「……おい八左ヱ門、こいつ寝てないか?」
「ああ、寝てるな。うん、寝てる」
三郎に言われて確かめれば、あやめさんは目を閉じて寝ているようだった。虎のままでも寝られるのかと、密かに感心する。
動いても特に問題なさそうで、三郎が呆れ気味に動物としてどうなんだとぼやく。でも仕方ないだろう。あやめさんは元は人間で、しかも俺を助けるために夜中から動いてくれたんだから。きっと疲れてる。出来る限り寝せてやりたい。
そっと背中を撫でていると、三郎は再び座り込んだ。少し位置を調整しているところを見ると、多分感触が気に入ったのだろう。
「……三郎は平気なんだね」
治療が終わっていた雷蔵が、そっと近寄ってくる。善法寺先輩は救急箱や薬箱を片付け始めていた。
「ああ、私は大丈夫だと思っていたからな」
「僕も触ってみたいとは思うんだけど、やっぱり少し怖くって」
それでもある程度は近づける。雷蔵はそっとあやめさんの顔を覗きこんだ。
「しっかり牙もあるね」
「当たり前だろ。爪も結構しっかりしてるんだ」
雷蔵が俺の言葉に前足を確認して、そこで三郎を見た。
「三郎、あんまり変なことしたら駄目だよ」
「雷蔵、それは私を心配してくれて」
「シロさんだって堪忍袋の緒が切れたら、爪でペイってやりたくなるかもしれないんだから」
引っかく真似をした雷蔵に三郎は頬を引きつらせた。あやめさんはそんなことしないだろうが、「虎」はするかもしれないから否定はしない。
「兵助と勘ちゃんは触れると思う?」
固まった三郎を放置して、雷蔵が尋ねてくる。
「そうだなあ。多分三郎みたいには触れないと思う。見た目はこの通りだから……」
元が人間だと理解していても、触れないものはいる。それを知らないなら余計だろう。体育委員は恐らく、全員がちょっとずれているんだと思いたい。もしくは七松先輩と長く過ごすうちに、そういう感覚がおかしくなっていくとか。冗談だ。
「まあシロは雷蔵のこと嫌ってはないから、普通に触らせてくれるさ」
「そ、そうかな……」
「全身で拒否してる七松先輩や三郎も平気なんだから問題ないって」
「そっか、それもそうだよね」
「おい二人とも、私は起きてるんだからな」
三郎の拗ねた声に二人で小さく笑って、俺は虎の首の辺りに顔を寄せた。白い毛皮は野生ではありえないくらいふわふわしている。
「雷蔵もちょっと、尻尾の方でもどうだ?」
「……ちょ、ちょっとだけ、」
「八左ヱ門の髪よりはるかに手触りいいぞ」
「聞こえてるからな、三郎」
虎を真ん中にやりとりするその様子は、他から見れば随分おかしな光景だとは思う。
「う、うわ、凄い、生きてる生きてる」
後ろ足の方を撫でた雷蔵は、その手触りに感動しているようだった。
「なんかこうしてると、大きな猫みたいだね」
後ろから覗いてきたのは善法寺先輩だった。どうやら片付けも終わったようで、じっと虎を見つめている。
「気持ちよさそうに寝ているとこ悪いけど、そろそろ授業が終わる。生徒が入れないから、もう少し移動してくれると助かるんだけど」
全員の視線が虎に集まった。確かに言う通りだ。医務室の前にこんな大きな獣が居たら、絶対に入ってこられない。むしろ近寄ってこられない。
「……でももしかしたら人が来ない可能性っていうのもあるから、その時に考えようか」
「そうですね、どうやって起こしていいのかも良く分からないし……」
雷蔵はそう言いながら、撫でるのを止めない。
「授業の終わりの音で起きるかもしれないしな」
改めて身体を倒した三郎は、その時まで動くつもりはないようだ。
「しかし移動ってどこにするんだ?場所は八左ヱ門の部屋くらいしかないじゃないか」
それは俺も考えた。五年の長屋に連れて行くのは不安が残るが、他にいけそうな場所はちょっと考え付かない。今日と明日は授業もないし、長屋にこもってしまうというのも手ではある。ただ絶対に七松先輩辺りは突撃してきそうだけれど。
「俺の部屋は生物委員の物置みたいにもなってるから、ちょっと狭いけどそれしかないよなあ」
狭いが一人ではある。あやめさんもその方がいいだろう。でも同じ部屋に寝るのか?姿は虎だけど、確かにあやめさんでもあるわけだから……考えるのはやめておこう。
「……伊賀崎辺りも泊まりに来そうだ」
「あ、有り得る」
他愛のない話を小声でしていると、ヘムヘムの鐘の音が聞こえた。だがあやめさんは目を覚まさない。
「おい八左ヱ門、こいつ寝続けているぞ。これは獣として大問題だ」
「安心してるんだよ。余計なこと言うなって」
真剣な表情で言い放つ三郎を黙らせて、けれど確かにそろそろ起きてもらった方がいいだろう。善法寺先輩が言うように、ここは怪我人が来る場所だから。
「……そういえば、どうやって起こすの?」
「……」
「……」
雷蔵の問いに俺と三郎は口を噤む。虎の正しい起こし方なんて、一体誰が知っているだろう。
「寝ぼけてぱくっとやられない保証はないな」
あやめさんが動物もどきを使った時は、自分をあくまでも虎として扱うように言っていた。人間としての意識がそこにあったとしても、「虎」という本能はそれを押しのけることもあるというのだ。
とっさの行動に反射。普通の獣と同じように、爪で攻撃するかもしれない。鋭い牙で噛み付こうとするかもしれない。それは彼女の意思というよりも、自身を守ろうとする防衛反応なんじゃないかとあやめさんは考えているようだった。
「だって人間の時の反応のままだったら、自分が危険な目に会うかもしれないもん。そういう本能に押される状況に陥ったことなんてないから、詳しくは分からないけど」
あの時は笑いながら話すあやめさんを(どう反応していいか分からなかったので)何となく流したが、あれはもっと突っ込んで聞くべきだった。今の状況では笑えない。本当に。
「ハハハ。冗談はよせよ、八左ヱ門」
「いや、割とマジだ」
「えっ」
「えっ」
雷蔵と三郎がほとんど全く同じ顔で同じ反応をした。これは素だろうから、結構貴重だ。
「寝起き悪かったらどうしよう」
「おいそれ意外と重要なことだよな!?」
「寝起き悪いとかあるの!?」
「いや、ある。前に生物委員会の先輩の蛇が、寝起き悪くて大変だっていうのを惚気られたことがあって」
「蛇と一緒にしていいのか?」
「蛇……」
「雷蔵も前は悪かったよな」
「それは今関係あることなの、三郎」
「ふっ」
小さな笑い声に、ほぼ三人同時にその方向を見る。笑った本人であろう善法寺先輩は一度真剣に俺達を見て、けれど堪えきれなくなってしまったようだった。
「あははは」
「な、何で笑うんですか。これ重要なことですよね!?」
「ご、ごめんごめん。あのさ、真剣に悩んでいるとこ悪いけど、」
善法寺先輩の指がこっちをさした。
「シロ、困ってるよ」
ぱたり。白い尻尾が揺れた。


...end

いつ起き上がっていいかタイミングが分からなくて困っていたところを、善法寺が目撃していた図
20130804
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