「皆ーいい子にしてるかなー」

 ナマエが一つの扉を開けるなりそう声を上げた。途端にわっ!と子供独特の幼い声がまだ部屋へと入れていない俺の耳に響いた。

「お姉ちゃん!」
「わー!お姉ちゃんだ!」

 昨日も会っていたはずの子供達がまるで久々に会ったかの様に黄色い声を上げバタバタと凄い音を立てて近付いて来るのが判った。ナマエは驚かせたいのか、扉で俺を隠したままだ。

 さっきはああ云って了承したが既に半分後悔していた。騒がしいのは苦手だ。自分には無垢に笑って過ごす、そんな時代は無かったから。



episode 7...Our Lady of laugh bring the devil



「今日はねー皆に紹介したい人が居るんだよ」

 ナマエの言葉に子供達は「えー!」とか「誰ー!?」とか俺からしたらオーバー過ぎるリアクションをする。そんな子供達をナマエはニコニコと見詰めていた。

「じゃーん、中也お兄さんだよ!」

 そう云って扉が全開に開かれる。目の前に現れた子供の数に俺は思わずぎょっとした。っつか"中也お兄さん"って・・。

「・・・」
「・・・」

 だが俺を見た瞬間恐ろしい位その場が静まり返った。ザッと数えても二十人近くはいる筈の子供が一斉に、だ。騒がしいのが苦手だとは云ったがそうしろと云った覚えはない。だが如何したら良いのかなんて判る筈もなく唯俺は子供達を見下ろしていた。ふん、悪くない光景だ。

「目付き悪!」
「なにィ!?」

 だが小学生くらいの子供がまず先にそう声を上げて俺は思わず其奴に声を上げてしまった。見下ろす感覚に僅かに気分を良くしていた事なんて一瞬で忘れ去った。

「しかも餓鬼臭え!」

 隣にいた同じ位の子供の言葉に俺は右の拳を震わせた。だがそれも直ぐに下ろした。否、俺は大人だ。この程度でいちいち怒る程短気じゃ無い。

「しかもチビ!」
「ありえねー!」

 短気じゃ、ない。俺は大人だ。目を閉じて腕を組んだ。落ち着け俺。そう心で唱えながら。

「何だよあの帽子!」
「センスねー!」
「・・っこんのクソ餓鬼共ーー!」
「わっ!」

 ぷち、俺の中でそんな音がした。その瞬間そいつらに向かって走り出した俺に引きづられてナマエが体勢を崩した。だが構わず俺は帽子に手を当てて其奴らを追いかける。

「待てこの餓鬼!!」
「ちっさいおっさんが怒ったー!」
「うけるー!」
「許さねえ!もう絶対許さねぇからな!」
「ちょ、ちょっと中也!?」

 そして何故か講堂の様な広い部屋での追いかけっこが始まった。餓鬼共が楽しそうに逃げるのを良い事に更に小さい奴らは何故か俺達の後を追って来る。否、そんな事よりあの二人の餓鬼をシバかなきゃ気が済まねぇ!

「チッ・・!なんてすばしっこい餓鬼だ」
「ちょっとー!疲れたんですけど!」

 一瞬足を止めれば隣のナマエが文句を垂れる。奴らは上手い事障害物等で俺の足を鈍らせてやがる。一人なら瞬殺してやる処だがそうも行かない。少し先でそんな俺を莫迦にするかの如くケラケラと笑う二人に再び走り出そうとした。

「あ?」
「あらら」

 だが俺の足は謎の重みを感じた。不思議に思って足元を見れば小さい子供が俺の足にしがみ付き俺を見上げて笑っている。足を上げて「何してんだ」と云えばきゃっきゃと笑った。一体何が面白ぇんだよ。

「おら離せ!俺はあの餓鬼共を・・、ってうわあ!」

 足にしがみ付いた子供を振り落とそうとしたが、あれよあれよの内に反対の足にも二、三人がしがみ付いて俺は思わずバランスを背後に崩した。そっからが悲劇だ。これ見よがしにわんさか子供が俺に群がる。前なんて見えたもんじゃねぇ。

