「うーん、」

 まだ寝足りない。眠っていてもそう思った。だが差し込む光が私に起きろと訴えている。いい迷惑だ。もう少し此方の事も考えてから登りなさいよ太陽!何て無意味な悪態を吐いた。

 しがみ付いた温かく心地よいそれに顔を擦る。厭だ。まだ起きたくない。だって何か、凄く落ち着く。ああ、このまま眠れるなら死体になったって構わないかも。



episode 5...Thread loosen scent



「ん・・?」

 突然自分の心の声に疑問の声が上がった。何この感触、とパッチリと目を開ければ些かそれは人の腕の様で・・

「・・起きたかよ」
「あ、はい」

 目線を上に上げれば不機嫌そうな顔があり、目元を腕で覆っていたのか僅かな隙間から見えたその瞳と視線が重なった。えーと彼は確か、

「ぎゃああああ!」
「!?」

 私は思わず飛び起きた。不法侵入。プライバシーの侵害。大体なんで一緒に寝てるのか、将又私の貞操は。一瞬の内にパニック状態だ。視線は泳ぎわたわたと慌てて自分の衣服を確認した。

「な、なんだよ!?」

 そんな私に目の前の彼も驚いた様にその上半身を上げた。

「・・あ、そっか」

 そして彼の服に身を纏った自分と繋がれた手を見て昨日の出来事を凡て思い出して我に返った。そんな私に彼−−中也は頭を抱えて盛大にため息を吐いた。何方かと云えば不法侵入者は私だった様だ。

「手前なぁ・・」
「御免御免」
「謝るならもう少し悪びれて云え」

 そう小言を云う中也に「細かい奴だな」と云えば額を弾かれた。まぁそれを百倍返ししたのは当然の事で、のっそりと重たそうにベッドから降りる中也に釣られて私もベッドを降りて立ち上がる。

「飯にするか」
「ご飯より寝たいー」
「莫迦云え、初日から遅刻する気か」
「・・あ」

 そうだ、私は今日からマフィアの一員となる。すっかり忘れていた私に中也はまたため息を吐く。幸せの大放出だ。なんて勿体無い奴。

 半ば引きづられる様にして台所へ立つ。男の一人暮らしにしてはそこはとても綺麗に整頓されていた。まぁ他の"男の一人暮らし"を見た事がない為あくまで想像だが。

「其処のカップ取ってくれ」
「へい」
「砂糖」
「へい」
「スプーン」
「へい、らっしゃい!」
「・・なんだよその返事は」
「板前さんっぽかったでしょ?」

 中也の指示に先程パニックになったからか変なテンションになっていた私は遊び心満点で返したが、中也は横目で私を一瞬見て直ぐに手元のコップへと視線を戻した。あ、またため息吐きやがった。ノリの悪い奴め、と私は不貞腐れる。

「ほらよ」
「どーも」

 そんな遣り取り無かったかの様にカップを一つ差し出されてそれを受け取る。立ち込めるコーヒーの匂いにようやく落ち着いた。何時もの自分に戻ったのだ。だが何も云わずに自分の分も作ってくれるとは、実は彼は優しい人間の類いなのかと疑問を浮かべる。昨日の夕飯を食べさせてくれた事然りだ。

 マフィアともなれば性格も素行も最悪だと思っていたが如何やら違った様だ。まだ幾許も共にしてはいないが中也のそんな小さな言動にそう思わずにはいられなかった。





「今日からお世話になります。ミョウジナマエと申します」

 昨日も訪れたポートマフィアの本部の一室。見事に黒づくめの男達ばかりに「わぁ」と変な感動を覚えたのは数分前の事だ。何人かは私服の様だが斯く云う私もその一人。突然の事態に黒塗りのスーツなんて物はある訳も無く、仕方なく昨日の服を洗濯してそのまま着た。そして宜しくお願いします。と私は律儀に頭を下げる。

「・・ねぇ、中也」
「なんだよ」

 部屋に入った時から違和感を感じていた。それを隣の中也へと小声で耳打ちする。

「この人達生きてるよね」
「当たり前だろ」
「ですよねー」

 そんな確認を終えてもう一度部屋にいる皆を見詰める。矢張り誰一人口を開かない。と云うか動かない。それこそ瞬き一つもしない異様な光景だ。

「おい、樋口」
「え!?あ、ああは、はいい!」

 痺れを切らした中也がそう呼べばその手の甲を口元に当てて背中を仰け反らせたまま固まったスーツ姿の女性が大慌てでそう返事をした。如何やら彼女が"樋口さん"らしい。

「な、何でしょうか!?」
「何でしょうかじゃねぇ、云う事あんだろ」

 慌て過ぎて北◯神拳でも此れからかますのでは無いかとさえ思ってしまう動きの彼女の言葉に中也は不機嫌そうにそう云った。・・マフィアも色々か、と私は何とも云えない心境になった。

