「亜人」と呼ばれるその生物は「死なない」。人間とは一線を引いた生き物であり、人間とは分類されないものだ。億単位の懸賞金が掛けられ、捕まえたものに所有権があるだとか、とにかく人間扱いされることはなかった。捕らえられれば亜人管理委員会に送られ、それこそ地獄の日々が待っている。
家族?そんなものは居ないも同然だ。彼らは「私」が亜人だと発覚した瞬間、無関係だと「私」を差し出したのだから。
だから正直、こんなことになってよかったと思っている。
「ば、化け物!化け物!!」
「うん、そうだね。でも痛いことには痛いんだよ。痛覚は人間と同じにあるし……まあ死んじゃえば全部直っちゃうんだけどさ」
にこにこしながら近づけば、目の前の人間は震えながら後ずさりした。もう足も立たないのだろう。みっともなく地面にしがみついて、私に在り来たりな言葉を投げかけてくる。でもそれももう飽きてしまった。周りにはこれの仲間だったはずの血肉が散らばっている。その中には勿論、私のものも混じっているだろうけど。
「けどさーいたいけな少年たちを追い回す馬鹿共よりはましかと思うんだけど、そこんとこはどう思ってる?」
首や胸の辺りを血だらけにして笑う姿は、きっと想像を絶する恐ろしさだろう。しかし私はその姿をフル活用している。こういう屑には、罰を与えなければ。
「おれの仲間をこんなにしておいて、てめえがマシかだと?!ふざけるな!殺してやる!殺してやる!!殺して」
「殺せるの?」
喚き始めた人間は、私のそんなひとことにぴたりと黙ってしまった。あんなに勢いづいていたのにあっと言う間に真っ青になって、がちがち歯を鳴らしている。
ああ、そんなに怖かった?
「う、ぐ、近づくな、近づくな」
「ねえ、聞いてるんだけど」
「やめろ、やめてくれ、いやだ」
「どうやって殺すの?方法は?」
一歩一歩ゆっくり、けれど確実に近づいていく。
「殺せないよねえ」
「あ、あ、あああああ」
先ほどの光景でも思い出したのかもしれない。頭を抱えて泣き出してしまった。これ以上はもう一緒だろう。さっきの追い回されていた男の子たちも気になる。
「……殺したって、」
手に持っていた、人間から奪った刀を振り上げる。刃はボロボロでどうしようもないが、ただの人間を殺すくらいは簡単だろう。
「死なないんだか、らっ」
思いっきり、急所に突き立ててやった。返り血を浴びたくはないから、刀は刺したままにする。
新しい武器はそうだなあ、自害できる程度の小刀があればいい。痛みを継続させるのは御免だから、出来るだけ切れ味がいいのがいいんだけど。けれど正直、この人間たちがそんな良いものを持っているとは思えなかった。それに持っていたとしても、血で汚れてしまって酷い有様になっているだろう。近くに水場でもあれば洗い流せるかもしれないが、少なくとも来る時には見かけていない。
ごしごしと首についているであろう血を拭い、しかしそれが意味のない行動だと気がつく。今回は相手の恐怖を煽るためにも盛大に死んでいるので、服も何もかも血が滴っている。
「これは……少年達には見せないほうがいいよなあ」
自分の酷い姿で、まだ幼さの残る少年達を恐怖で歪ませたくはなかった。人間にはもう嫌気が差しているけれど、子どもは別だ。だって彼らは、私たちに手を出さない。
亜人に恐怖し泣くけれど、でもそれだけなのだ。痛いこともしてこないし、実験と証した解剖だって、頭に浮かびさえしないだろう。
肩をぐるぐる回して正常に動くことを確かめる。そうしてとりあえず歩き出した。あまり近づかずに、無事だということを確認できればいい。出来ればあちらには気が付かれないことがベストだが、疲れたのでもういいや。
自分の暴れた痕を辿っていけば、元の場所へつけるはず。
ああ、確かここで一回死んだんだった。これは首を切って見せたのかな。血の量が尋常じゃない。それであっちで、暴れたせいで心臓を一突きされたのだった。突いた人間が下手糞で、なかなか死ねずに物凄くいたい思いをしたんだ。
自分が殺した人間が倒れている側でそっと目を閉じる。他人から与えられる痛みは、管理委員会を思い出す。考えただけで、頭に冷水をかぶせたみたいに落ち着いて残酷になれた。
「やっぱり行こう」
少年たちはちょっとは気になるけど、関わらない方がお互いのためだ。そう思って踵を返した瞬間だった。
「ま、待って、待って!!」
男の子の声だった。
振り向けばそこには中学生くらいの少年が、へたり込みそうになりながら立っている。一体何をしているのだろう。私は確か、彼らに逃げろと言ったはずなのだけど。
少し考えて、すぐに元へと向き直った。このまま消えれば、彼らも忘れてくれるだろう。
