「ゆ、雪ちゃん!」
この言葉にとっさに雪男を見てしまった私は、何も悪くないはずだ。ただちょっと似合わない呼び方だな、なんて思ってない。今度こうやって呼んでみようなんて考えてない。
なのに弟くんは私の考えを見透かしたように、こちらを引きつった笑顔で見てきた。怖い。この子やっぱり読心術でも取得してるんじゃないだろうか。



せんぱい



「……雪ちゃん」
「葵先輩、言いたいことがあるなら言っておいてください」
呼び方を復唱してしまった私に、引きつりながら言う雪男を見て笑うのを堪えた。別に呼び方がおかしいとかそういうわけではない。可愛いとは思うけど。
面白いのは雪男の反応だ。照れているのか恥ずかしいのか、ちょっと楽しい反応をしてくれる。この弟くんは年相応だ。
「何ですか」
「そっちのが学生っぽくていいね」
「え、」
にやにやしながら思ったことをそのまま言ってあげれば、雪男は面食らったようだった。どうやらこの表情からして、呼び方をからかわれるとでも思ったのだろう。
からかうなんてそんなことはしない。もし彼女が小さい頃から雪男を知っていればその呼び方は違和感がないし、それに多分これは、杜山しえみが付けたもの。ならばからかうなんて以ての外だ。
呼んでみたくなることはあるだろうけれど。
「葵先輩、呼ばないでくださいね。気持ち悪いんで」
「だから人の考えていることを読まないでください」
「なら考えていることを全部表情に出すのをやめてください。時々兄さん並みに顔に出てますよ」
「え、燐並み?」
それは初耳、というか気をつけなくては。自分の考えがある意味筒抜けなのは避けておきたい。
「あ、あの……」
控えめに声を掛けられて、私と雪男は置かれている状況を思い出す。
声を掛けた杜山しえみは、最初に呼んだ雪男ではなく何故か私を見ていた。ほんの少し心臓が跳ねる。でも初めのように焦りはしなかった。
ここに彼女がいるのは、きっと雪男が連れてきたからだ。ならばフォローも何もかも、弟くんに丸投げしてしまえばいい。それに薄々感じてはいた。多分杜山しえみは、正十字学園の生徒ではない。
「き、昨日、へ、部屋に飛び込んできた……」
恐る恐る尋ねてくる杜山しえみに私は答えるつもりはなかった。だって彼女は人間で、しかもまだ候補生でもない普通の人。そして私は周りの人間にどんな被害を与えるか分からない呪い持ちだ。
定期的に燐に浄化してもらっていても、どうしても人と関われないのは心配だから。誰かに万一のことがあったら、桐野のことが知れてしまったら。
私は、私の今の状態を守るためならこのままでいい。
ちらりと雪男に視線を向ければ、弟くんは呆れたように溜息をついた。そしてそんな表情はすぐに消し去って、杜山しえみに話しかける。
「しえみさん、別に取って食われたりしないから緊張せずとも大丈夫ですよ。少しとっつきにくいだけです」
どうやら雪男は私のフォローに回るつもりもないらしい。それどころかこれは、積極的に関わらせようとしているのではないのだろうか。
「雪男、」
私が人と関わりたくない理由を知っているだろうに。そういう感情を込めて雪男を呼んだが、逆に小さく笑われてしまった。
……笑いやがったこいつ!
「兄さんも僕もいます。問題ないでしょう。それともアレですか。怖いんですか?」
「な、」
「そろそろ普通に生活してみたらどうです。影響が出るほど長く関わることはないでしょうから」
短い間であれば、確かにほとんど問題はない。
いや、それよりも今の雪男の言葉。これは私が祓魔塾に入らないことを前提とした発言だ。祓魔師に誘うのを諦めたのだろうか。……どうして?
「葵先輩」
促される。
今は考えないでおこう。もしかしたら、そう深く考えての言葉ではない可能性もある。
「……」
しかし、関わるかそうでないかは別の問題だ。自分のせいで人に何かがあったことがない人間には、理解は難しいだろう。大丈夫だといわれても保障があっても、怖いものは怖い。
「悪いけど」
もし杜山しえみがこちらの体質を知った上で関わりたいというならば、私も恐る恐る手を伸ばせるかもしれない。けれどもう身代わりも作れないのだ。何も知らせないまま側にいるのは、彼女のためにはならない。
「私には関わらない方がいいよ。……杜山しえみちゃん?」
随分嫌な言い方をしたと思う。隣で雪男が燐を担いだまま頭に手をやっていたから。これで杜山しえみは私を「関わりたくない人」として分類してくれるだろう。
だが、私はこの女の子の性格を全く把握していなかった。把握してないのは知らないのだから仕方ないのだが、これは。
雪男の反応を見てから、もう一度杜山しえみへ視線を向ける。
「え、」
それはもう、キラキラしていた。どうしてそんな反応をするのか私にはさっぱり分からない。
「雪ちゃんの先輩ってことは、祓魔師の先生ですか?」
「あ、いや、一つ上の学年ってこと……」
「せんぱい……!!」
「え、えぇぇ」
これは燐と雪男並に予想外の出来事である。思わず雪男に助けを求めるが、首を振られてしまった。これは一体どういう状況になっているのだろう。
「いやあの、今の話聞いてた?」
「わ、私学校行ってないから、先輩って初めて……」
「話を聞きなさい!」
「はい!」
諭してやろうとしたのに、ずれつつも会話が成立し始めている。しかも私の言葉に元気良く返事を返してしまう辺り、そう簡単に分かってはもらえないだろう。それどころか、説明しているうちにうっかり絆されそうな気がする。
「さて、そろそろ出ましょう」
どうやって突き放そうかと思案していると、雪男は杜山しえみを外へと促した。そうだ、私たちは燐を避難させるためにここに来たのだ。
「葵先輩、行きましょう」
「もう私、必要ないよね」
「必要です。万一のことがあったらどうするんですか?」
にっこり微笑まれる。でも私なんかがいても、その万が一に対応できるとは思えない。それにその時は雪男の仕事だろうに。
私の返事も聞かずに弟くんは歩き出した。杜山しえみが慌ててドアを開けている。
「ちょっと、」
「……確かめたいこともあるんです」
雪男が燐を担いだままこちらを見た。随分と真剣な眼差しだ。
「兄さんのためにも」
これを言われてしまったら、断るという選択肢は消えたも同然である。



fin...


強敵:杜山しえみ
20110630
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -