理解はしたけれど、許容はしていないのだ。
サタンの息子だから処分する。危険な存在だから消さなくては。でも、双子の兄だから助けたい。
奥村燐の血縁者として、それなりの見張りも付いていたのかもしれない。
走って、走って。その場についてからどうするかなんて考えられる状況ではなかった。とにかく、奥村燐を助けなければ、それだけを。
前からメフィスト卿が歩いてくる。後ろから数人の祓魔師が着いてきているけれど、戦闘を行った形跡はない。
「……メフィストさん」
「おやおや、随分ひどい格好ですね。風邪を引きますよ」
奥村燐は、無事なのだろうか。
思考を読み取ったのか、メフィスト卿は私の側まで来てほんの少しだけ屈んだ。
「奥村燐は、処分を免れました」
「え、」
「私の独断です。彼は面白い」
そう言うメフィスト卿の瞳は笑っていない。藤本先生が死んだことを、怒ってはいる。それでも彼の息子を殺すことはできなかった。
「それに葵さんが来たということは、藤本神父もそれを望んでいたのでしょう。……彼も、ひどい男だ」
メフィスト卿も私の気持ちは知っている。小さい頃から先生を追いかけていたし、私自身隠すつもりもなかったから。不思議だ何だとからかわれた事だってある。
そんな親友から見ても、藤本先生の頼みごとは残酷なのかもしれない。
「貴女は背を向けることも出来るのですよ?」
そう言われて私は首を傾げた。何故そんなことを言うのか分からない。するとメフィスト卿は僅かに目元を緩ませる。
「奥村燐は、貴女を知らないじゃないですか」
「でも、私は知ってるから」
メフィスト卿は即答した私に小さく吹き出した。この人も、いや、この悪魔も大概失礼だと思う。肩を震わせて本気で笑っている。
「あなた方人間は恐ろしく不思議な生き物だ。でもだからこそ、私はここにいる甲斐があるというもの」
メフィスト卿の指が鳴って、周りの祓魔師が退いていく。そのうちの一人が黒い傘を彼に渡した。そしてそのまま、それは私へと押し付けられる。
「差し上げます。より残酷な道を選んだ貴女に」
「ここまで濡れてて今更ですか」
「無いよりましでしょう。風邪なんかひかせたら怒られそうだ」
誰にとは聞かなかった。その人がもうこの世にはいないことを、私たちは良く理解しているつもりだから。
「ありがとうございます」
「いえいえ、」
「本当にありがとう。藤本先生の願いを聞いてくれて、……私に道を残してくれて」
「……」
もらった傘は差さないまま、メフィスト卿の横を通り過ぎた。微妙な表情をしていたから、私の言っていることが理解できなかったのかもしれない。もしかしたら、理解したうえで複雑な気持ちになっている可能性もあるけれど。
顔を上げれば、男の子が立っている。多分そこは藤本先生のお墓の前で、そして彼はおそらく、泣いていた。見せてもらった写真より少し大人っぽいだろうか。
これが、奥村燐。藤本先生の、大事な息子。そう考えるとじんわりと胸が熱くなる。
「奥村燐くん?」
青い瞳が私を捉えた。雪男とはほとんど似ていない。本当に双子なのだろうか。
「誰だ、あんた」
これは私にしか頼めなかったこと。ならば私は、それを全うしようと思う。
「私は葵。藤本先生には聞かなかった?」
「……聞いてねえ」
やっぱり先生は、私に逃げ道を用意してくれていた。巻き込まない道も用意してくれていた。
雨がまた少し強くなる。
「そっか。あのね、私は、先生から頼まれたことがあるの」
でも藤本先生。私は多分、先生から頼まれなくても、こういう道を選んでいた気がする。
「頼まれた、こと?」
「そう。……あなたの、味方でいてくれって」



あなたへと続く
やわらかな道



私の世界はあなたを中心に回っています。その心の中に私がいなくとも、その気持ちは決して変わることはありません。
だから藤本先生。安らかに眠ってください。あなたが私に頼んだものは、必ず守ってみせます。
例えこの身を削らなければならないことだとしても、それが藤本先生の願いなら。




「力は弱いかもしれないけど、必ず守るから」




fin...


彼女の世界は一変する。
企画サイト様:夢をみる青
20110608
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