「あーーつーかーれーたー」

 首領のいる執務室を出て、俺が手を繋ぐ羽目になっている女−−基、ミョウジナマエはそう云って歩きながら項垂れた。

 あの後、首領は俺達の状況をこう分析した。「恐らく、磁石がくっ付いちゃった感じかな」と。それは当たらずとも遠からずだったらしく、磁石の接着面を移動させるが如く俺達もその接着面を身体から手に移動させる事に成功した。

 あの状態では任務処かまともに歩く事も出来なかった為に大きな進歩だが、矢張りその手が離れる事はない。

「にしても中也君、猫にでも襲われたの?」

 顔、凄い事になってるよ。と云う首領に俺はミョウジを見る。そこにはクスクスと口元を空いた手で小さく隠しながらも態とらしく笑った其奴がいた。

「猫なんて可愛いモンじゃないですよ。とんでもない雌ライオンです。否、熊ですかね」
「なにー!?」

 此処へ来る途中もあーじゃねぇこーじゃねぇと散々人の顔を跳ね除け様としてくれてたお陰で顔は傷だらけらしい。道理でそこら中ヒリヒリする訳だ。

「まぁ状況が状況だし、後宜しく。中也君」

 予想はしていたが裏社会の頭を目の前にしてため息を吐く訳にもいかず、俺は「承知しました」と抱えたくなる頭を下げ凶暴な熊を連れて部屋を出た。



episode 4...cute towards the unruly horse



「・・本気か」

 眠い、お腹減った、疲れたを無限に繰り返すミョウジに俺は小さく問い掛けた。正直、余り此奴がマフィアになる事に賛成はしていない。そんな権限は勿論ないが、動機が動機だ。

 それに此奴は恵まれている方の類い、態々極悪非道のマフィアに成らなくともいい存在だ。それを自分の為なら未だしも孤児院の餓鬼の為に其の手を何処まで黒く染められるか怪しいものだと思ったからだ。

 ポートマフィアは決して生温い組織では無い。下手をすれば組織に殺される。そんな奴等を山の様に見て来た。此処に居ると云う事は生半可な覚悟では無謀と云うものだ。

「私は嘘は云わないし、自分の言葉に二言はないよ」

 そんな俺の言葉にミョウジは真っ直ぐな瞳を俺に向けた。まるで幕末の武士の様な台詞だ。女から出て来る言葉とはとても思えない。マフィアと云うものを本当に理解しているのかは怪しかったが、その言葉は嘘では無いのだろう。それだけは判った。

「ねぇ中也」
「なんだ?・・って、俺は手前の上司だぞ」

 極自然と呼び捨てにされて思わず普通に返してしまったが眉を顰めてそう言い直した。そんな俺の言葉にミョウジは「うげえ」と顔を歪める。・・本気で死なしてやろうか此奴。

「だって私あんたの苗字知らないし」
「俺は中は、」
「あ、私も別にナマエでいーよ」

 苗字は呼ばれ慣れてないし、と俺の言葉を聞かずにミョウジ−−否、ナマエはそう云った。

「中也ーお腹減った」
「だから俺の苗字は、」
「あーもう死にそうお腹減った死にそう」

 此奴、態とだろ・・!思わず繋がれていない右手を震わせたが諦めた。俺も疲れたのかも知れない。人の話しを全く聞かない此奴に。

「ぐぬぬ・・!」

 本部から程近いファミリーレストラン。俺は断固として厭だと云ったがナマエの「もう無理!死ぬ!」の言葉に半ば俺が引き摺られる様にしてその店に入った。「いらっしゃいませー」と若い店員が愛想も無しに云って舌打ちをする。だから厭なんだ、こんな店は。

 だがナマエはそんな事を気にも止めずに空いている席に座りメニューを見る。仕方なく俺もそれを覗き込んで注文した。だがナマエの目の前に来た料理は和食。つまり箸だ。加えて此奴は利き腕が俺と繋がっている為に箸と戦っている。