「ちょ、待てこら!踏んで、ぐわ!ってコラァ!!」
「中也お兄さん大人気だね」

 僅かに見えた先に俺の手を掴んだまま屈み、ニヤッと笑うナマエの姿があった。

「手前、ナマエ!どうにかしろ!」
「楽しそうだねー中也くーん」
「殺すぞ!」

 だがナマエも子供達も俺がそう云えばそう云っただけ楽しそうに笑う。・・何なんだよこりャ。どんな拷問だよ。

「騒がしいと思って来て見れば、貴女ですかナマエ先生」

 そんな時、知らない男の声がした。サーっと静まり返った子供達は音もなく俺の上から引いて行く。やっと解放されたか、と思う間もなくその異様な空気に俺は無言で立ち上がった。

「・・貴方が子供達の処へ来るのは珍しいですね、院長先生」

 ナマエの雰囲気が変わった。だが其れも一瞬の事で、ナマエは張り付けた様な笑顔でそう挨拶をする。・・此奴が院長か、と俺は探る様に其奴を見詰めた。何と云うか、信用は微塵も出来なさそうないけ好かない中年野郎だ。

「"おかげさまで"ポートマフィアに入らせて頂きましたよ」

 ナマエのその言葉に院長は微動だにしたない。ナマエは気付いていたんだ。此処に異能力者がいると云う情報を俺達に流したのはこの男だと云う事を。

「それはそれは、ですがそれなら何故此処に?」

 そんな院長の言葉にナマエは見た事もない冷徹な笑みを浮かべた。

「何故って、此処は私の管轄下ですから」
「!」

 今まで反吐が出そうな笑みを浮かべていた院長の顔が歪んだ。

「首領から命じられましてね。今までの様に常には居られませんが、こうして様子を見に来させて頂きます。私の上司である彼と一緒に」

 そう云ってナマエは手の平を上へ向け俺を誘う様に院長の前に差し出した。・・此奴、俺を使う気か。はぁ、とため息を吐きそうになったがそれを飲み込んで院長を見詰める。

「中原だ」
「・・これはこれは、五大幹部様ですか」

 如何やら此の院長は裏組織に余程詳しいらしい。名前を聞いただけで幹部だと判るなんて一介の孤児院の院長とは思えなかった。・・いけ好かねぇ。言葉を一つ交わして思ったのは第一印象と同じだった。

「情報提供感謝する。貴殿のお陰で優秀な人材を受け入れる事が出来た」
「それは、何よりです」

 言葉とは逆に院長の顔は引き攣っていた。十中八九マフィアへの加入をナマエが断り殺されるだろうとでも思っていたんだろう。

「今後はミョウジナマエに此方の管理を首領直々に仰せつかった。今後共協力をお願いする」

 一度政府では無くマフィアに片足突っ込めば抜け出す事は出来ない。たかが情報提供とて同じ事。莫迦な野郎だ。

「"過去の様な粗相"のない様お願いします」

 黙っていたナマエが言葉を態と強調しながらそう云った。

「ね、院長先生?」

ポートまただ。ナマエの笑っていない瞳が院長に向けられる。此れは間違いなく、殺気だ。

「・・っ勿論、子供達第一に励ませて頂きますよ」
「ありがとうございます」

 元の笑みに戻ってそう云えば、院長は俺に一つ会釈をしてそそくさと部屋を出て行った。それをナマエはまるで睨み付けるかの様にジッと見詰めていた。

『私は多分、殺せる』

 先程のナマエの言葉が脳裏を過ぎった。俺が彼奴に本当にマフィアに入るのかと尋ねた時、嘘は云わない。二言はない。ときっぱり云った。あの言葉も嘘では無いのだろう。その冷え切った瞳を見て改めてそう思った。