「お、お姉さん、待って!怪我を、」
一瞬少年の言葉が震えた。きっと転がる死体に気がついたのだ。
「ま、待って、」
にも関わらず、私を呼ぶ声は止まらない。ひとつため息をついてもう一度振り返れば、少年は見るからにほっとした。
「……大丈夫だった?」
「お、お姉さんのお陰で、……あ、あの、怪我して」
緩やかにウェーブした長い髪。忍者のような格好をしている。さて、どうしようか。
「治療をさせてください!」
「……子どもに治療されるよな怪我でもないから大丈夫。他の子たちのところへ戻りなさい」
心配されて、ほんの少しくすぐったくなる。亜人だと分かってからは、どんな怪我をしても「一回死んじゃいなよ」で済んでしまうから。
「っ、駄目です!ち、血だらけじゃないですか!僕は、僕は保健委員として、お姉さんをそのまま行かせられないです!!」
ぎゅうぎゅう握られた拳が、遠目でも痛そうだ。人間は怪我をしたらそう簡単には治らないのに、一体何をしているんだか。
「大丈夫。これ大体帰り血だもの。あとは掠り傷。すぐ直る」
その私の言葉に、少年ははっと目を開いた。そうしてさっきまでの怯えが嘘のように駆け寄ってくる。ぎょっとしてしまったのは、私のほうだ。
「怪我、してるんですね!?」
詰め寄られてしまえば頷くしかない。
「見せてください……ああ、細かい傷が色んなところに」
大きな傷は死んだ際に直っている。この細かいものは、さっきのろくでなしを追い詰めている時につけられたものだ。
「お、女の人なのに……」
そわそわと傷の様子を見てくれる男の子に何となく気が緩んで、もう一度大丈夫だと言ってやろうと口を開いた。
開いた瞬間だった。
「両手を挙げて跪け」
首にちくりと当てられたのは、恐らく刃物だ。突然現れた背中の気配に、思わず感心してしまう。全く気がつかなかった。
「せ、先輩!待って、先輩待ってください!この人は恩人なんです!!」
目の前の少年が酷くうろたえて制止しているが、多分それは、抑止力にはならない。背後の人間は、私が行った惨状を見たはずだから。
「数馬!」
もう一人上から人間が振ってきて、目の前の少年を庇うように抱きしめ、私から遠ざける。この行動からして、この少年達の親しいものだろう。
「善法寺先輩!あの人悪い人じゃないです!助けてくれたんです!!」
「悪い人じゃない?あんな惨いことをやってのけるのに!?さっさと両手を挙げて跪け!」
背後の人間がそう言って、もう一度私にそう促す。人の話を聞かない人間は面倒だ。大事なものが傷つけられそうになって逆上しているのは分からないでもないが、少年まで怯えている。
「……お、お願いです。僕もあなたを傷つけたくない。言う通りにして頂ければ、悪いようには」
目の前で少年を庇うように遠ざけた猫目の人間はそう言うが、さすがにそれを信用しようとは思えなかった。
「もう十分悪いでしょ。私はあんたたちに興味がないから、行かせてもらう」
「なっ」
ぐっと当てられていた刃を気にせずに歩き出す。結構深めに刃が滑って痛かったが、問題はない。走ってこの場を抜けられるだろうか。
「お姉さん!」
「あ?」
気がつけば、太腿に小刀が刺さっていた。そこそこ切れ味が良いらしく、これもまた、なかなか痛い。
どうやら上にもいるようだ。全然気がつかなかった。気配なんて読めないからどうしようもないが、これは頂けない。走れなくなってしまった。
「……これで悪いようにはしない、ねえ」
ぼんやりとつぶやくと、再び人が降ってくる。髪の長い綺麗な青年だ。
「申し訳ない。あなたが逃げようとするので、先手を打たせてもらいました」
口元に薄っすら笑みを浮かべているものの、切れ目の瞳は笑ってなんかいない。
――本気で逃げるか。
そう決断し、猫目の青年へと振り返る。そうしてしっかり指差しひとこと。
「その少年の目を、しっかり塞いであげなさい」
「え、」
反対の手は、太腿から小刀を引っこ抜く。血が溢れて傷口が開くが、私は何の躊躇いもなく、その小刀を自身の心臓へ突き刺した。
刃が動く心臓へ届く感触。生命が終わるその瞬間。何度経験しても、全然慣れない。でも便利だ。捕まえようとしてくる人間から逃げるのは、本当に便利。
その女性は、目の前で自刃した。腕の中の数馬の眼を覆う暇なんてなくて、ただ呆気に取られてしまう。
「……やはりどこかのくのいちか」
機嫌悪そうに呻いた文次郎は、心臓を突いて倒れた女性を憎々しげに見つめている。仙蔵も不愉快そうではあるが同じ意見なのだろう。
その様子を見ていたらしい仲間達が、次々と木の上から降りてくる。
