それは今の私にはまさに救世主だった。にゃんと一つ鳴いて足元に擦り寄ってくる猫は、クロ助だ。また抜け出してきたのだろうか。伊賀崎くんが嘆いているのが目に見える。
「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
ひょいっとクロ助を抱き上げようとしたのだが、そうだ、片方の腕では出来ない。仕方ないのでしゃがんで話しかけることにした。
「良く医務室にいる髪がふわふわしてメガネを掛けた乱太郎って男の子、見なかった?」
おそらくクロ助も分かるはずだ。伊賀崎くんがこっそり連れ込んできたときに、乱太郎くんもその場にいたのだから。
まあ知らなかったら知らなかったで仕方がない。人がいる場所へでも誘導してもらおう。こうやって散歩という脱走を繰り返しているみたいだから、少なくとも私よりはこの学校の敷地内は詳しいに違いない。そうであってください。
クロ助は一つ鳴いてみせると、私に背を向けて歩き出した。どうやら心当たりがあるらしい。
「案内よろしくね」
可愛らしく歩く猫の後を、ゆっくり付いていく。クロ助は時折こちらを振り返り、付いてきているかを確かめている。言いようのない可愛らしさだ。しかしクロ助からすると、どちらかといえば放っておけない仲間として見られている気がしてならない。そのうちネズミとか献上されそう。
クロ助は特に通りづらい道を辿ることなく、するりと建物の中に入っていった。この迷いの無さは、本当に居場所を知っていてくれているらしい。
にゃーという鳴き声を上げて、彼はある扉の前で止まった。どうやらこの中に居るようだ。
「……この中?」
一応尋ねてみるが、クロ助はその場から動かない。おそらく確かめてみろということなのだろうけど、勝手に開けて大丈夫なのだろうか。何度か開けるか開けまいか迷って、ふと、声を掛けてみればいいことに気がついた。
そうだよね。別にわざわざ入らなくても乱太郎くんに接触できればいいわけだし、他に人がいるなら呼んでもらうのが一番だ。
「よし、」
すみません、という言葉は、声になってくれなかった。
「何か御用ですか?」
目の前の引戸が突然開いて、中から人が顔を覗かせたからだ。
「!!!」
心臓に悪いとかそういう問題ではない。目の前に、いきなりでっかいトカゲの剥製をぶら下げられた時くらいの衝撃だった。
「あ、えっと、驚かせちゃいました?」
「ちょ、ちょっとびっくりしただけです。大丈夫」
優しそうな目にふわふわした髪。そして竹谷くんと同じ忍者服の色。なんか見たことがある気がする。
すると相手も何か感じたようだ。彼はちらりとクロ助のほうを見た後、閃いたかのように口を開いた。
「討伐と熊に巻き込まれた人」
一体どういう伝わりかたしているんだ私は。ある意味正しいけど、もう少し言い方ってものがあるんじゃないかな!
「あ、すみません」
「い、いえ……あ、もしかして」
ふと閃く。私が竹谷くんと同じ色の忍者服を見たのは一度きり。しかもそれは実習帰りの竹谷くんと言葉を交わしたときしかない。するとこの子は多分。
「実習帰りに竹谷くんと一緒にいた」
遠目で顔まで詳しくは確認できなかったが、こんな髪の色の子がいた気がしないでもない。
「竹谷くん?……あ、ああ、あの時の!」
どちらもうろ覚えだったようだ。だが相手が竹谷くんの知り合い、いや、友人なら多少気が楽である。変な風に探られることもないだろう。用事は早めに済ませなければ。
「あの時は引き止めてしまってごめんなさい。ところで、ここに保険委員の乱太郎くんっていますか?」
「え、」
その言葉で目の前の少年は固まってしまった。あれ、私なにか変なこと言っただろうか。しかし思い返しても、それほどおかしなことを言った覚えはない。けれど彼は何かを悩んでいるようだった。長くなるのかな。ちょっと覗ければそれでいいんだけど。
すると悩む少年の腰の辺りから、ひょっこり知った顔が出てきてくれた。
「不破先輩、一体何を悩んで……あ、あやめさん!」
「きり丸くん!」
中から飛び出てきたのはきり丸くんだった。怪訝そうな表情が、私だと分かった途端に明るく変わるのが嬉しい。もうなんていうか、すごくきゅんとする。
それにきり丸くんは乱太郎くんと友だちのようだから、中に居るならすぐに呼んでくれるだろう。そして未だ悩んでいる彼は不破くんというのか。一応覚えておく。
「こんなとこまできて、どうしたんすか?」
「うん、運動ついでに乱太郎くんを探してて。善法寺くんから頼まれごとを請け負ったの」
ほら、と渡された紙を見せると、きり丸くんは納得したように頷いた。
「分かりました。呼んで来ます……でもよくここに居るって分かりましたねー」
どうやら本当に居るらしい。クロ助の案内は正しかった!
「それはもう、優秀な案内人がいたからね!いや、人じゃないから案内猫?」
ほら、とクロ助へ視線をやれば、随分得意そうにお座りしている。後でお礼に好物でもあげたほうがいいのかな。
「猫に案内って、」
きり丸くんは一度クロ助を見て、それから私を見る。こちらが本気で言っていると分かったのだろう。不思議そうにしながらも、ぽつりと言った。
「でもまあ、あやめさんならあるかもしれないっていうのが」
これ位の不思議なことについては、考えるのを諦めている節がある。一番最初の花を咲かせたときに、いろいろ察するものがあったのかもしれない。聞いてはならない的な意味で。
「うーん」
そして不破くんは、まだ何かに悩んでいた。
「きり丸くん、えっと、」
「ああ、不破先輩!」
気になってそちらを示せば、きり丸くんは早速声を掛けてくれた。後輩に裾を引っ張られて、ようやく迷いの何かから抜け出したようだ。
「え、」
「不破先輩、ぼくが乱太郎呼んでくるんで、あやめさんのことよろしくお願いします」
「ええ!?」
もしかしてこの不破くんって子は、私を不審者的な感じで見ていたのだろうか。考えてみれば竹谷くんは私のことを話してないだろうし、そういう反応もありといえばありである。
「あ、すみません。その、つい悩んじゃって」
「いえいえ、お構いなく」
何となく、何に悩んでいたかは聞かないことにしよう。変な風に会話をつなげて、変なことを言ってしまったら大変だ。
「えっと、きり丸とは仲がいいんですか?」
「あ、はい。きり子ちゃんの時に色々手伝うことがありまして。それで」
会話が止まる。き、気まずい。すごく気まずい。そして不破くんも困っている。当然だ。知らない人と突然二人きりにされたら誰だって気まずくなる。
「えーと、あの、あやめさん?」
「あ、はい」
名前を呼ばれて肩が跳ねる。
「こんなこと聞くのはどうかと思うんですけど、その」
向けられた視線は疑うというより、純粋な好奇心だと思う。
「八左、竹谷とはどういう関係なんですか?」
「……ゆ、友人?」
さすがに善法寺くんたちに言ったような、先生生徒とは言えなかった。でも一番近いのはこれだと思う。保護者と迷子というのが一瞬浮かんだ気がするけど、気の迷いです。


...end

怪我したあやめを抱えた竹谷が、血相変えて学園に飛び込んできたのが噂になっているようです
20120727
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