「あやめさん、あやめさん!」
遠くで声がする。軽く揺さぶられるが、こっちはまだ眠いのだ。もう少し寝かせて欲しい。
そもそもこの時代の朝は早すぎる。私は夜更かしの癖がなかなか抜けないから、睡眠時間が足りないという事態に陥っていてだな。
「キリ丸、無理に起こすな」
「でも……」
うっすら覚醒を始めた頭に届いた第三者の声。きり子ちゃんじゃない。誰だ。
知らない声に脳内が危険信号を発して、私の目がかっと見開く。すると目の前にいたのはきり子ちゃんだった。彼女は突然目を開いた私にぎょっとしている。すみません、驚かせて。
「だ、大丈夫ですか?」
「おはよう」
「この状況でそれっすか」
がっくりと項垂れるきり子ちゃんは、縛られていた。もう一度言う。縛られていた。
それに驚いて彼女に手を伸ばそうとするが、私の腕もさっぱり動かない。ワオ、こっちも縄でぐるぐる巻き。
「え、なにこれ」
「今更っすね!」
別にボケているわけではない。状況が良く分かっていないだけで。けれどこれは、そうノロノロとしていられる場合でないことは確かだ。
寝ていた理由と縛られている状態。起きたばかりでぼんやりしている頭をフル回転させる。……思い出しました。
「ああ、人攫いとエンカウント……」
「えんかうんとって何すか?」
「遭遇する、みたいな?」
「つまりあやめさんも良く分かってないと」
寝たままは頂けないと縄で縛られたまま四苦八苦して起き上がろうとする。これがなかなか難しい。唸れ腹筋!
「無理して起き上がらないほうがいいですよ」
すると少し離れたところから声を掛けられた。先ほどより少し高めの、こちらは聞いたことのある声だった。
「その声は仙子さん」
たった数回顔を合わせただけだが、あの上品な話し方と振る舞い。とても印象的だった彼女はしっかり頭に刻み込まれている。
「無事ではなさそうですが、あやめさんに怪我がないようで安心しました」
とりあえず私は起き上がるのを諦めた。床に転がったまま仙子さんのほうを向く。ごろごろする私にきり子ちゃんは呆れ気味だが、その辺りはもう仕方ない。
「仙子さんも捕まったんですか?」
仙子さんを視界に入れると、やはり彼女も縛られていた。これは確実に、最近騒がせている誘拐だと考えていいだろう。仙子さんの後ろにも、何人か女の子や子どもが項垂れている。これは何をどうやっても、脱出させなければなるまい。
だがしかし、そこで私ははたと気が付いた。
「つえ……」
そうだ、杖はどうした。縛られているとはいえいつも仕込んでいる場所に感触くらいは分かるはずだ。そのはずなのに、今は何も無い。血の気が引く。
「きり子ちゃん、私が倒れたときに木の棒落としてなかった?」
「え、ああ、そういや、落としてましたけど」
誘拐犯たちは気にもしていなかったときり子ちゃんは言う。おいマジでか。本当に落としたのか。魔法使いにとってのとても重要な武器を。
「うわあああ……」
今度は私ががっくりと項垂れることになった。そんな、そんなのってない。特にこんな状況で杖をなくすとか有り得てはいけないと思う。
「……あれ、そんなに大切なもんだったんですか?」
「すごく」
杖が無ければ出来る魔法は限られてくる。自分に危機が迫ったときには何かしら防衛反応が起きるかもしれないが、私が別の誰かを守るとなるとかなり難しい。
出来ないことはない。私には切り札がある。でもそれは、本当に切り札。元の世界でだってほとんど使わなかった。むしろ私が使えるのを知っている人間は一人たりともいなかったのだ。
しかも杖が無いこの状態では、忘却術を使うことも出来ない。そうすれば先にあるのは騒ぎと、迫害だろう。
竹谷くん辺りは喜んでくれそうだが、それは本当に片手で足りるくらいの反応だと思う。私だって魔法と言うものを知らない状態で見れば、きっと怖がる。
「だ、大丈夫ですよ。大丈夫、きっと助かりますって!ね、立花せ、やべ」
ぱっときり子ちゃんが口を噤んだ。この子だって怖いだろうに、こうやって励ましてくれる。
「ええ、大丈夫。助かるから安心してください」
仙子さんの口元も大分引きつってはいるが、出てくる言葉は安心させるものだ。彼女たちのためなら、少しくらい無茶してもいいかもしれない。
竹谷くんには悪いが、今度は遠くの土地で山にこもるのも有りだろう。とりあえずお金はそこそこ溜まっているのだ。生活はしていける。
「……うん、助かろうね」
決心して二人に同意してみるも、寝転んだままでは格好がつかなかった。やっぱり無理してでも起き上がろう。


...end

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20120510
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