「これはこれは」
「随分と大きな虎ですね」
開け放たれた襖の奥にいたのは不破くんと学園長、そうして桃色の忍者服を着た小さなおばあさんだった。
おばあさん?まさかこの人が学園長の護衛なのだろうか。これでは護衛なんてとても勤まらないように思えるのだが。
「ああ待て待て」
そんなことを思いながら板の張ってある廊下へ上がろうとすれば、さっと鉢屋にそれを阻まれた。
「足、そのまま乗ったら畳が大変なことになるぞ」
それもそうだ。森の中を走ったせいで、白い毛も土やら何やらで薄汚れている。どうするの、と首を傾げて見せれば、鉢屋は大きな布をどこからともなく取り出した。
「爪を引っ込めてこれに乗ればいい。これは処分しようと思っていたものだから、遠慮なく踏みつけろ」
さあさあと招かれるので、お言葉に甘えて布の上にそおっと乗った。足がそこからはみ出ないように恐る恐る進んで、学園長の部屋へと入る。これで二度目。
隣に竹谷くんが無言で座った。
「では学園長先生、シナ先生、人払いの方は」
「うむ、既にしてある」
「ええ、大丈夫です」
鉢屋がこちらを向いた。そうして視線が私の行動を促す。竹谷くんも静かに頷いた。
一つ深呼吸。一応すぐに姿くらまし出来るように頭の中でシミュレーションする。宿で姿現わしして、事前に竹谷くんから聞いていた離れた町へと移動する。大丈夫、大丈夫だ。


身体がぎゅっと縮むのが分かる。全体に生えていた白い毛がなくなって、前足だったものが人間の両腕になった。四足で立っていた身体は二本の足で畳を踏みしめている。
そこにいたのはもう、白い虎ではない。日本の魔法学校の制服と、ローブに身を包んだ桐野あやめだ。


