「あーどうしよー」

私はとりあえず、そう嘆くことにした。
学校の正面玄関から見える空はそれなりに明るいのに、雨粒が落ちてきている。
いわゆるお天気雨。

ただ、もう少し早く出ていれば確実に雨に打たれていたはずだから、それについては喜ぶべきなのだろう。



誰かの入り



不幸中の幸い。

しかし雨が降っていることと帰れないのは変わりないわけで、思わず溜め息をついてしまった。
もし幸せが逃げると言うのが本当ならば、私は今ので三つくらい逃がしてしまったに違いない。

「結構、強いよねぇ……」

はあ、と今度は溜め息にならないように息を吐き、明るい空を見上げる。

憎らしいくらい日が差しているのに、雨粒は止まる気配が無い。
これでは飛び出して走ったとしても、家に帰る頃にはずぶ濡れだ。

「どーしよー」

もう一度先ほどと同じようにつぶやいて、ぐっと背筋を伸ばす。仕方ない、諦めよう。

雨が降っているという事実は変えようもなく、無理に濡れる必要性もない。
いつか止むだろうからという、時間的には微妙な決断だが、濡れて風邪引くよりはマシ。
それに強い雨と言っても、所詮お天気雨。
遅くまで続くとは考えにくい。

でもそれまで何をしようか。
時間を潰すものなんて、都合よく持っている訳ではない。

そうやって少しの間悩んでいると、廊下を元気良く走って来るのが一、二、三人。
バタバタという、教師が聞いたら走るな!という注意を告げそうな音に、私は何となくそちらを向いた。

「田島と三橋。それに泉も、何やってんのー?」

走って来るクラスメイトの面々に、声を掛ける。
すると田島は元気良く、雨降ってっから校内の練習に切り換えんの!と答え、三橋はそれに頷きながら通り過ぎて行く。

しかし最後尾を走っていた泉は、何も言わずに立ち止まった。
あれだけ元気に走っていたのに、特に息は乱れていない。
さすが野球部と賛辞を送りたくなった。

「……傘?」

私を上から下まで一通り見て、視線を戻して一言。
どうやら私が雨で帰れないのが分かったようだ。

「あ、うん、だから帰れなくて」

「ふーん」

泉は玄関から見える雨の降る外を向き、すぐに興味を失ったように言った。

「ま、天気雨だし止むまで時間はかかんねーだろ」

「うん、そうだね」

同じことを考えた泉に頷いて、今度は私が外を眺める。
彼は、何も言わない。

こうやって二人きりで話すのは初めてだ。
いつも教室で泉は、早弁しているか寝ているか。
例え何かを話すにしたって、必ず野球部か浜田がいるから。

「……あー、田中」

「ん?」

「ちょっとここで待ってろ」

「え?」

「勝手に動くなよ」

どうして、そう尋ねる前に、泉は念を押して走り出してしまった。

それなりの速度で走っているのか、来た時とは比べ物にならないくらい早く、姿が小さくなっていく。
私といえば、その突然の行動に呆気にとられて固まるだけ。
止めることも出来なかった。

「……どうしたんだろ」

小さくつぶやいて、また外を見る。
雨はまた少しだけ強くなっていた。
このまま一気に降って、ぱっと止んでしまえばいいのに。

「田中」

「わっ!」

ぼんやりしていたのか、突然掛けられた声に過剰反応してしまった。
外から視線を剥がして振り向けば、そこには少し息を乱した泉。

「んな驚くなよ」

手には紺色の折畳み傘を持っている。

「や、ちょっとぼんやりしてたから」

「だろうな。で、コレ。明日返してくれりゃいいから」

そしてその言葉と突き出された折畳み傘。

「……いや、いいよ。私止むまで待つつもりだし」

「貸す」

「だってそしたら、泉が濡れるじゃん」

「オレが帰る頃には止んでるだろ」

ぐいっと傘を押しつけられる。
雨音が、少し弱くなった気がした。
ドキドキと心臓が煩いからだろうか。

それ以前に何故泉は、私に傘を貸そうとしてくれているのだろう。
少なくともそんなに仲良くはないし、理由が見つからない。

「でも、」

「ここは素直に受け取れよ」

手に傘を握らされて、私はとても困ってしまった。
そう長くは降らない雨でも、その保証は無い。
だから、このまま本降りになるかもしれない可能性だってあるのだ。
そうなれば、泉がずぶ濡れで帰ることになってしまう。

「部活が終わる前に止むよ、保証する」

「え?」

まるで心の中を読まれた気分だ。
後で考えれば、私が断る理由なんてそれしかないのに。

「絶対止む。だから田中はこれで帰りな」

傘を支えていた泉の手が離れて、私は慌てて傘を落とさないよう持ち直す。
それでも気は進まない。

待ってとばかりに泉を見ると、彼は照れたように視線をそらした。

「明日それ、忘れんなよ」

「ちょ、泉!?」

じゃあな、と手を上げて、泉はあっと言う間に遠ざかってしまった。

「何、あの自信……」

ふと口元が緩む。
絶対止む、なんてなかなか言えることじゃない。
でもそれが私に気を使ったのなら、私はこれを使うべきなのだろう。

私は傘を持ったまま、また外を見た。

「……あれ?」

どうやら先ほどの雨音は、気のせいでは無かったらしい。

あれだけ降り注いでいた雨粒は、今はほとんど無くなっている。
相変わらず空は明るくて、濡れた地面と雨独特の香りさえなければ降っていたことすら分からなかっただろう。

彼の言葉通り、雨は見事に止んだわけだ。

「雨、止んでるよ」

水溜まりがキラキラしている。

傘は必要無くなってしまったけれど、泉にはお礼も添えて明日返そう。
彼の新しい一面を知れたことと、ほんのり色付いたこの気持ちをくれたお礼に。



fin...


きっかけがなくちゃ、始まることもできねーだろ。
20071103
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