ぶわりと膨れ上がる体に、変化する髪の色。美しい白の毛皮。ぐっと伸ばされた背は美しく、見るものを圧倒させるその外見。瞬く間に人間から動物へ変化する様は、恐らく何度見ても慣れることはないだろう。
俺はそんな桐野さんを見つめながら、思わず感嘆の溜息をついた。こんな美しい獣の観察なら何日でもしていられると思う。少し体つきは細いが、彼女自体から相当影響を受けると聞いたから仕方のないことかもしれない。
「野生並みになるにはそれこそ筋肉ムキムキにならないと無理じゃないかな。私には無茶な注文だよ、竹谷くん」
そう笑っていたのは記憶に新しい。
「……きれいですね」
俺がつぶやけば、それを聞いていたのか桐野さんはぐりぐりと頭を寄せてきた。
しかし本当に素晴らしい。白い毛皮は汚れもないし、爪も牙も痛んでいるところは見えなかった。元が人間だから当たり前かもしれないが、理解していても自分の常識で動いている部分がなかなか付いていかない。
桐野さんが人の姿をしているときに撫でても問題ないと言われていたから、遠慮なく触れさせてもらう。恐る恐る耳の後ろを撫でて、ゆっくりと喉の辺りまで下ろしていく。
視界に鋭い牙がちらつきはするが、恐怖はなかった。これが本物の野生の獣なら、こんなことは絶対にできないのだけれど。
「少し走ってみますか?」
自分の問いに彼女は小さく頷いて、跳ね回り始めた。それは走ってるって言わない、と口をついて出そうになるが堪える。本人が楽しそうなら水を差すのも悪いだろう。
勿論、今の桐野さんは動物である。だから一応人間の言っていることが理解できても、話すことは出来ない。だがこの外見で人の言葉を話したら、ちょっと色々アウトだろう。それはこのままでいいのかもしれない。しかし意思の疎通が言葉で出来ないのは不便だ。
そんなことを考えながら跳ね回る姿をぼんやりと眺めていると、彼女は突然足でももつれさせたのか、地面へと転がった。それには俺も驚いて駆け寄るが、怪我をしても捻った様子もない。ぱちぱちと瞬きを繰り返しているのを見ると、本人もどうして転んだのか分からないようだった。
「大丈夫ですか?」
白い虎は俺の問いに、自分の身体を簡単に調べ始める。そしてどこも痛めていないのを確認すると、一つ大きく跳んで離れてしまった。
その際に、再び身体の形が変化する。
「桐野さん?」
「や、なんか変な感じ。頭で考えてるのと、身体の動きにズレがある気がしてならない」
桐野さんは軽く腕や足を動かしている。その変な感覚でも残っているのだろうか。
「やっぱり虎と人間の仕組みはかなり違いますから。もしかしたらそういうところで、何かが違うのかもしれませんね」
「うーん、やっぱり慣れるしかないのかな」
ぐっと伸びをしてみせる桐野さんに、そっと近づいてみる。彼女はそれに特に気にすることなく、今度は屈伸を始めていた。
「あ、ところで竹谷くん。虎の時の動き、どこか変なとこはなかった?」
「ええ、今のところはなかったです。肩の方は大丈夫そうですか?」
「うん。良く効く薬も貰ってるし、効果は少なくても癒しの呪文は掛けてるから」
桐野さんの肩に、包帯はない。虎の姿で受けた傷だからそう深くなかったと聞いてはいても、やはり心配なものは心配だった。痕には残ったりしていないだろうか。
「……もう、ちょっと、そんな顔しないでよ。痕には残らなかったし、残っても大丈夫だって言ってたでしょう」
「え、顔に出てます?」
「出てる出てる」
二人で視線を合わせて、小さく笑う。
「あ、そうだ」
そこで俺は、孫兵に言われていたことを思い出す。
「そういえば、ここに孫兵を呼んでも大丈夫ですか?」
すると桐野さんは一瞬きょとんとした。けれどすぐにまた笑い始める。
「伊賀崎くん、来たいって言ってたの?」
「はい。桐野さんの具合を聞かれたのでついでにこのことを教えたら、是非自分も、と」
その勢いは桐野さんにも見てもらいたかった。どれだけ楽しみにしているか、あの様子を見れば一度で分かると思う。
「大丈夫。伊賀崎くんがあの姿を怖いと思わないなら、大歓迎」
学園で療養していたときに不審に思われていただろう桐野さんは、町へ戻ってからやはり調べられていたようだった。だが六年生ですら何も出てこなかった状態に、孫兵が庇った「山奥から出てきた」というのを信じるしかなくなるだろう。桐野さん曰く、本当に沸いて出てきたようなものだとつぶやいていたのは記憶に新しかった。
三郎が「あの人かなり変わってるよな」としみじみ言っていたのは少し気になるが、このまま何事もなければ何の問題もない。恐らく今ここに孫兵を連れてきても、誰も不思議には思わないはずだ。
もう一度くるりと姿を変えた桐野さんが、今度はひっくり返った。どうやら虎の体に慣れるのは少し先のことになりそうだ。


...end

虎になる練習中
20120810
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