「……お久しぶりです」
一応挨拶だけして、おかしな箇所がないか確かめる。耳も残っていないし、尻尾もない。よし、問題ない。
そうしていまだに自分が靴を履いたままということに気がついて、慌てて脱いで布から降りた。沈黙が居た堪れなくて布もたたみ、その上にそっと履いていた靴を乗せる。
それでも反応はない。少なくとも、言葉にはされていない。二人の表情が少しだけ怖くて、はっきり見ることができていないのだ。
「学園長先生、見た通りです。僕たちはこのあやめさんに助けて頂きました」
竹谷くんが沈黙を破った。
「恐らく原理はこちらの想像をはるかに超えるものでしょうし、知らないものからしたら彼女が人であるか疑うのも分かります。でも、」
「竹谷八左ヱ門、少し落ち着きなさい」
「でも確かに、何度も助けてもらっているんです。だから」
「竹谷くん」
桃色の忍者服を着たおばあさんが、少し強めに彼の名を呼んだ。その声にはっとさせられて、思わず顔を上げる。
「まだ私たちは何も言っていませんよ。そうね……、以前熊に遭遇したというのは、さっきの姿で撃退してくれたのかしら」
それは私への問いだった。その声に動揺は聞き取れない。
「えっと、半分は」
「半分?」
「私は確かに白い虎に変身できますけど、元々は純粋な人間です」
後ろで鉢屋が冗談だろ、とつぶやいたのが分かった。けれど誰かに咎められたようで(多分不破くんだ)いてっという小さな悲鳴も聞こえる。
「だから正直に言うと、野生と勝負したら勝つ見込みはほとんどないんです。なので熊を倒したのは、」
袖にあるのは一本の杖。普通に見ただけでは何の変哲もない、ただの木の棒。けれど私は、それを彼らに見せるつもりはなかった。そこまでは踏み込ませてはならないと思うのだ。
周りを見て、布を示す。
「これを、燃やしても大丈夫ですか?」
学園長が頷いて、持ち主である鉢屋を振り返れば彼もまた頷いた。
「ただ、畳は焦がさないで頂けると嬉しいのう」
そのごく当たり前な注文にこちらもしっかりと頷いた。
「浮遊せよ!」
腕を杖の代わりにして、しっかりと振る。すると布と、乗っていた靴が空中へと舞ったように見えた。しかしそれはそのまま落ちることなく、ゆらゆらと宙に留まっている。後ろで鉢屋が立ち上がって布の周りを調べ始めたが、すぐに諦めて元の位置へと戻った。
人が離れているのを十分確認して、次の呪文を唱える。
「燃えよ!」
呪文自体は単純だが、失敗はないし何よりそこそこの威力は出る。唱え終わると共に布は燃え上がり、宙に浮いたまま灰になってしまった。しかもその残りかすも畳へ落ちることなく燻っている。
その隣の靴は何の被害もないまま浮いているから妙な感じではあるが、さすがに自分の靴は燃やしたくない。浮遊呪文を掛けたまま靴は自分の手元へ戻す。
「厳密には使った魔法はこれではないですが、でも今使ったものも似たようなものです」
「……おぬしは何者かと、聞いてもいいかの」
大丈夫。隣には竹谷くんもいるし、魔法は使い放題。これを見ても冷静にこちらを理解しようとしている二人もいる。
「私は魔法使いです。自身の魔力を行使し、様々な現象を起こす……人間です」
やっていることはまるで化け物だ。けれど両親はマグルで、私だって魔法学校から入学許可証がくるまでは自分が魔法使いなんてこと知る由もなかった。成績だって下から数えた方が早いものばかりだったし、将来はマグルの世界に戻るのだとばかり思っていた。
「これは私の想像になりますが、おおよそ事実だと考えてください」
でもこの世界では唯一の魔法使いだ。人間ですと叫んでも、信じられない人は信じないだろう。
「こちらへ来る直前の生活していた世界では、私のような、いえ、もっと優秀な魔法使いが沢山いました。もちろん魔法を使うことの出来ない普通の人々も。そして私は、そういった普通の、魔法使いではない両親から生まれました」
「それはどういう?」
「魔法とは、珍しい才能のことだと思っていただければ分かりやすいかと思います。どこの人にもその可能性はあって、それが大きいか小さいか。私は普通よりも少し大きかったんです」
学園長が一つ拍子をおいて頷く。難しい話ではあろうが、まずこの世界の違いを理解してもらわなければ次にはいけない。
「世界と言っておったが……、それは南蛮やそういう外の国のことではないということじゃな?」
「はい。私のいた場所では、魔法を持たない人の前でそれを使うことを禁止されています。勿論自分自身が危険に晒された場合はその限りではないですが、どんな理由があろうとも、確実に専門の魔法使いがその場にやってきます」
そうして魔法を見たという記憶を改ざんする。
「けれどここでは、いくら魔法を使ってもその気配がない。自分以外の魔法使いを探そうにも、全く反応がない。……だからここは、私が住んでいた、育った世界自体が違うんです」
世界なんて、壮大すぎる話だ。この時代の人には余計に伝わりにくいだろうし、この相手が魔法使いだったとしても理解できるか怪しい。
「本当は、もっと早く帰れるのだと思っていて、その、竹谷くんには黙っていてくれと頼んでいたんです」
魔法使い本人が帰れるのならば、無駄に騒ぎは広めない方がいい。
「いえ、」
竹谷くんの声に驚いて振り返る。私は立ったままだから彼を見下ろすことになるのだが、竹谷くんはそれを気にせず真っ直ぐに学園長たちを見ていた。
「僕は自身の判断で、彼女のことを話しませんでした」
「え、な、」
「初めは全く理解できないものだったので報告のしようがありませんでしたが、今ではあやめさんからの説明でいくつかは理解しているものもあります」
淡々とつむがれた言葉に唖然として、けれど上手く言葉にならない。これではまるで、秘密にしていたのは自分に責任があるみたいな言い方だ。いっそ私に脅かされたとでも言えばいいものを!
「ちょ、八左ヱ門く」
「あやめさん」
黙っていてください。視線で黙らされる。この子は本当に私よりも年下なのだろうか。
「竹谷八左ヱ門、それはお前自身が関わった中でそう判断したと取ってもいいのか」
「そうです。彼女の出自の話も事実だと思います。それに僕はすでに少なくとも三度は助けられています。他の生徒で助けられている者もいるかと」
ごほんと学園長が咳払いして、私も改めてそちらを向いた。
「ではここでわしがすることは一つじゃな」


...end

会話と共に矢羽根が飛び交う室内。世界云々は事前に説明を受けていた竹谷が、頑張って伝えてくれてたら嬉しい。
でも学園長は絶対聞いてない。
20130725
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