潮江くんが忍者らしくこの場から消えてから、妙な空気になってしまった。中在家さんは話さないし、黒木くんも私も、なんとなくその空気に当てられてしまったようだ。声を出したら負け、みたいな。そんなことないんだけど。
中在家さんは何が気になるのか、こちらを向いたまま動かない。もしかしたら普通に立っているだけなのかもしれないが、後ろ暗いことがある私には、もうなんというか、耐えがたかった。
「ね、中在家さんこっち見てる?」
「見てる……というより、潮江先輩を待っているだけだと思いますよ」
こそこそと小声での会話に、黒木くんは乗ってくれる。不思議そうな表情はしているが、特に深くは突っ込んでは来ない。
それになんとなく和んで頭を撫でると、少し視線を外されてしまう。嫌だっただろうか。きり丸くんはツンデレっぽく、仕方なさそうに受け入れてくれるから調子に乗ってしまった。
「あ、ごめん。きり丸くんにしてるからつい……」
「え、」
「どーーーーん!!!!」
黒木くんが再びこちらに視線を合わせてくれた瞬間だった。物凄い音と土煙に、視界やらなにやらを奪われる。聞こえた声に生命力溢れるこの気配。見えないのに、確認していないのに身体が覚えている。そう、七松である。
そう理解した時点でこちらはもう、身を守る臨戦態勢だ。あの人姿を見ると基本的に一直線で飛びついてくるから怖い。
さっと視線を巡らせると、じっとこちらを見つめる丸い二つの目。その足元は少しへこんでいる。一体どこから飛んできて着地したのか分からないが、色々人間離れしすぎていてどうしよう。
「"あやめ"さん?」
じっと見られてひやりとする。別に敵意はないと思いたい。だがこの人のことだ。暴走しない保障なんて、ない。悪いもの(自分の敵認定したもの)には迷いなく仕掛けてきそうな、そういう雰囲気がある。
「……」
「……」
うっかり合ってしまった視線はそらさずに、そっと移動を開始する。とりあえず黒木くんは巻き添えにしない方向で、安全な中在家さんの背後へ逃げ込む。完璧だ。
七松の視線は、中在家さんの陰に隠れるまで追いかけてきた。ちなみに、私は中在家さんにくっ付いているわけではない。あくまである程度の距離を保ちつつ、けれどすぐに助けを求められる位置に移動したのである。
「あやめさん、どうしたんですか?」
不思議そうに黒木くんが寄ってきた。その質問に正直に答えるわけもいかず、曖昧に笑って誤魔化すことにする。
「七松先輩に何かされたんですか?」
誤魔化したのに、ストレートに言われてしまった。まあこれだけ態度に出ていればそう思うのも仕方がないが、(虎の時に)されたのだから仕方がない。
「えっ、私は何かした覚えはないぞ!」
「もそもそもそもそ」
「…………多分」
その長い間は何だろう。
「うーん、少なくとも私は覚えていない!会ったのだって、一度かそれくらいだもんなあ」
一度どころではありませんと声を大にして言いたかったが、そんなことを口に出来るはずも無く。とりあえず潮江くんが来るまで、大人しく陰に隠れていよう。
「でも、こう言ったらあれだけど」
七松は立ち去らずその場で話し始めた。黒木くんの視線の動きからして、暴君は未だにこちらを向いているらしい。
「私が初対面の長次より怖がられたのは、初めてな気がするなあ」
七松が言い終わったと同時に、中在家さんがこちらを見た。
表情は決してにこやかとは言えないし、その頬には傷もある。体格やそういうものを見れば、確かに怖いかもしれない。私も初め強面だと思ったから。
でもこの人は、見かけによらずゆったりとしているのだ。頭を撫でる時だって優しかったし、こちらの意に沿わないことは決してしなかった。少なくとも、虎の時に七松へ感じた恐怖の類は一切ない。そう断言できる。
けれどそれを正直に言うことは出来ない。私は今、「シロ」ではないのだから。
「なあなあ、どうしてだ?」
けれど七松は収まらなかった。大変興味深いです!とでも言うように、こちらへ向かってくる。
そうなればこちらも構ってはいられない。中在家さんを盾にするように七松から距離を取った。盾にされた本人は特に動かない。
「なんかこれ、前にも同じようなことがあった気がするんだけど……どこでだっけ」
「小平太に分からないことが、他人に分かるわけがないだろう」
「そうかなー」
中在家さんの近くにいるお陰で、聞き取りにくいが彼の声も聞こえる。これ以上このやりとりをするのは不味いだろうか。
「なにやってんだ、小平太」
「あ、文次郎」
中在家さんの影から顔を出す。そこには待ち望んだ潮江くんが、なにか本らしきものを手に立っていた。どうやら用事という名の本の返却はそれで完了するらしい。
これでようやく食堂へ向かえるとほっとする。そうして黒木くんの方向へ足を踏み出した。
「桐野さん!」
潮江くんに呼ばれたのは三歩目くらいだったと思う。驚いて肩が跳ねたが、足は進む。そうして足を下ろした土を踏みしめて、普通ならそこで止まるはずだった。

けれど地面を捉えることはなかった。

私の足は柔らかい何かを踏み抜いて、地面へとあっさり沈んでいく。それと同時に自分の身体も沈んでいて、ふと、言われていたことを思い出す。そうだ。竹谷くんは勿論、シナ先生、善法寺くんだって孫兵くんも言っていた。
「落とし穴や罠がありますから」
視界が揺れる。身体が落ちる。こんなとっさに受身なんて取れない。次に来るのは、衝撃と痛み。
ぎゅっと目を閉じて、身体を小さくして備えることしかできなかった。


...end

あやめさんは、七松を野生動物か何かと勘違いしているようです。
20130922
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