「なー言っただろ。本当にいたんだって。噛まないし引っかかないし、そこらの猫よりよっぽど大人しいんだ」
「猫と一緒にしないでください!」
「もそ…………」
(ん?)
孫兵くんの声に被って、強面の男の人が何かを話した。何だ、何て言った?
無意識のうちに耳が動く。すると彼は少し考えて、一歩近づいてきた。その動作はゆっくりとしたもので、こちらも動揺することなく耳を傾ける。
「私は中在家長次という。小平太が、すまない」
本当に小さな声で、中在家さんはそう言った。このボリュームだと、人間の私には聞くことは出来ないに違いない。いや、そんなことよりも。
この中在家という人は、常識人というかなんといか。とにかく、七松とは全く違うと理解できた。突っ走ることなく冷静で、恐らく友人思い。だってそうでもなければ、普通意思の疎通を図るのが難しい獣に自己紹介なんてしない。中在家さんは七松の話(なんて言っているかは知らないが)を受け入れ、信じているのだろう。
相手がそうやって礼儀正しく挨拶してくれたのなら、こちらも返すべきだ。それにこの人と仲良くしていれば、七松を止めるストッパーになってくれそうな気がする。
とりあえず孫兵くんの後ろから出て、じっと中在家さんの顔を見た。声は出すことは不可能だし、本当の名前を伝えることも出来ない。しかし彼は本当に少しだけ目元を緩ませた。
「触っても、いいか?」
(もっちろん!)
撫でやすいように顔を下に向けて頭を差し出してみた。喉元は牙があって怖いだろうから。
「あーっ、なんだ、長次にはふつーに触らせるのか!?ずるい、ずるいぞ長次!!」
喚く七松の様子を気にすることもなく、中在家さんは優しく頭を撫でてくれる。こちらは猫のようにその手に擦り寄ってやるサービス付きだ。
「小平太、お前は少し突っ走りすぎるんだ。だから虎が怯える」
私と中在家さんの間には穏やかな空気が流れている気がする。七松はそれをとても不機嫌そうに見ているが、突然思いついたようにしゃがみ込んだ。
「じゃあ私が長次みたいにそっと撫でたら、逃げずに触らせてくれるのか?」
視線が合って、大きな目が私をじっと見つめた。そうして動くことなく反応を伺っている。がつがつこられなければ、こちらも逃げるような真似はしない。多少びくびくするのは、初めの印象が強いから諦めてくれ。
七松は私の様子にそっと手を差し出した。それに対して中在家さんがほんの少し咎めるように彼の名を呼んだ。
「小平太、」
「大丈夫、伊賀崎が言うにはこいつは人を食べたり噛んだりしないそうだ」
孫兵くんが大きく頷いたのが分かる。それでも中在家さんは難しい表情をしたまま七松を見つめている。
虎は見ての通り肉食だ。爪も鋭いし、立派な牙だってある。姿かたちを見るならば、七松のように手を出したりしないだろう。竹谷くんや伊賀崎くんのように、元が人間であるというのを知っているわけではないのだから。
「それに人の言葉を理解しているなら、こちらが信用しなければ。こいつだけに私を信じろと言っても公平ではないだろう?」
この間はどこかの忍者の虎じゃないかとか言っていたのに。
「あとお前、長次が好きなんだろう?ならきっと、私とも気が合うぞ!!」
「小平太、それはちょっと……違う……」
にこにこしながらこちらを伺う七松に、私は心の中で小さく笑った。こんな風に言われてしまっては、こちらも返してあげるべきだろう。
出された手に少し考えて、それからそこに顎辺りを当ててやる。さすがに乗せるのは重そうだ。
「お、おお!!」
嬉しそうな声にニヤニヤする。孫兵くんをちらりと見れば、ちょっと苦笑いしていた。人の姿も知っているから、色々複雑なのかもしれない。
「本当に、言葉が分かるのか?」
「言った通りだろう!虎って頭がいい生き物なのかな」
確かめるようにつぶやいた中在家さんに、七松が何故か得意気に答える。これはもしかして、以前会った時のことをすべて話して聞かせていたのだろうか。
「……これは本当に、虎なのか?」
「?」
「伊賀崎、長次がこいつは本当に虎なのかって」
孫兵くんに中在家さんの言葉は聞こえにくいようだ。けれどそれを七松が通訳してやる。この二人、この慣れた感じからして付き合いが長いのかもしれない。
「あ、はい。見ての通り虎ですけど……」
「虎の色は白じゃない」
こぼされた言葉に、驚いたのは孫兵くんだけではなかった。私もだ。
この時代の日本では、虎に馴染みがないのは当たり前だろう。動物園もなければ図鑑もない。だから竹谷くんたちのように知っている子達は、白黒の絵で知識として頭に入っているということだった。だから勿論実物なんて私が初めてだし、色だって知らなかっただろう。現に、今まで色のことは話題になんて上らなかった。
しかし中在家さんはそれを知っているようだった。彼はまさか、本物を見たことがあるのだろうか。
「虎の色は黄色のはずだ。私も生きたものは見たことないが……」
「へえーじゃあ、お前は本当にかみさまのつかいなのかもなあ」
七松は孫兵くんに中在家さんの通訳をした後、私の眼を覗き込んだ。孫兵くんは私に聞きたいこともあるだろうに、この状況ではその質問を口にするのは難しい。
覗き込まれれば自然と距離は近くなる。けれど初めほど恐怖は感じない。中在家さんの一言ホント凄い。竹谷くんや孫兵くんがいくら言っても何にも気にしなかったのに。
「この虎が、ジュンコと三之助を連れてきてくれたんです」
孫兵くんがそう言えば、目の前の七松の表情がこれでもかと明るくなった。それになんとなく第六感が刺激されて、思わず身体が跳ねる。
「おお、礼を言うぞ。やっぱりいいなあ。どうにかして学園に連れて帰れないかなあ」
「準備もなしに迎え入れるのは無茶だろう。それに以前から知っていた竹谷が生物委員会として飼っていないのなら、何かしら理由があるに違いない」
中在家さんがテンションの上がる七松氏を宥めつつ私の背をなでる。「だろう?」とこちらに聞いてくる姿は、何というか、七松氏専属の調教師に見えて仕方がなかった。
「んー、じゃあ竹谷に聞いてみようっと。もし問題なかったら、予算に関しては文次郎には私も進言しよう。長次も協力してくれるだろう?」
「……ああ、仙蔵あたりも協力的になってくれるかもしれない。あいつはきれいなものには手間を惜しまないだろう」
わ、話題が嫌な方へ向かっていないだろうか。あの、出来れば竹谷くんには変に影響を出したくないんですが。
「無理だと思います」
孫兵くんがばっさりと二人を切った。ジュンコちゃんは相変わらず彼の首に巻きついている。赤い蛇を連れた孫兵くんは、その綺麗な外見も相俟ってか、妙な迫力があった。この先輩たちにはそんなものは感じられないだろうが、説得力はある。
「どうしてだ?」
「この虎は、人の手に収まる生き物じゃないです。きっと持て余します。……それに、き、君も嫌でしょう?」
孫兵くんの助け舟に何の躊躇いもなく頷けば、七松氏はつまらなそうに唇を尖らせた。
「本人が嫌って言うなら、まあ、仕方ないかもしれないけどなあ」
「諦めろ、小平太……」


仕方ないと言いながらも別れ際に何度も振り返るあの様子からして、あの人絶対に諦めてない。


...end

富松くんは虎が側にいる間はずっとそわそわしていればいい。先輩が虎に食われる!次はおれたちだ!みたいな。
20130203
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -