濡れてひんやりとした布が、額の上に乗せられる。熱い頭にはその温度はちょうど良くて、ほっと息をついた。
……熱い?
はっと目を開ければ、そこには涼しい顔をした松永久秀がいた。
「ああ、起きたのかね」
「!?」
彼の姿を確認した瞬間、反射的に身体が「とぶ」ことを要求する。だが、できなかった。
とぶことを意識した瞬間、頭が割れるように痛む。後頭部から針でも刺されたような痛みだ。
「……いっ」
その痛みに頭を抱えれば、目の前に座っていた松永久秀は口を開いた。
「あの奇っ怪な技を使うのはやめておきたまえ。予想ではあるが、その熱も、痛みも、あれが原因ではないのかな」
そう言いながら彼は、私が頭を抱えたことによって落ちた濡れた布を、そっと持ち上げる。それから側の桶らしきものに浸した。気のせいだと思うが、看病されている気分である。
松永久秀の手がその布を絞って額にかけ直した時点で、その気のせいとやらは事実になってしまったが。
嫌な予感がひしひしと迫ってくる。一体なにがどうなって、こんなことになったのだろう。
そもそも私、初めは、殺されそうになっていなかっただろうか。あ、冷や汗出てきた。
そんな風に考えていたのが顔に出ていたのだろう。松永久秀が小さく笑って、言った。
「安心したまえ。君をどうこうするつもりは、既に無い」
そしてそっと目を伏せて続ける。
「疑ってすまなかったね」
私は何も言えなかった。さっきからこの松永久秀の言葉が、「大変興味深い」やら「楽しめそうだ」としか聞こえない。これは思考を感じる必要もなかった。
この人、超怖いんですけど。
自分の力は万人受けするようなものではないと思っている。特殊だし、何より「ここ」に来てから力自体が強力になっていた。
元の時代ですらきっと化け物扱いだ。この戦国っぽい世の中での扱いなんて、火を見るより明らかだろう。
畏怖、拒絶、崇拝。
そしてこの松永久秀という男、どうみてもそのどれにも当てはまらない。
「……思考を読み取ることも可能というわけか」
「な、ないですないです。多分」
必死に首を振ったのに、最後に多分を付けてしまった。否定した意味がない。
首を振ったせいで落ちた布を拾い上げながら、松永久秀は言う。
「多分、とは?」
「あ、いや、その、私もできること全部把握してるわけじゃないので」
頭痛が少し引いたので、ゆっくり身体を起こす。この人の前で寝ている体勢なのは不安だ。
「そうか」
「……」
「……」
「……あの、」
「……」
「……ここに来たのも、何が出来るかの実験の最中の失敗みたいな」
はい、沈黙に負けました。
眼は口ほどにものを言うとは良く言ったものだ。続きをすごく催促された気がする。
「ほう、来るべくして来た、ということだな」
考えていることが私にバレていると分かったからか、先ほどの表情は消え去った。代わりに現れたのは、ひどく楽しげな微笑みだ。
すごく悪役に似合いそうな気がする。
「話を聞いていれば、君は行くところがないようだ」
微笑んだまま視線を向けられる。
行くところがない。その通りだ。私はここの時代の人間ではない。でも、私はそれを、松永久秀に言った覚えはなかった。
この人は頭がいい。そして欲望に忠実で、その為になら、多分なんでもするだろう。
危険だ。松永久秀は、恐ろしく危険な人間だ。
「私は君がどこから来たかなどには興味がない。だが、君自身には興味がある」
だが、私が一人で生きていけないのは事実で。
「そして君が人だというのなら、人間の力の限界というものも見てみたい」
手を差し出される。
「良い取引だろう?君はこの世界で安息を手に入れることができる。そうだな。もし望むのなら、多少の知識も与えよう」
嘘はつかれていない、と思う。ならここは、提案に乗ってしまった方がいいだろうか。信用はできない。でも、私には逃げ切れる力がある。
「……あなたの、メリットは?」
「めりっと?」
「あ、あー、利点?」
「私は君が、私の知る範囲で過ごすだけで十分だ」
うまい話には必ず裏がある。これは裏のある取引だ。それだけ忘れなければ、きっと、大丈夫。
眼を閉じて、深呼吸。心の中で唱える。大丈夫。大丈夫。
「よろしくお願いします、松永さん」
松永久秀が差し出した手を、私はしっかり握った。
「ようこそ、水都」
20101004