走り出した私の背中に土井先生の戸惑ったような声が掛かる。申し訳ないが、このまま逃げさせていただきます。そこにいるあなたの生徒が、小さな私と元の私を結び付けてしまったようなので。
人の足元を縫うように進んでいく。今日は比較的人が多い。これならうまく人陰に隠れて撒いてしまえるに違いない。
ぶつかりそうになりながらもギリギリで走る。止まったら捕まる。止まったら捕まる。そう唱えて、ようやく裏へ向かうような横道へと滑り込んだ。
「こ、ここまでくれば……」
上がった息を押さえつけて、膝に手を付く。小さくて短い足。不便でしょうがない。
「つかまえた!」
「っ!」
逃げ切ったと思ったのに、後ろから伸びてきた手に私はあっさり捕まった。掴まれた肩が少しだけ痛い。振り向けば、そこには妙に難しい表情をしたきり丸くんが立っていた。ウワー、詰みである。
「あやめさん、なんですか?」
一瞬とことん知らん振りして誤魔化そうと思ったのだが、そういうわけにはいかないらしい。だってきり丸くん、疑問系な割に確信を持っているようなのだ。
「……えっと、」
「誤魔化したって無駄っすよ。ああやって逃げれば、それを認めたようなもんですもん」
肩を掴んだままきり丸くんの正面に立たされる。視線が頭のてっぺんから足の先まで何往復かした。私だと確信しつつも、やはり信じられないのだろう。
「不思議だ不思議だとは思ってたんですけど、まさか小さくなれるなんて……やっぱいつもの姿が本当なんすよね?」
「……どうしてこんな非現実的なこと、あっさり受け入れようとしてるの」
きり丸くんの反応が少しおかしい。
「あやめさん、それならまず、花を咲かせるあたりから否定しておかないと無理がありますって」
にかっと笑うきり丸くんに、私は肩を落として笑うしかない。この可愛い少年にとっては、花が咲くのも人が小さくなるのも同じようなものらしい。そんな馬鹿な。人間が子どもに戻る方が不思議で信じられないだろうに。
「でも本当に、おれより小さい……」
まじまじと私を観察するきり丸くんは、今度は私の手のひらを取って感触を確かめ始めた。うん、分かる。その気持ちは分かるけど、今は自重しようか。
「言っておくけど、これは私でも普通のことじゃないんだからね。こんなことになったのはちょっとした事情があって、」
「事情?」
手を触ったまま問われるが、これは何て言ったらいいのだろう。そのまま薬を被ってしまったと言うべきか、別の理由をでっち上げるか。
「うーん」
「まあ普通に考えて、人には思いつかないような事情ですよね」
きり丸くんは深く追求してこなかった。確かにマグルには考えも付かない方法だ。人の手で作られる薬でこうやって縮んでしまえるなんて。
「でもあやめさん。どうして土井先生と一緒にいたんすか」
「ああいや、それはちょっとね、助けてもらったの」
「助けてもらった?」
「ほら、小さい子どもが一人で歩いてたら」
私の言いたいことを察してくれたきり丸くんは、少しだけ眉間にしわを寄せた。
「それなのにまた一人になろうとしてたんですか」
「う、」
言いたいことは尤もである。尤もではあるが。
「だってこのまま人と関わるわけにもいかないじゃない」
しかも土井先生はきり丸くんの先生である。それは彼がプロの忍者だということだ。ならこの小さな姿のままで関わったとして、本来の姿のあやめときに何かを言われない自身がない。絶対何かしらのボロを出すに決まっている。
「そりゃ言いたいことは分かりますけど、それでも、一人でうろうろすることの方が危険じゃ……」
感触を確かめるように触られていた手が、今度はぎゅっと握られた。
「あやめさん、これからどうするんですか」
「え、ああ、とりあえず宿に戻って引きこもる。部屋から出なければ、誰にも会うこともないだろうし」
そう答えたらため息をつかれた。え、どうして。
「その小さくなってるの、いつまで続くか分かってるんすか?」
「あー期間は分からない、かな。数時間かもしれないし、数日ってこともないわけじゃないと思う」
「その間、どうやって生活するんです?食事だって必要でしょう」
きり丸くんの言葉に、私は数度瞬きした。言われてみればそうだ。引きこもっていたら食事は難しい。数時間なら問題ないが、数日その引きこもり生活をするのも気が滅入るだろう。私の元の世界と違って、室内で暇つぶしするものが圧倒的に少ないこの時代。
「い、言われてみれば確かに、でも何事も無く過ごすにはその方法しか……!」
全ての事情を知る人なんて竹谷くんくらいしかいない。でも今回ばかりは彼に頼るわけにはいかないだろう。だって小さくなった私をどうしろって言うのだ。
宿に一緒に居てもらう?いつまで続くか分からないのに?もしかしたら数時間で済むことかもしれないのに?
頼まれた竹谷くんだってきっとお手上げだ。
「……今日は、土井先生のところに一年は組の数人が遊びに来ることになってて、乱太郎としんべヱは泊まる予定もあります」
「え?」
「もしかしたら泊まるのだってその二人だけじゃないかも」
突然そう語りだしたきり丸くんに呆気に取られる。ぽかんとそのまま彼を見ていると、きり丸くんがむっとしたように唇を尖らせた。
「言いたいこと、分かりません?」
「い、や、何となくは……でも、」
私もそう鈍くはない。きり丸くんが言いたいのはつまり、何人か泊まるなら一人くらい増えたってかまわないんじゃないかということなのだろうけど。それは不味いんじゃないだろうか。
「そりゃ勿論、何の理由もなしには無理でしょうから、バイトの一環ってことにしちゃいますけど」
「子ども預かったりしてるの?」
「……子守ならやってます」
さすがに日を跨いで子どもを預かったりはしていないようだ。話し始めの沈黙が、全てを物語っている。
「子守ならありかもしれないけど」
預かるのは不味い。きっと土井先生だって不審に思うはずだ。そうなれば私が竹谷くんたちと仲の良いあやめだと分かってしまうかも……、それはないか。人が縮むなんて可能性としても浮かんでこないかもしれない。
「それでも、そこまでしてもらうわけには」
「じゃあ、」
断ろうとした私の言葉が遮られる。きり丸くんは少し難しい表情をしていた。
「おれのこと助けると思って、来てくれませんか。次の学期の学費、少し、その、きついんです」
さっきまで合っていた視線がそらされている。じっと見つめても合うことはない。これは多分、嘘ではないが事実でもないのだろう。
確かに学費のこともあるかもしれない。でもきり丸くん自身を助けるためではない。どうしても、私のことが気になるのだろう。普段の姿ならまだしも、こんな小さくなっていたら、いわゆる保護欲的なものが働いてしまったのかも。
「気持ちは嬉しいけど、土井先生にも許可取らないと。先生の家なんでしょう?」
そんなきり丸くんが可愛くて、思わず小さな手で今までのように頭を撫でる。小さいと不便だが、こうやって表情を覗き込めるのは少し嬉しい。だって照れているのがしっかり分かるのだ。
「土井先生はおれが説得します。どうにかしてた、タ、タ、ダでも……」
「わー、いいって。そんなに無理しなくていいから!お金は私、持ってるから」
血の涙を流されてはたまらないので、そこはしっかりお断りしておきました。
...end
きり丸はあやめに色々お世話になっている分、余計に気にしてる。疑われていることに心配したり、気にしてない様子にほっとしたり。だからこんな小さなあやめを、放っておくなんて出来ないのだ。
20121014