「恐らく山賊に依頼して、それを助けることで学園に取り入るつもりだったんだろう。全く、人間の風上にも置けない奴だ」
「しかし随分あっさり諦めたな」
「それだけ知られたくない城の忍なんだろう」
次々と憶測が語られるが、僕の心配事は数馬だ。敵だったとはいえ、助けてもらったのだ。その恩人がこうもあっさり死んでしまったらショックを受けるに決まっている。
「数馬?」
「せ、せんぱ、ど、どうして、どうして、ぼく、助けてもらったのに」
「っ、」
抱きしめていた腕を振り払われて、数馬は彼女の元へと走る。それを止めようとした友人たちを手で制して、僕もその後を追った。
「どーして、」
事切れた彼女の側で泣く数馬に、ほんの少し後悔する。彼女は折角この光景を見せるなと忠告してくれたのに、僕は一体なにをしているのだろう。
「……数馬、」
「わ、分かってます。学園を守るなら、そうするしかないってことも、でも、でも、」
ぽたりと、彼女の手の上に涙が落ちる。
「うん。じゃあ、埋葬くらいはしてあげようか。僕も手伝うよ」
後ろで呆れたような友人たちの声が聞こえるが、これは譲ってはならないことだと思う。これは数馬自身の手で葬ってあげなければ、きっとこの先引きずってしまうから。
「っ、っ、」
「どうして放っていかないかなー、生き埋めは勘弁して欲しいわ」
その声に、飛びのくことはおろか、動くことすらも出来なかった。心臓に小刀が刺さっていたはずなのに、死んだはずの彼女の手が、それを抜いてぷらぷら振っている。
呆気に取られている僕らを彼女は一瞥して、そうして軽やかな動きで立ち上がる。しゃがんだままの数馬の頭を、本当に大事そうに撫でた。
「ショックな場面見せちゃったね。ごめんね。でも泣かなくていいよ。おねーさんは大丈夫だから」
「は、」
「驚いた?驚いた?でもほら、もう足も直ったから大丈夫。ああ、涙は引っ込んだみたいだね。良かった良かった」
とんとんと怪我したはずの箇所を叩いて、無事をアピールする。そんな馬鹿な。確かに仙蔵の小刀は、彼女の足を貫いたのに。
「一回死んでみせたのに、まさかの埋葬とか。優しいのはいいことだけど、こっちの都合も考えて欲しいよまったく」
そうして彼女は、今までのやり取りがなかったかのように歩き出した。それに衝撃で止まっていた時間が、ようやく動き出す。
「貴様、自害したふりか!舐めやがって」
文次郎がすかさず手裏剣を取り出して、彼女へ向かって打つ。打たれたのにも関わらず、彼女は避けるそぶりも見せなかった。
「な、」
肩口に、手裏剣の刃が突き刺さる。痛みはあるだろに、彼女はあろうことかため息をつきながらそれを引き抜いた。
「だからさー今の見て分からなかった?あんたたち人間じゃ、亜人の私にはぜっったい勝てないの」
訳の分からない言葉が終わると同時に、彼女はやっぱりこちらを向いた。
「さっきのじゃ分かりにくいってんなら、もう一回サービスしてあげる。ほら、少年」
今度は反応できた。数馬の頭を抱き寄せて、音すら耳に入らないようにしてやる。それを確認したその女性は、笑みすら浮かべながら自分の喉元を切り裂いた。
溢れ出る血。明らかに素人ではないその自害の仕方。あんなに自分の身体を躊躇いもなく、深々と切り裂けるなんて異常だった。
吹き出した血が掛からないように僕たちは彼女と一定の距離を保つ。
すると力尽きたのだろう。膝からがくりと力が抜けた。地面へ付く、その次には、彼女は普通に立っていた。しかも喉や肩の傷もすっかり消えているようで、これ見よがしに動かしてすらもいる。
「これで一回。制限はないから、あんたたちじゃ私は殺せない。これでもういいでしょ。追いかけてこないでね」
呆気に取られて動けない僕らに、勝ち誇ったように笑って彼女は背を向けた。死なないから簡単に背を向けられる。傷つけても報復しないでいる。
彼女は、アレは、人間ではないのだろうか。
見たところ、怪我の治癒と言うより元に戻ろうとしているようにも思える。それが人間に可能かなんて僕には分からないが、彼女をこのまま行かせてしまうことは得策ではないのは確か。
死なない身体なんてどんな城でも欲しがりそうだが、それより何より怖いのは、彼女の、死への躊躇のなさだ。自身が死ぬなんて微塵も思っていないから出来るのであろう、あの潔さ。あれがもし敵対するの城に渡れば、確実に学園の脅威になる。刃や矢が降り注いでも、何の問題もなく動けるなんて脅威以外の何者でもない。
しかも「これ」で、僕らの印象は彼女にとって最悪だろう。視線を仙蔵や文次郎へと向ければ、同じことを考えたのだろう。二人の顔色が芳しくない。
どうする。どうやって引き止める?最良のはずの行動が、最悪を引き起こすなんて冗談じゃない!
