「こんなの見たこと無いよ。なにもないのかと思ったら壁にぶち当たるんだもん」
この人、ぶつかったのだろうか。
「あ、でもぶつかっては無いからね。名誉のために言っておくけど」
人の心を読みすぎである。
「これって言いますけど、普通の窓ガラスです。一般的な。よっぽど古い家……でもあるんじゃないかな」
「でも俺様は、見たことない」
見たことがない。そうはっきり宣言する猿飛佐助に、私は首を捻るしかない。
どんな田舎でも、ガラスが無いのはおかしい。
この人がどんなところから来たのかは分からないが、そもそも、この部屋に来るまでにだって、様々な場所にこのガラスを見かけるはずだ。
見たことがないわけが、ないのである。
不法侵入していた人間を信じるのはおかしいのかもしれない。しかし何か企んでいるのだというのなら、もっとましな嘘を選ぶだろう。信じてもらえそうなものなんて、いくらでも考えられる。
そういうのを見越してこんなことを言っているとしたら、私はこの男、猿飛佐助の企みにはまってしまっているわけだが。
「……ああ、もう!」
「!?」
突然大声を上げた私に、猿飛佐助はびくりとした。驚いたようで、目をパチパチさせている。
「考えたって仕方ないので、もう考えません。とりあえず、ここにはどうやって来たんですか?」
「あ、えっと、起きたらここに」
「その前は?」
「だから、戦場、」
猿飛佐助は怪訝な視線を投げてくる。その視線を投げるべきは私なのだが、まあ、いい。
とにかく考える。起きたらここに居た、ということは、彼の意思で侵入したわけではない。
目覚める前にいたという戦場だって、この日本にあるはずもなかった。しかも、相手が織田信長。ありえない。
ありえない。でも、嘘だと言い切ってしまうことができない。私には第六感も超能力もないはずなのに、猿飛佐助が言っていることを信じてしまってもいいと思っているのだ。
「さっきのズレの話なんですが」
「あ、うん」
話題の変換に、猿飛佐助は佇まいを直した。
「多分、時代自体がずれているんです。織田信長との戦ってことは、その人まだ生きてるんですよね?」
彼は頷く。
「なら、やっぱりずれています。織田信長がいたのは確か、四百年以上前の話ですよ」
「……は?」
「戦国時代はとっくに終わって、日本はいま、一つの国としてあります」
「ちょっと、ちょっと待って」
猿飛佐助はさっと手を出して、私の言葉を止めた。相当混乱しているらしく、視線が定まっていない。
やはり、本当なのだろうか。
彼は深呼吸を一つして、それから数秒目を閉じた。気を落ち着けて、今の情報を整理しているのかもしれない。
「じゃあ、今は先の世ってこと、だよね」
「おそらくは」
「でも、俺様は死んでる」
「いや、いやいやいやいや。それはないでしょう」
状況は無理矢理飲み込んだ風なのに、まだ死んだと思っているのか。
「私は幽霊とは話せませんし、見たこともないです。だから、あなたが死んでるっていうのは否定させて頂きます」
猿飛佐助はそれを聞いて、するりと音も無く立ち上がった。私はそれにどきっとして、肩が跳ねる。
嘘だったのなら逃げなければ、私の身が危ない。
「死んでるよ。信じないなら、見せてやろうか」
視線が絡んだ。そう思ったときには、猿飛佐助は目の前にいた。どうやってここまで移動したのか、見えなかったとか、今考えるべきではないことが、頭の中を走り回る。
「ほら、見なよ」
予想に反して、猿飛佐助は触れてこなかった。
けれど掛けられた声に反応してみれば、そこには上半身を露わにした猿飛佐助。恐ろしく、均整のとれた身体だと思う。筋肉は程よく付いていて、無駄な肉なんてさっぱり見当たらない。腰なんかきゅっと細くて、う、羨ましいくらいだ。
「ちょっと、どこ見てんの?」
「あ、いや、その、まるで芸術のようなイイ身体してますね!」
これでは私が変態である。
猿飛佐助は呆れたように溜息をついて、それから自分の胸の辺りを指し示す。
「ほ、ほんとに、穴、だ」
胸の、ちょうど心臓の辺りだろうか。そこにあったのは、正真正銘の空洞だった。血も肉も無い。中は暗くて見えなかった。
他にも空洞がいくつかある。でも、一番深くてひどそうなのは、この心臓の穴だ。生きている人間になら、絶対に有り得ないものである。
「信じた?」
「ぜ、全然信じられません。あの、痛いですか?」
「痛くないよ。これが普通の怪我みたいに痛かったら、それこそ大変だと思うんだけど」
「あ、ああ、それもそうですね」
私はそっと手を伸ばしてみた。スプラッタは苦手だが、血がなければ平気だ。というか、これが、傷に見えない。
指が、傷に触れる。冷たくはなかった。むしろ熱い。体温というよりも、この空洞自体が熱を帯びているように思える。
「何触ってんの?」
「死んでる人間なら、体温はありませんよ」
見上げて、視線を合わせた。猿飛佐助は戸惑っているようだ。傷に触ったことを驚いているのか、死んでいるわけがないと言い切ったことに驚いたのか。そのどちらかは分からないが。
「……そう?」
「そうです。……でもこの傷口、不思議ですね。感覚はあるんですか?」
「あ、ある……のかな?あんたが触ったのは分かったけど」
曖昧なのは仕方がないかもしれない。自分でも触れてみているが、良く分からないようだ。
もしや彼が戸惑っているのは、生きているのかもしれないということにだろうか。
「猿飛佐助さん、」
「え、あ、はい」
「とりあえず、私はあなたの言ったことを信じます。こんなありえない傷見せられて、それで嘘だなんて言っていられませんから」
空洞は、やはり熱い。まるでそこだけ別に生きているみたいに。
「私もちょっと疲れて頭が破裂しそうなので、詳しいことは明日話しましょう」
「うん」
私も疲れているが、猿飛佐助もかなり疲れているに違いない。疲れは人の頭の動きを鈍くする。一旦、休もう。
ご飯とかお風呂は、もうこの際、明日の朝でいい。
「あ、」
ふと、休むのは私だけではないことを思い出す。
猿飛佐助はいつの間にか服を着て、やっぱりぼんやりしていた。そんな彼に、一応提案する。
「申し訳ないんですが、さすがに同じ部屋に寝るのはどうかと思うので、廊下に布団を敷かせてもらいますね」
「……はい?」
今までで一番の、間抜け顔だったと思います。



fin...


一週間の始まり。
20110906
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