仕草の一つ一つにどきどきして、何気ない言葉に緊張する。
普段は気が付かないことに目敏くなって、視線が彼女を追いかけた。

以前ならば「世話好き」で片付けられたこの行動も、今ではそんな言葉では表せきれなくなっていると思う。

そう、これは、水谷の言葉がきっかけだった。
でもきっとその一言が無くとも、オレは近いうちにこの感情に気が付くことになっていただろう。






「頼むから、前を向いて歩いてくれ」

田中の肩を軽く掴んで、オレはそう言った。
彼女の目の前には壁。

一体どうやったらこんな漫画のお約束もどきができるのだろう。
友達に手を振ることに気を取られて、壁に気が付かないとかどんだけだ。

「痛い思いするのはお前なんだぞ」

「危なかった……。助かったよ、花井。おはよう」

はあ、と溜息でもつきそうな口調で忠告したにも関わらず、田中は呑気に壁までの距離を目算している。
どうにかしてくれ、こいつを。

けれどお礼と朝の挨拶をしてもらえたことは嬉しくて、にやけないように頬に力を入れなければならない。
そこでおかしいことに気が付いた。

嬉しいってなんだ、嬉しいって。

ただ田中に挨拶されただけだというのに、心は自分でも驚くほど喜んでいる。
それでもその感情は不快ではなくて、どちらかと言えばじわりと胸に染み込むようなものだ。
だがそれを感じることには慣れてはいない。

勿論人を好きになったことはある。
けれどここまで近しい存在ではなかったし、何より自分は今まで、田中を世話の焼けるクラスメイトとしてしか接してこなかった。

「……花井?」

下の方から聞こえてきた声にはっとして、そちらへ視線を向ける。
田中は不思議そうにオレを見ていた。

どうやら思ったよりも考え込んでしまっていたらしい。

「ん、ああ」

曖昧な感じに返事をして、オレは彼女へ前を向くように促す。
また余所見をされて転ばれたらたまらない。

言う通りに前を向く田中を見て、また胸のどこかにくすぐったいものが湧き上がってきた。
なんだか心臓の辺りか頭を掻き毟りたい気分になる。

「……はぁ」

自分の感情についていけないとばかりに、自然と溜息が出てきた。

「っと、おい、突然止まるなって、危ないだろ」

気が付けば田中の頭が目の前に来ていて、それは彼女が突然立ち止まったことに他ならない。
後ろからぶつかられるぞと軽く注意してやれば、前触れもなく田中は振り向いた。

「溜息ついた」

「ん?ああ、今の?」

「私、そんなに困った感じ?」

「…………は?」

小首を傾げて言い放たれた言葉に、頭が付いていかない。
少し経って出た反応だって、こっちは「は」という一言だ。

けれど少し考えてやれば、田中の言わんとしていることはだいたい分かる気がする。
ようは彼女は、自分がオレにとって迷惑なのかどうかと聞きたいのだろう。

けれど今更だ。こんなことを聞くなんて、どうしたのか。
今まで仕方ないというニュアンスで溜息をついたことなど何度でもある。

「友達にも言われてるから、分かってはいるんだけどね」

田中の視線が前を向く。

「ずーっと気に掛けてなんて、もらえないんだからって」

どきりと心臓が胸を打つ。理由は、分からない。

「でもこれでも前よりは馬鹿はしなくなったっていうか、怪我も減ったし!」

普通のことであるはずなのに、田中はちょっと得意気だ。
それにそれは、決して彼女自身の力だけではないはずである。

「それはオレやお前の友達が未然に防いでいたということではなく?」

「……!」

思い当たるらしい。

「あのなあ、オレは別に、迷惑なんて思ってねえよ。好きでやってることだから――」

「……」

「まあ、うん、気にすんなってことだ」

今、オレは、とてつもない凄いことを口にした気がする。
顔が赤くならないうちに、こちらをポカンと見つめる田中を前へ進めと促す。
彼女はそれに何の言葉も出さずに従った。

唯一の救いは、ここに野球部のメンバーがいなかったことか。
田島なんかがいたら、こうはならなかったに違いない。
さっきの言葉の意味を根掘り葉掘り聞かれたことだろう。

でも、とオレは頭の隅で思った。

今の「好きでやってる」という言葉に他意はない。
しかし、ノーリアクションというのも少しつまらない。
他人が聞けばある意味で告白発言になりそうなものを口にしたのだ。

少し、少しでいい。
田中がそれを意識してくれればいいと思う。
……意識されたら意識されたで、困るのはオレなのに、だ。

「……花井」

「ん?早くしないと遅刻に……」

「ありがと」




fin...


手を繋ぐのは、いつ?
20081221
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