「云う事ですか!?え、っと・・えっと」

 樋口は顎の下に手を当て視線を左右へと忙しく流している。何と云うか、可愛い人だ。

「し、式は何時頃ですか・・?」

「なっ・・!?」
「はぁ・・!?」

 しかし樋口から発せられた言葉に私と中也は揃って声を上げた。何を云っているんだ彼女は。

「ば、莫迦ヤロウ!挨拶しろって云ってんだよ!」
「挨拶!?ああスミマセン!先ずはおめでとう御座いますですよね!!」
「お、おめでとう御座います中也さん!」
「おめでとう、中也君」
「違えよ莫迦共!!」

 樋口の言葉に固まっていた人達から次々とハッとした様に声が上がった。それに中也が必死に声を荒げている。如何やら彼等は勘違いをしているらしい。そんな熱烈かつ空回ったやり取りを呆気に取られて聞いていた。その原因は他でも無い。彼と繋がれた此の手に限る。

「ったく、説明も面倒くせぇな」

 盛大にため息を吐いて中也は口を開く。そして繋がれた手を持ち上げれば私の右手も連動して上へと上がる。

「訳あってこうなった。諸々は首領の指示で俺が受け持つ。今日は顔合わせだけだ」
「・・で、式は何時頃、」
「だから違えって云ってンだろーが!」

 完結的過ぎる中也の説明では誤解は一向に解けそうにない。私は一つため息を吐いて傍観者を止めた。

「異能の影響で手がくっ付いてしまっただけで、離そうにも離れなくなってしまったんですよ」
「・・中也の兄人、そう云って口説いたンすか?」
「立原、手前後で面貸せ」

 中也に睨まれた立原と云う鼻の頭に絆創膏を貼り付けた青年は「ひい!」と何とも間抜けな声を上げてその中で唯一とも云える年配の男の背後に隠れた。

「まぁそんな経緯もあってお世話になる事になりましたので、宜しくお願いします」
「そ、そうだったんですね。私はてっきり中也さんの結婚会見かと」
「おい樋口、それ以上云ったら本気で殺すぞ」

 そんな中也の言葉に樋口は「す、スミマセン!」と背筋を正した。そんな姿に私は横目で中也を盗み見る。昨日首領に五大幹部の一角だと云われていた彼は此の目の前にいる全員の上司だ。それ程の人物なのだと改めて思う。が、実感は正直皆無だった。

「・・芥川は如何した」

 ふと中也が辺りを見回してその"芥川"と云う人物を探す。その名は此処に来る途中で彼から少し話し聞いていた。−−独断専行の厄介な奴。中也の芥川と云う人物の印象はそんな感じらしい。だがそんな芥川と云う人物はこの黒蜥蜴と云うチームの頭らしく、実力は折り紙付きと云う訳だ。

「芥川先輩なら、先程何処かへ行かれました」
「またか、ったく・・まぁいい。樋口、後は頼んだぞ」
「はっ!」

 少しうんざりしている様な中也の言葉に樋口は真剣な表情でそう返事を返した。

「行くぞ、ナマエ」
「わ、行くって何処によ」

 急に部屋の出口へと向かう中也に一瞬体勢を崩すも、直ぐに持ち直してそう問い掛けた。

「任務だ。俺は忙しいんだよ」
「幹部様だから?」
「そうだ、少しは敬え」
「なーむー」
「・・明らかに違えだろ、それ」

 そんな云い合いをしながら二人は部屋を後にする。パタン、と扉が閉まった所で二人のやり取りを見つめていた者達は顔を見合わせた。

「あの方は一体、」

 何者なんだ、と樋口は目を丸くする。自分達には敬語で拙く接していたが五大幹部の中原中也とのあのやり取り。正直樋口は背筋が凍る様な錯覚さえ起こしていた。

「此れだけのマフィアを前にしても物動じしないとは、只者ではありませんね。彼女は」
「広津さん」

 呟く樋口に若い集の唯一の古株である広津は感慨深く囁きながら樋口の横に立ち同じ様に二人が消えた扉を見詰めた。

「もしかしたら彼女は判ったのかも知れませんね」
「判った?何を、」
「・・此の中に、自分を倒せる者がいない事を、ですよ」

 広津の言葉に樋口はその目を大きく見開いた。

「真逆、」
「予想に過ぎませんがね。まぁ、長年の勘でしょうか」

 広津はそう云って僅かに目を細めた。樋口は広津へと向けていた視線を扉へと戻す。如何やらとんでも無い新人が来たのかも知れない。そんな予感を感じずには居られなかった。