「お、狼どうしたんですか?」
きり丸くんと同じくらいの大きさの子どもが、おろおろしている。倒れて動かない獣は気になる。でも近くに私という知らない人がいる。どうすればいい!?みたいなことになっているのだろうか。
伊賀崎くんも何が起こっているのか分からないようで、私と狼を交互に見ている。出来ることはやりました。あとは竹谷くんに任せよう。
「というか、この子運べる?」
眠っていると教えれば、竹谷くんは戸惑うことなく大きな毛玉に駆け寄った。でもここで治療は出来ないだろう。きっと学園へ連れて行くのが一番いいのだろうが、これは一人では運べない。
「運ぶのも、私がやろうか」
「さすがにそれは不味いでしょう」
「でもその方が早いと思うよ」
竹谷くんが調べる手を止めて私を見た。
「それは駄目です。人なら学園から呼んできます。……こいつ、どれくらい寝ててくれますか」
「うーん、日が暮れるくらいまでは余裕だと思う。これ」
こん、と杖を叩いてみせる。
「使ったから、どんなに動かしても時間が経たないと起きない。だから運ぶときもそう警戒しなくて平気」
少し丈夫な布に包んで、何人かで運べば解決だ。ここに竹谷くんだけなら、マットにでも包んでそのまま持っていけるのだけれど。でも途中まではいけるんじゃないかな。
しかし近づいてみると、本当に大きな狼だ。私の世界の日本ではすでに絶滅したとされているから、興味深い。
「ところで怪我は平気そう?」
「一応血は止まったみたいですが、こいつの体力が持つか心配です。……起きたら起きたで暴れるのは避けられないでしょうから」
「その度に眠らせるわけにもいかないからねえ」
何となく二人で顔を見合わせる。でも助けられる可能性はゼロというわけではないのだ。きっと竹谷くんは出来る限りのことをして、この狼を助けようとするだろう。
「じゃあ、ちょっと学園から人を呼んできます。孫兵、この人が一人で勝手に帰らないように見ててくれないか」
「え、あ、はい、分かりました」
「えええ、なにそれ」
竹谷くんは私の反応に苦笑してみせる。だが伊賀崎くんに言った言葉を撤回するつもりはないようだった。
頼もしい先輩である竹谷くんに頼まれた伊賀崎くんは俄然やる気だ。いつの間にか裾をつかまれている。
「三治郎たちも戻って、狼を受け入れる用意しておいてくれないか。あとは運ぶだけだからな」
相変わらず少し遠巻きに見ている子どもたちに竹谷くんはそう言って、来た道を共に素早く引き返した。三治郎と呼ばれていた男の子は、狼の方をちらちら気にしながら戻っていく。
「先手を打たれた気分だ」
ぽつりとそう漏らせば、伊賀崎くんが自分を見ていることに気がついた。
「一体何されたんですか?」
「ん?」
「あの一瞬であの警戒心の塊みたいな狼を、どうやって眠らせたんですか」
この場合、私はどうやって返してあげればいいのだろう。さっきのパーセルタングのように、おまじないだとかそういったものでいいのだろうか。だがさっきの反応を見るに、それで誤魔化しきれるとは思えない。随分年下とはいえ、彼もまた忍者の卵なのだろうから。
うーんと悩みながら何となく狼の側に寄る。そうしてそっと、その背を撫でた。しかしこうやって再確認すると相当酷い怪我だ。これは人にやられたというより、もっと大きな獣にやられたような。大きな、獣?
「伊賀崎くん」
「……はい」
「この狼、一体何にこんな風にされたと思う?」
「……」
何となく私たちの視線が絡んで、そうしてきっと、二人とも大体同じことを考えたはずだ。
「一番可能性があるのは、その、熊……ですかね」
「だよねー」
その予想が外れていないとすれば、そしてもしこの狼がその襲撃者から逃れている途中だとすれば。正直ここに居続けるのは危険極まりない。ついでにこの狼を眠らせたままというのも不味いだろう。襲ってやってくださいと言っているようなものだ。
「これは嫌な予感。早く竹谷くん来ないか、」
遠くで草木の揺れる音がした。とっさに伊賀崎くんを引き寄せる。杖を上げて守りの体制に入ろうとした瞬間だった。
「桐野さん」
木の上から降りてきたのは、丈夫そうな布を抱えた竹谷くんだった。
「なんだ、竹谷くんか……随分早かったね」
飛び上がった心臓を宥めてそう声を掛ける。竹谷くんは小さく頷いた。
「ええ、近くにいた友人に声を掛けてすぐに戻りましたから。手伝いもそう掛からず来るはずです。……早めにここを離れましょう」
どうやら彼もこの狼の怪我に何か思うところがあるようだ。手早く用意を始める。伊賀崎くんも慌ててそれに加わった。何も出来ない私は、そわそわとその様子を見るだけだ。
遠くでもう一度、草木が音を立てた。
恐らく竹谷くんの友人たちだろう。これで心置きなく学園から帰ることができる。何というか、随分濃い二日間(くらい)だった。
「え、」
伊賀崎くんが小さく声を上げる。その視線の先にいたのは、紛れもなく、腕を振り上げた熊にしか見えなかった。
「っ、」
ほぼ反射的にだろう。まず動いたのは竹谷くんだった。作業の手を止めて、側に居た伊賀崎くんを抱えて後ろへと飛ぶ。私はすぐさま杖を構えると、自分へと守りの呪文を唱える。次に狼へ。
しかしまさかこの熊、わざわざ獲物を追いかけてきたのだろうか。随分執着心の強い獣である。
守りの呪文を掛けたとはいえ、そのまま眠らせておくのは危険だろう。もう一度杖を振って、老いた狼を起こしてやる。すでに少しは動けるようになっているはずだから、この場所から少しでも離れてくれればいい。
けれど狼が起きたかどうかを確認することは出来なかった。熊は何を思ったのか、最初の一撃の照準をこちらに絞ったのだ。
「げ、」
振り上げられる腕にこちらも応戦し、失神させようと杖を振る。だが少し、熊の方が早い。
守りの呪文のおかげで爪は届かなかったものの、衝撃までは吸収してくれなかった。杖が手から離れて遠くへ飛ぶ。ここは万全の守りで固めるべきだった。
でも仕方ないだろう。私はこんな、とっさの判断が必要な状況に陥ったことが無いのだ。生まれてこの方、命のやり取りなんてしたことなんてなかったのだから。
だから、竹谷くんが熊の気を引こうと何かを投げたのが妙にゆっくりに見えた。でもきっと、死の直前の走馬灯とかそういうものではないと思う。これは恐らく決断するための与えられた時間なのだ。
杖は無い。でも大事な人が危ない。私には、何が出来るのか。
人がいるとか見られるとか、考える余裕なんてなかった。自分の身体が変化する。


守る術なんて、選んでなんかいられない。


...end

動物もどき
20120707
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