体育委員といえば、一番初めに思い浮かぶのは委員長だ。今この場に居ないのは、ある意味不幸中の幸いと表現してもいいと竹谷は思う。
七松は、一言で表現すると「暴君」である。正直彼が何か都合の悪いことを言い出そうと、逆らう術がないのだから。こちらがどんなに抗ってもそんなのなんでもないように吹き飛ばしてしまう。
だから出来るなら、あやめと七松は会わせたくなかったのだ。絶対こうなるだろうと、そう思ったから。
金吾以上にキラキラした目であやめを見つめる七松に、竹谷はどうすればいいのかと自分の頭をフルに回転させる。そもそも予想できていたのなら、もっと強引に(あやめを逃がす)ことを進めるべきだった。そう考えても会合してしまった今、後の祭りである。
「でっかいな!生物委員はこんなのも育てているのか!」
楽しそうに話してはジリジリとあやめとの距離を詰めていく七松に、竹谷は覚悟を決めた。
「飼ってませんよ。生物委員会がそう多く予算を取れないのはご存知でしょう。それにそれ以上は近づかないでください」
さっとあやめと七松の間に身体を滑り込ませて、それ以上近づくことのないようにする。ここで動物もどきを研究すれば良いと言ったのは竹谷自身だ。彼女に無茶をさせるつもりはなかった。
「どうしてだ。他は皆触ったんだろう?」
「虎が怖がるからです」
「どうしてだ。私は優しいぞ?」
きょとんと首を傾げる七松は、一見可愛げがあった。だがそれに騙されるわけにはいかない。あやめも動物の第六感的なものが働いたのだろう。伊賀崎を首にくっ付け、次屋を背負い、少しずつ後ずさっていく。
「なあ、滝夜叉丸も触ったんだろう?」
「え、あ、はい。少しだけですが」
突然投げられた問いに、平も慌てて答える。するとその答えを聞いた七松は、しっかりと竹谷を見据えた。
「私だけ仲間外れはお断りだ」
「……繊細なんです」
正直な話、竹谷に七松を止めるだけの技術はない。ならば少し触らせてすぐに引き離せばいいのだろうが、あやめが怖がっているなら何が何でも止めねばならなかった。
それが伊賀崎にも伝わったのだろう。あやめから体育委員をうまいこと離し、何かを話している。
「繊細も何も獣だろう。どうしてそこまで過保護になる」
「彼女を獣と言うなら、余計に触らせることは出来ません」
そこまで言えば、七松はやっぱり首を傾げてみせる。心底納得いかないというような表情だ。
「竹谷、お前はあれを人間のように言うのだな」
「人の言葉を細かく理解するのならば、そうなるのも仕方ないことです。それに、彼女は特別なんです」
特別。そう表現しても七松や事情を知らない他の人間に、そんなことが分かるはずもない。けれど竹谷はその辺りを譲るつもりも妥協するつもりもなかった。
「ふうん」
だがやはり、七松の細められた目にどきりとする。竹谷は改めて腹の底に力を込め、掛けられる威圧に耐えようとしたのだが。
膝裏に軽く衝撃を受けてがっくりと地面に膝をつくことになってしまった。何だか色々台無しである。
「……何するんですか!」
しかも犯人は、守ろうとしたあやめだった。彼女は真剣に七松に向き合う竹谷に、不意打ちのひざかっくんを食らわせたのである。
竹谷がそう憤っても、あやめは軽く首を傾げる程度だった。それはもういいよ、と言っているようにも見える。
「何だ、触らせてくれるのか」
その虎の反応に七松自身も気がついたのだろう。一応お伺いを立てる。あやめはそれに答えて、竹谷の後ろから七松の前へ出て行った。
そうして少し悩んだ後、触りやすいようにだろうか。正面からではなく、身体の側面を七松へと向ける。それに驚いたのは、平だった。
「本当に人の言葉を理解しているんですね」
「だから言ったでしょう。彼女は人を襲いませんって」
「だがそう簡単に信じられるわけがないだろう。虎だぞ。虎。肉食なんじゃないのか」
「彼女は人間なんか食べません」
