胸に短刀が刺さっているのを見て、一瞬気が遠くなる。痛みはなかったのだが、刺さっているであろう箇所がひどく熱い。
ああ、ここで俺様も終わりか、と佐助は何となくそう思った。
大型手裏剣をくるりと回して、自分がまだ動けることを確認する。
痛みが無いのは、好都合だった。動けるだけ動いて、自身の主人の為に最期まで働いてやることができるからだ。
「旦那、早く代わりの忍を見つけろよ……」
小さくつぶやいて、身を低くする。
「俺様は真田忍隊猿飛佐助。さーて、あんたらに俺様を止められるかな?」
一日目
「え、エスカレーターが欲しい……」
階段を登りきった後に出るのは、毎回そんな感想だ。たかが二階、されど二階。仕事で疲れた身体に、階段はなかなかきついと思う。
次にバックの中の鍵を探しながら、明日からの予定を考えてにやにやする。
最近忙しくてろくに休めていなかったから、まとめて休暇をもらったのだ。その日数、実に一週間。普通なら考えられないが、どうも上の方からの指示らしい。あれだ、有給消化しろ、的な。
まあ理由はどうでもいいとして、とにかく休みなのだ。身体を休めて、買い物に行って、それから少し遠出したい。
これから録り溜めしたドラマやアニメでも見ようかな、そんなことを考えながら鍵を出してドアを開ける。
「ただいまー」
真っ暗な中にそう言って、靴を脱ぐ。返事は無いが、あったらあったでそれも怖い。私はれっきとした一人暮らしで、他に人がいるわけないのだから。
仕事のバックを放り出し、電気のスイッチを付ける。水を一杯飲もうとして、私は止まった。
人が、座り込んでいた。
頭を垂れて、静かにそこにいた。
帰ってきた私に気が付いていないのか、それとも気が付いた上でその態度なのか。身体が、固まる。
混乱か恐怖か。喉が変に渇いて、声は出なかった。
本来私が起こすべき行動は、ドアから外へ逃げて、警察に通報することだ。でも、足が床に張り付いたままどうしても動かない。
すると座り込んでいた人が、ぽつりとつぶやいた。
「ねえ、俺様って、これからどうなるの?」
「へ、あ?」
つぶやかれた内容は、質問だった。
答えなんて持ち合わせていない私は変な返事をしてしまって、思わず口を押さえる。
「随分可愛らしい案内人だねえ。仕事できる?」
座ったままこちらを向いたのは、男だった。
話の内容はどう考えたっておかしいのに、その表情は恐ろしく真面目なものだ。
「それとも、忍には案内人なんて付かないって?」
「あ、の……」
自嘲気味に言い放つ男に、私はどうしたら良いか分からない。そもそもあなたは誰なのかとか、不法侵入しておいてその態度はなんだとか、言いたいことは沢山あるはずなのに、何一つとして言葉にすることはできなかった。
何かが、おかしい。
「地獄って、どんなところかな……」
一体何の勘違いをしているのか。それともこれは、手の込んだドッキリなのか。希望的には後者であって欲しいのだが、多分、違う。いつもは頼んだって動いてくれない第六感がそう告げていた。
「そ、それって、その、あなたが死んだってこと、ですか?」
「そうだよ。それ以外に何があるって言うの?」
男は私を睨んで、そのまま溜息をつく。そうして、自分の心臓の辺りを指差した。
「ここに、穴があるから」
だから、死んでる。
こちらを向いた目は、ひどく憔悴していた。
私にはその胸に開いた穴とやらは見えないが、本人はそれを直接見ているのかもしれない。……いまいち想像できないが。
とりあえず、この事態を進展させよう。何か質問して、答えてもらって、自然とこの部屋から出てもらえるかもしれない。
「じゃ、じゃあ、血、とかは?」
「血?出てないよ。暗い穴だけ。……ねえ、あんた本当に案内人なの?」
男はそう言うと、身体ごとこちらを向いた。私はそれに身体が強張るけど、それ以上動く気配は無い。
「え、えーっと、とりあえず、状況を確認したいから、交互に質問とかどうですか?」
相手を刺激しないように提案する。こんなこと言い出すなんて、私は相当パニックを起こしている気がする。でも、それ以外の方法が思い浮かばないので仕方が無い。
「……うん」
ついでに、この男も案外素直だ。
「私の名前は水都です」
「俺様は、猿飛佐助。死因は、第六天魔王との戦」
自己紹介直後に、いきなりフリーズである。一人称に突っ込むべきか、出てきた壮大な歴史上人物に感心するべきか、聞きなれないことをスルーすべきなのか。
どれを実行するにも疲れそうだ。
「だいろくてんまおー」
「そ、織田信長。こっちでも有名なの?」
こちらを見つめたままの男、いや、猿飛佐助は感心したように言った。有名っていうか、必ず勉強する名前だとは思いますが。やはり何かがおかしい。
「有名というか、」
一瞬発言していいものかどうか迷う。でもここで止まっていたら何も進まない気がするし、何より私は立っていて、尚且つ玄関に近い。身体の強張りは解けているようだし、何かあっても逃げられるだろう。
「織田、豊臣、徳川で誰が一番好きー?とかやりませんでした?」
「……やらないでしょ」
「え、やりますよ。で、大体織田って答えるんです」
「じ、地獄だから?」
「……」
「……」
猿飛佐助と私は、お互いの顔を見たまま黙り込む。相手が嘘を言っていないかどうか、見極めるためだ。
「やっぱり何か、ずれてませんか?」
「うん、俺様もそう考えていたとこ」
二人で首を傾げて、まず何がずれているのか考える。まあ、普通は、
「俺様が死んでるって言うのは、嘘じゃないからね?」
まるで心を読んだかのように、猿飛佐助がそう遮った。私は開きかけた口を閉じた。そんなに態度に出していただろうか。
でもそれなら、こちらにも訂正しておきたいことがある。
「あの、でも、ここはあの世ではないです。私生きてるんで」
「そうなの?でもここは、俺様のいた現(うつつ)じゃないよ」
あっさりとそう言う猿飛佐助は、軽く肩を竦めた。
「見たことのないものが沢山。仕事柄いろんな土地を見てきたけど、こんなところは初めてだ」
嘘をついているようには見えないが、私にそんなものを見抜く能力があるわけじゃない。彼が嘘をつくエキスパートなら簡単に騙されてしまう自信がある。
でも、聞いてみるだけ聞いてみようか。
「何が見たことないのか、聞いても良いですか?」
「ああ、うん。どんなことが起こるかわからなかったから、触れないものばっかだったんだけど」
まずこれ、と叩いたのは、窓ガラスだった。
「……はい?」
「あ、信じてないでしょ」
猿飛佐助は困ったように窓ガラスを眺めて、それから話し始める。