「っ、お姉さん!」
抱え込んでいた数馬が、僕の腕を振りほどいて走りだした。その足はしっかりと彼女を追っている。それに気づいたのだろう。呆れたように振り返った。
「……あのねえ、君はどうして付いてくるの」
恐ろしさは、数馬も理解できているはずだ。一度目の自害は、しっかりと目に焼きついている。けれどそれ以上に、突き動かす何かがあったのかもしれない。
「そんな格好でどこ行くんですかっ」
「普通に……」
「そんな血だらけの服じゃ、どこにも入れてもらえません!」
「別に入れてもらえなくても」
「お、女の人が野宿なんて、絶対に駄目です!!」
「……!!」
数馬の手が、彼女の腕を捕らえた。それには僕らも驚いたが、それ以上に、彼女自身も驚いているようだった。きょとんと目を丸くして、その捕られた腕を見ている。
「野宿は危険なんです。毒虫とか出るかもしれないし、盗賊みたいのだってごろごろしてるんですからね!!」
「で、でも平気だし」
今まで淡々としていた口調が、崩れた。
「平気じゃないです。だって、痛いって言ってたじゃないですか」
「慣れてるもの。こういう痛みって慣れるんだから」
「慣れちゃ駄目です。そんなの、慣れたら駄目です!」
彼女が言葉に詰まった。どう切り替えしていいか分からないのかもしれない。
二人の攻防を数馬の安全を気にしつつ観察する。見たところ特に鍛えてはいないようだった。数馬の勢いに押されているところを見ると、そこまで頭が回るタイプでもないのかもしれない。
――普通に立っていれば、彼女はただの人間にしか見えないのだ。それに恐らく、武術も嗜んでいない。ただ一つ違うのは、「死なない」こと。
「もう、ちょっと、そっちの!」
「え、あ、はい!!」
突然向けられた会話の矛先に、いち早く反応したのは僕だった。
「この子そっちで説得してよ!アレを見て一緒に来いなんて、どう考えてもおかしいでしょ!!」
彼女は数馬を持て余しているようだった。すっかり困り顔になって、こちらに助けを求めてくる。普通の女の子にしか見えない。
「……あなたは、その、僕らを傷つけて逃げようとはしないんですね」
浮かんだ考えを何の考えもなく言葉にしてしまったのは、忍者として失格だ。けれど言わずにはいられなかった。だって彼女は確かに山賊は皆殺しにしている。うっとうしいなら、ここで僕らをどうにかしてしまうという手もあっただろうに。
「だってあなた達は、死んだらそこで終わりじゃない。それに子どもは、嫌いではないし……」
考える素振りは見せなかった。まるでそう考えるのが当たり前で、それは彼女自身が「普通の人」でないことを十二分に理解しているような言い分だ。
「怖がられるのは当然だとは思うし、一回や二回殺されたからって逆上するほど余裕がないわけじゃない」
「それを聞いて安心しました。僕も是非、お詫びをさせて頂きたいです」
そんな話をほぼ無理矢理捩じ込んだ僕に、文次郎は恐ろしい視線を投げかけてきた。仙蔵は意図が分かったのだろう。それに合わせて畳み掛けていく。
「正直色々信じられませんが、こちらに多大な勘違いがあったのは十分理解できました。お話を少し聞かせていただけるだけでも構いません。私たちの学び舎にいらしてくださいませんか?」
子どもは好きだという言葉に対して、学び舎を強調する辺りが仙蔵らしい。それを聞いた彼女は数馬と僕らを交互に見て、弱りきったように肩を下ろした。
「ちょっと待ってよ……」
「あの、お姉さんの名前ってなんていうんですか?僕は三反田数馬です」
最上級生である僕らの追い風に、数馬は彼女に尋ねた。彼女は何度かこちらに助けを求めるが、絶対に口は挟まない。
「ああ、もう!私はあやめ!これでいい?っていうかどう考えても反応がおかしいから!」
これなら押せばどうにかなるかもしれない。あやめさんを見失うわけにはいかないかった。危険な力は、消せないのならば囲い込まなければ。
...end
絆される亜人と彼女の力の恐ろしさを理解した忍たま。
20130720