「わ!」
嬉しそうに顔を綻ばせる伊賀崎孫兵に、虎の姿のあやめは少し得意気にしてみせた。心なしか嬉しそうな目に、竹谷が笑いを堪えている。
虎としての動きはそこそこ慣れてきたようで、あやめは彼らから離れると、思うように走ったり飛び跳ねたりする。その度に孫兵は小さく声を上げて喜んでいて。それを眺めながら竹谷は思う。
彼女が元の世界に帰りたいのは理解できる。でも出来るなら、可能な限りこの場に留まって欲しいと。



ぎゅうっと虎の首から離れない孫兵に、竹谷は苦笑いするしかない。あやめも少しは困っているようで、尻尾が力なくへたっている。けれど自分からは動かないようだ。彼女の身体は大きくて、人間にはない鋭い爪も牙も存在している。おそらく下手に動いて怪我をさせてしまうのが嫌なのだろう。
「孫兵、困ってるだろう」
「……ジュンコも連れてくれば良かった」
竹谷の言葉を聞いているのかいないのか、孫兵はそんなことをつぶやいた。
その途端、あやめの身体が小さく跳ねる。ジュンコは毒蛇だ。噛まないように躾けられているとはいえ、怖いものは怖い。
特にこの虎のままでは、ろくに対応することも出来ないだろう。動いてジュンコを潰してしまいましたなんてシャレにならない。それについては一番初めに竹谷が言い聞かせたのだが、どうも納得できていないようだ。
「ジュンコにもあやめさんを見せてあげたいです。ジュンコは赤いから、あやめさんの白に良く映えると思うのに」
うっとりと話す孫兵は本気である。竹谷はため息をついて、けれどもう一度あやめの意思を伝えることにした。
「孫兵、桐野さんは動物としての本能の方が強く出ることもある。だからジュンコは特に危険なんだ。潰さない自身がないって、本人も言ってたぞ」
すると孫兵は虎の首に回していた腕を外し、あやめと目を合わせる。そうしてとろりとした笑顔をこぼして、今度は正面から抱きついていく。
竹谷は完全に蚊帳の外である。あやめはされるがままだ。
「あやめさん、あやめさん、どうせならこのまま学園に来ればいいのに」
「おーい、こっち向けー」
竹谷の呼びかけに、あやめだけが喉を鳴らしてみせた。


「さて、そろそろ時間だ」
そう言った竹谷に、孫兵は小さく頷いた。恐らくまだこの時間を楽しみたいのだろうが、余り遅くなるわけにはいかない。あやめも大きく伸びをすると、くるりと人間の姿になった。
「いつも思うけど、早いもんだね。動物になったからって時間の経過の仕方は変わらないはずなんだけど」
あやめはそう言いながら、懐から出した杖を軽く振る。人避け魔法の解除だ。変身するところを見られたら大変なことになると、あやめはこれを欠かさず掛けることにしている。一応この場所は人が通るような場所ではないのだが、念には念を。
「ぼくもです。また来てもいいですか?」
そう言う孫兵にあやめも嬉しいのか、緩みきった表情で約束を交わした。竹谷はそれを仕方なさそうに眺めて、それから彼らの元へ一歩踏み出そうとする。

竹谷八左ヱ門は忍だ。忍は普通の人間よりも聴覚などの五感が優れているものが多い。それは味方に情報をもたらす為でもあるし、自身の身を守るためでもある。
そして竹谷は、その五感が忍のうちでも優秀であった。それは彼自身の才能もあり、そして獣と過ごすことが多かったその生活から来ているものあるだろう。
だからこそ、竹谷は気がついた。この近くに自分たち以外の人が踏み入ったことを。

「っ、桐野さん!」
声はそう大きくはなかった。けれどその切羽詰った声色に何かを感じたのだろう。あやめは一瞬迷って、けれどすぐさま姿を変化させる。
近くに足を踏み込んだ者が学園の関係者だと不味いからだ。疑われていたあやめは一応、ここには近づいていないはずなのだから。勿論彼女は姿を消す呪文(これは子供だましのようなレベルのものではあるが)を習得はしている。だが気配を消すことは出来ない。故に、気配を察知されて見つかってしまったときのことを考えれば、姿を変えてしまったほうがリスクは少ないはずだ。
孫兵はそっとあやめの首に腕を回す。がさりと近くの草が音を立てた。
「誰だ」
竹谷は孫兵とあやめを背にし、動いた草むらにそう問う。出来るなら、学園に関係ないものであって欲しい。三人の心は一つだったのだが。
裏裏山で遭遇する人間が、学園関係者でないわけがないのだ。
「あれ、竹谷先輩?」
現れたのは無自覚方向音痴の異名を持つ、三年ろ組の次屋三之助だった。


...end

体育委員会フラグ
20120813
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