あれよあれよという間に小松田さんの持つ出門表にサインし、気がつけば森の中というこの状況。しかも少し顔を上げれば、そこには真剣な竹谷くんの顔がある。
これ、あんまり人に見られていいような体勢ではない気がするのは私だけなのだろうか。それとも私が純粋じゃないから?これ竹谷くんのこと好きな子がいたら、絶対勘違いすると思うんだけどな。
伊賀崎くんも特に気にしてはいないようだ。まあ彼は医務室前での会話からして人間よりジュンコちゃん(という名の蛇)の方に天秤が傾いているようだから、本当になんとも思っていないだろう。
とりあえず落とされないように、これ以上動かないようにしよう。体重はもうどうにもならないので、鍛錬だと思って諦めてもらいます。
森の中に入ってそう時間が経たないうちに、竹谷くんの進むスピードがぐんと落ちた。一瞬重くて疲れたのかと考えるが、視界に子どもの姿が小さく映ったのでほっとする。学校からそう遠くはないみたいだから、もしかしたらもう一度向かうことになるかもしれない。その時は今度こそ宿に帰ろう。竹谷くんが渋っても強行します。絶対します。
「三治郎!」
「竹谷せんぱぁい」
不安そうな声に私と竹谷くんは一瞬顔を見合わせる。声色に恐怖は感じないから、もしかしたらその狼の怪我は動くことが出来ないほど酷いものなのかもしれない。
私は竹谷くんに子どもたちから少し離れたところに下ろされた。そう、子どもたち。どうやら三治郎という子だけではないようだ。しかも見たところこの忍者服はきり丸くんと同じ色と模様。でもきり丸くんの姿は見つけることが出来なかった。
「あ、あそこ、あそこにいるんですけど」
三治郎であろう男の子は、どこかを示した。私からは見えないが、恐らくその先にその問題の狼がいるのだろう。そして竹谷くんはそれを、酷く難しい顔で真剣に見つめていた。
「……難しいかもしれない」
「ええ、でも、」
「見たところ相当歳を食ってるし、ここに居る時点でここまで警戒されちゃ、手当てだって難しいだろう」
男の子の顔がここからでも分かるくらいに悲しそうに歪む。それを隣りの別の子が慰めるが、これは、うーん。
竹谷くんたちのやり取りを近くで見ていた伊賀崎くんがふとこちらを見た。その視線に妙な物を感じて、とっさに、わざとらしく逸らせてしまう。これはダメだ。余計に目立つだろうに!ここは目が合ったことに驚きつつ、首を傾げておくべきだった。
自分の対応を悔やんでいると、やっぱり伊賀崎くんはこちらへやってくる。な、何を言われるんだろう。さっきも突拍子も無いこと言われてるから正直怖い。
「あやめさん、どうにかできないんですか」
ほらきたあああああ!
「どうにかって?」
「先ほど教えてくださったおまじないみたいなの、他にあったりしないんですか」
逸らした視線をおそるおそる伊賀崎くんへ戻す。少年の眼差しが痛い。本当に他意無く、純粋に聞いているのだろう。けれど情けないことに、私は癒し関連の魔法は得意ではなかった。それこそ軽く止血が出来る程度。役立たずで申し訳ない。
「いやー、さすがの私にも出来ることと出来ないことがあってだね」
「出来ることって?」
「……アハハ」
これは私の完全な墓穴である。そして伊賀崎くん容赦ないな!淡々と畳み掛けるように聞いてくるから、馴れてない私はどうしようもない。そして頼みの綱の竹谷くんは向こうに掛かりっきりで助け舟は望めないだろう。
「出来ることがあるなら、協力して頂けませんか」
ここまでストレートに言われてしまっては、知らない振りなんて出来るはずもないのだ。けれど、人と関わるというのはこういうことだろう。自分の意思に関係なく、力を使わざるを得なくなっていく。だって知っている人の負の表情なんて、見たい人間がいるはずがないのだから。
「……伊賀崎くん、」
「はい」
「私に出来ることなんて、ほんの少ししかないと思うの」
「はい」
「でもやってはみるから、あそこにいる男の子三人の気を、竹谷くんと一緒でいいから引いててくれる?」
「え?」
「お願いね」
頭の中でシュミレーションしつつ、懐から杖が包まれた布を取り出す。
彼らがあの三人の気を逸らしてくれたら、すぐさま狼の元へ行こう。警戒されようが何しようが一度癒しの呪文を掛けて、こちらに敵意がないことを確認させる。それでも暴れるようなら眠らせてしまえば、後は竹谷くんが何かしら対策を立ててくれるだろう。最終的に丸投げだけれど、私に出来るのはそれくらいだ。
布を解けば細い棒が現れて、伊賀崎くんが不審そうに私を見た。そんな視線に負けずに、自分の足へ杖を当てる。
「癒えよ」
何と言ったかは聞こえないだろう。光りもしなかったから何をしたかは分からないに違いない。でもこれで、多少動かしても平気なはずだ。治ったわけではないから、歩くのに庇う格好にはなるけれど。
「竹谷くん」
呼べば彼ははっとしたようにこちらを見た。私の手に杖が握られているのを見て、動揺するのが分かる。
「桐野さんそれは、」
「大丈夫だから、この子達と伊賀崎くんよろしく」
魔法を使っているところを見るのは、竹谷くんだけでいい。さすがに万人に受け入れてもらえるとは思えないから。
竹谷くんは私の言いたいことが理解できたのだろう。泣きそうな子と慰めていた子を抱え上げる。伊賀崎くんもその行動につられたのか、もう一人の手をとった。恐らく少し離れれば、木々に邪魔されて様子を見ることは出来ない。
すれ違う瞬間、彼らの顔を見ることはしなかった。小さい子たちは不安げだろうし、伊賀崎くんは相変わらず不審を前面に出しているに違いない。竹谷くんは、そうだな。呆れているかもしれない。だってあんなに隠すのに協力してくれているのに、こんな風に私自身が、あっさり力を使おうとしているのだから。
ちょうどさっきまで竹谷くんが立っていたところに着く。確かにそこから、くたびれた大きな毛玉が転がっている。地面が所々赤いから、何かから逃げてきたのかもしれない。
狼のこちらを見る目は鋭く厳しい。動けるなら、飛び掛られてもおかしくはないだろう。
「護れ」
杖を掲げる。
「老いた獣なら、何が最善かは分かると思うけれど」
人の言葉を理解するとは思わない。あれは人間と共に過ごして、少しずつ心を通わせていくものだと考えているから。
「でも敵意があるかそうでないかは、感じられるでしょう?」
狼が唸る。だがまあ予想範囲内だ。こちらも飛び掛られてもいいように準備しているから、信用も何も無いだろう。相手野生の動物だし。
二、三メートルのところで立ち止まり、狼を見据える。そうしてしっかりと杖を向けてひとこと。
「癒えよ」
ぼんやりと、狼の身体が光った。血は止まり、痛みも多少なくなったことだろう。まあ、野生で手負いの動物がそうなったら、この後取る行動は一つしかない。
飛びかかろうと構えてきました。
「はい、眠れ!」
動かれて面倒なことになる前に、さっさと眠ってもらう。がっつり強制的に睡眠をとってもらって、あとはどうにかしてもらおうか。
...end
「竹谷くーんもういいよー」
「だ、大丈夫でした!?」
「うん、一応竹谷くんに掛けたのと、無理やり眠らせてみた。結構警戒してたから、世話するのは難しいと思うよ?」
「いえ、ここまでやってもらって、俺が何もしないわけにはいきませんよ」
20120707