「おい、手前」
「痛い!」

 未だ扉を見詰めてるナマエの後頭部に軽く手刀を落とせば、大袈裟にそう云ってナマエは自分の頭を撫でた。

「俺を使うんじゃねえよ」
「あ、ばれた?」
「当たり前だろ」
「御免ごめーん」

 ため息を一つ吐けば、ナマエは朝よりも悪びれる様子無くそう云った。

「ったく、まぁ良いけどよ」
「・・ありがと、中也」

 そう呟く俺にナマエはからかうでも無く声を落としてそう云った。それは心底云っている様で調子が狂う。

「お姉ちゃん、どっか行っちゃうの?」

 院長が居なくなり異様な空気は解かれた。っつかこんな小さい餓鬼共をあんな空気にさせる彼奴は何なんだとも思ったが、ナマエの服の裾をキュッと握る女の子の不安気な言葉に子供達の視線が一気にナマエに集まり思考は中断された。

「うん、別のお仕事が出来ちゃったから前みたいに毎日は皆と遊んで上げられなくなっちゃった」

 ごめんね、と子供の目線まで屈んでナマエは困った様に眉を下げながら微笑んでいた。

「でも近い内また来るから、だから・・泣かないで」

 頭を撫でれば其奴からは啜り泣く声が聞こえた。其奴だけじゃない。部屋中からそんな声が聞こえて来た。

「ほら!また来るって云ってんだから泣くな!」
「そうだぞ!泣いてたら来なくなっちまうかも知れないだろ!」

 だがそんな部屋に二つの声が響いた。さっき俺を散々弄んだ餓鬼共だ。其奴らはナマエの目の前の子供を餓鬼の癖に妙に慣れた手付きで抱き上げた。

「仕事あんだろ、俺達は大丈夫だから」
「怪力女が居なくたって寂しくなんかねーよ」
「カイト、ケント・・」

 ナマエが二人の名前を呟く。その目は驚いている様だった。

「おい、其処の帽子置き野郎!」
「あァ!?」

 ふと一人の奴がそう云って俺を指差した。それに俺は咄嗟に目くじらを立てた。

「ちゃんと守れよな!」
「は?」

 だが其奴の言葉に俺とナマエは思わず目を合わせる。同時に目を瞬かせて俺は一つフッと笑った。ったく、何て餓鬼だ。そう思って其奴らに視線を向けた。

「ああ、約束する」

 俺の言葉にナマエは心底驚いた様にその瞳を見開いていた。それに俺は気付かない振りをした。そう云ったは良いものの自分の言葉に少し照れ臭くなったからだ。そして俺達は盛大に見送られ車へと乗り込んだ。

「外套も返って来たし帰るとするか」

 ナマエの荷物を纏めていると子供が俺の外套をもしかして、と持って来てくれた。裏庭に落ちていたらしく子供達の遊び道具にされていた様だった。

「うん・・っ」

 助手席に座ったナマエは今まで耐えていた涙を更に堪えている様だった。あれだけ慕われていたら仕方ないのかも知れない。ふとそんな風に思った。

「仕方ねぇな、今日は手前の好きなモン食わせてやるよ」
「本当!?ラッキー!」
「手前・・」

 ころっと表情を変えたナマエに思わず呆れた。なんて現金な奴だ。だがその方が有難い。辛気臭いのは如何も苦手だ。特に此奴といる時は。

「中也、」
「何だよ」

 もう暗くなりかけた外を見詰めながらナマエが俺を呼んだ。スピーカーからはお気に入りの洋楽が流れていた。バラードだ。

「本当、ありがと」
「・・さっきも聞いた」
「うん、そうだね」

 繋がれた手に僅かに力が込められてドキッとした。思わず握り返せば、ナマエが笑った。・・何だ、そんな笑い方すんのかよ。初めて見た本当の彼女の笑顔に思わず外方向いた。

「さー!何奢って貰おうかなー!」
「云っとくがファミレスは行かねぇぞ」
「えー何でよ、偶にあのどーでもいい味が食べたくならない?」
「ならねぇ」

 ナマエの言葉に即答する。あんな処二度と行くか。

「ってかさ、」
「なんだよ」
「中也って中原って云うんだね」
「・・今更かよ」

 そんな呆れた如何でもいい会話をしながら帰路に着いた。だがそんな如何でもいい会話が心地良かった。まだ出会って二日目。だがこの胸は高鳴る一方だった。