言い合いを始めてしまった平と伊賀崎を気にもせず、七松はそっと白い虎の背に触れた。大きい身体はそれに動じることなく、ほとんど動きもしない。人に飼われていない動物には有り得ない反応だ。
「竹谷、これは本当に生物委員会で飼っていないのか」
「飼ってはいないですけど、付き合いは長いです」
思ったよりも優しく触れた手に、竹谷は一先ず安心したらしい。だが七松はあっさり大きな爆弾を落としていく。
「それにしたって、人に懐いてるな……どこかの忍の虎という可能性はないのか」
「な、何てこと言うんですか!」
「だってそうだろう。小さな頃から育てているのならいざ知らず、ここまで大きな獣がそう簡単に人に慣れるものか」
七松が言うことは全くもってその通りだった。虎があやめであると知らないものなら、そういう可能性を考えるのも仕方がない。
しかしあやめはもう呆れるしかなかった。人間を疑うのは分かる。だが動物まで疑って掛かるとは何事だろう。忍というものを詳しく理解していないあやめには、七松の言っていることが理解できない。
反論しようとした竹谷に軽くじゃれつき、七松の手から逃げるように離れる。疑われているのに側にいる必要も、触らせることだってしたくない。
「怒った……」
ぽつりと金吾が漏らした言葉の通りだった。
「なんだ、もう終わりか。しかしお前は本当に頭がいいな」
しかし怒らせた七松自身は気にしていないようだ。あんなことを言ったにも関わらず、褒める言葉も口にする。だがそれは、純粋な感想だったのだろう。
「ここまで私の言葉を理解しているとなると、人に飼われているというよりかみさまみたいだ。白いし」
「白いしって」
誰かが七松の反応に、呆れたように返した。けれど本人はそんなこと全く気にしない。
「何を言う。白い獣は神の使いだ。狩ってはならんのだぞ」
七松は離れたあやめにもう一度近づくと、今度は思いっきり抱きついた。これは竹谷もあやめも予想だにしないことで。回避するなんてことは、全くもって不可能だった。
「万が一狩ってしまったら、狩人は白い獣を山へ返す。それが決まりでな」
抱きつかれて固まった虎を話しながら撫で回し、満足するとあっさり放す。あやめはやはり怯えたように竹谷の後ろへ隠れた。耳がたれている。尻尾にも元気がない。
「なんだ、本当に繊細だなぁ」
「な、なな、何してるんですか!!」
「いやー、長次たちにも見せたい。よし、学園に連れてこう!」
「だ、駄目です。絶対駄目」
「きっと喜ぶ。頭がいいなら文次郎と交渉して、飼えるように予算を増やしてもらえばいいじゃないか!」
「いやだから連れて行きませんってば!」
七松と竹谷の話はなかなか噛み合わない。それを見かねた平がそろりと手を上げた。
「七松先輩、」
「おう、なんだ滝夜叉丸」
「そろそろ戻りましょう。夕飯の時間になりますよ」
「もうそんな時間かー」
そう言いながら虎に向けられた視線は、諦めてなんていなかった。その眼力にあやめは小さく跳ね上がって、大きな白い身体をどうにかして竹谷で隠そうとする。
「伊賀崎が怒りで爆発しそうですし、何より学園には用意がないじゃないですか。混乱します。今日は諦めてください」
「……そうか。つまらんな」
だが平の言葉に納得はしたようである。本当につまらなそうに肩を落とすと、突然竹谷と肩を組んだ。
「じゃあ次の機会にしよう。竹谷、用意はしておけよ!」
心底楽しそうにそう言うと、七松はいけいけどんどーん!と走り出した。平や竹谷たちのやり取りを傍観していた体育委員も、慌ててそれを追いかけようとする。
「あの七松先輩が諦めるとは思えませんから、覚悟なさった方がいいですよ」
平は竹谷に、恐ろしいことを言って後輩たちを手招いた。呼ばれた彼らは立ち去る前にもう一度ずつあやめの頭や身体なでると、少し名残惜しそうに走っていく。
「じょ、冗談じゃない……」
竹谷の小さな呟きに、伊賀崎とあやめは声には出さなくとも心の中で同じことを考えていた。
...end
七松小平太が暴君過ぎて虎もタジタジ。切れそうな伊賀崎は次屋と時友が抑えていました。
20120822