桐野さんは会う度に、魔法について教えてくれた。彼女の世界は信じられない出来事であふれていて、けれどそれを疑うことなんて出来ない。
何の変哲も無い木の棒から放たれる不思議な力。厚い布は空さえ飛んで、紡がれる呪文で傷が癒える。そんなもの目の当たりにして、疑えと言うほうが無理だと思う。
そんな中で俺が興味深かったのは、魔法生物という生き物。蛇と話せるパーセルタング。そして、動物に変身できる力。
桐野さんは人によってどんな生き物になれるか、なってみなければ分からないと言っていた。そしてそれは恐ろしく難易度が高く、世界でも数えるほどしかその魔法を扱える人がいないとも。
その時に尋ねたことがある。
「桐野さんは何になれるんですか?」
「あーうん、私はね、本当は鳥になりたかったんだよ。こっそり鳥になって、自分で空を飛んでみたかった」
「……へえ」
「でも私の動物もどきはそうなれるもんじゃないんだ。変身したらそれこそ、ガチで命の危険が迫る」
答えははぐらかされた。その時は不満だったけれど、そうした意味がようやくわかる。
これは隠すべき事柄だと。そしてそれを見ることが出来たことに、身体の芯から震えが走る。


――彼女は、虎だった。


桐野さんを狙った熊の気を自分に逸らせて、どうにかするつもりだった。俺は忍たまで、杖を飛ばされた彼女は一般人。どう考えてもここは自分が引き受けなければならない。しかしこちらは何の対策もしていない人間。勝てるかではなく、どうやって孫兵と桐野さんを逃がすか。
その判断をしようとした瞬間、熊が引き倒されたのだ。後ろから現れたのは、仲間でもなく人ですらない。書物でしか見ることのなかった虎が、そこにいた。
驚いたとかそういう問題ではなかったと思う。呆気に取られて動けなかったと言うほうが正しい。だってまさか目の前で、虎と熊の爪や牙のぶつかり合いを見るなんて思いもしなかったのだから。
「た、竹谷先輩!!」
けれど孫兵の、悲鳴じみた呼び声で我に返る。そうだ、呆気に取られている状況ではない。これは恐らく桐野さんで、そう、虎であっても元は人なのだ。
熊が虎の肩口に噛み付く。その瞬間、とっさに持っていた小刀を振りかざす。普通の刀を持っているべきだったと思ってもどうにもならない。これで何が出来るかだ。



結果として熊は、隙をみて人に戻り、杖を振った桐野さんに倒された。
杖の先から光が飛び出して当たって、まるで糸が切れたように獣が崩れ落ちる。桐野さんもまた、がくりと膝をついた。
「桐野さん!」
「や、これホント痛いね。気が遠くなる。マジ泣ける」
近づかなくたって分かった。肩口が血に濡れている。虎の時に受けた傷が、人にも受け継がれているのだ。
「っ、止血を、」
「いやー、私としては、それより、伊賀崎くんが、」
痛みが酷いのか、途切れ途切れに紡がれる言葉に血の気が引く。これは早く学園に戻らなくてはならない。
「孫兵、」
「せ、んぱい、一体、今の、」
動揺している。当たり前だ。何の説明もなしにこんな状況に遭遇すれば、動けなくなるなんて当たり前のことだ。
「孫兵、説明は必ずする。だからここであったことは、できるだけ黙っていてくれ。――頼む、」
人が虎に化けるなんて、普通は考えないだろう。でも目の前で見てしまえば、どんなに否定していても信じざるを得ないのだ。それは、どんな人間でも。
「わ、わかりました」
頷いたことを確認して、桐野さんを抱え上げる。すると側に、例の狼が来ていることに気がついた。
「に、げろって言ったのに、ね」
桐野さんは少し笑って、あんなに警戒心をむき出しにしていた狼をそっと撫でた。怪我してふらふらした狼の方も、それをじっと甘受している。
ああ、そうか。この狼もまた、ただの人ではない彼女を目の当たりにしたのだ。もしかしたら、獣同士で意思の疎通をしていたのかもしれない。
「桐野さん、……桐野さん?」
ふと力の抜けた腕にぞっとする。表情を見ようとを覗き込めば顔色は真っ白で。息をしていることが、唯一、安堵できる彼女が生きている証しだった。


...end

傷は浅くとも、馴れていない怪我に死にそうだと思う
20120714
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