「フォーク貰えばいいだろ」
「莫迦!手繋いでて箸使えないからフォーク下さいなんて云えるか!」

 ナマエの言葉にまぁ、確かに。と俺は悠々と食事を口に運ぶ。そんな俺をナマエは恨めしそうに見詰めた。

「逆にすれば良かった・・!」
「云っとくが変わらねぇぞ」
「この鬼畜・・!」
「ざまぁみや、がっ!」

 口角を上げれば頭突きが飛んで来た。なんて凶暴な女だ。ナマエはフンッと鼻を鳴らして再び箸と格闘を始めた。

「おい、まだか」
「煩い黙れ」

 美味くも不味くもないハンバーグを食べ終えた俺は未だ半分も食べれていないナマエに頬杖を付いてそう云った。だが返って来た言葉は俺の言葉を一刀両断する様に放たれる。・・此奴、本当に孤児院で働いてるのか?子供相手の職業に就いてる奴とは思えない口の悪さだ。

「・・仕方ねぇな」
「ちょ、何すんのよ!」

 俺はそう云ってナマエの箸を奪った。

「ほらよ」
「・・・」

 それで取ったナマエの目の前の食事を差し出せば、ナマエは目を点にして箸に挟まった食事を見詰めた。

「・・食わねぇのかよ」
「た、食べるよ!」

 俺の言葉にハッとした様にそう云って口を開けた。俺はそこに食事を運ぶ。正直照れ臭くて仕方ないが此奴が凡て食べ終わるのを待ってたら本当に朝が来てしまう。態々食べさせてやる理由なんてそれだけだ。

「凄く便利だね中也って」
「もうやらねぇぞ、手前・・」
「嘘です。優しいです神様です」

 調子の良い奴だ。だが悪い気はしない。バランス良く飯とおかずを交互に口に運んで皿にあった食事を食べ終えればナマエは自由の利く左手を顔の前にやった。

「ご馳走様でしたー」
「やっと終わったか」

 俺は一仕事終えた気分で箸を置いてため息を吐いた。もう深夜もいいところだ。店に人が殆どいない事が幸いだった。態々女に飯食わせてる所なんて誰かに見られてたまるか。

「ありがと、中也」
「次からはフォークで食えるもんにしろよ」
「はいはーい」

 腹が満たされたからか、ナマエは上機嫌な声でそう云った。そして会計を済ませ外に出る。ヒンヤリとした澄んだ空気が鼻から入って来て肩の力が僅かに抜けた。

「帰るか」
「あーやっと寝れ、る!?」

 お互い帰路に着こうとして足を踏み出した。だが一本踏み出したっきり前へ進まない。当然だ。俺達は正反対の方角へ行こうとしていたのだから。

「俺の家は此方だ」
「私は電車乗って帰るから此方よ」

 グッと腕がしなる。お互い一歩も引こうとはしない。

「私ん家は此方ーー!」
「莫迦云え!女の家になんて上がり込めるか!」
「男の家なんて上がり込めないわよ!」
「痛え!手前、足でやるんじゃねぇ!」
「だったら離しなさいよ!変態!」
「離せんだったらとっくに離してるっての!暴力女!」

 ぎゃあぎゃあと店の前で俺達の声が夜の人通りのない街に木霊する。俺達はまだ理解して居なかったんだ。手が切り離せないこの状況の本当の意味を。

「・・お邪魔します」
「おう」

 散々言い争った挙句、まだ交通機関なんてのは動いてない事を思い出して結局俺の家に来る事になった。何と云うか、ようやくだ。今日は長い一日だった、と自宅に帰って来てようやく思えた。だが問題は山積みだ。

「覗いたら殺すからね!」
「あーはいはい」

 先ずは風呂だ。当然一人暮らしの其処に仕切るカーテン何て物はない。仕方なく扉に腕を挟んで俺は風呂場を出て直ぐにある洗面台のスペースへと腰掛ける。

「ったく覗く価値もねぇのに覗くかっ、痛!」

 胡座の上に頬杖を付いて呟いた言葉は如何やら聞こえていた様で、少し開いた扉から桶が飛んで来た。

「あー!さっぱりー!」

 風呂を出て俺の服に着替えたナマエはコップに入った水を流し込んでそう云った。如何やら布一枚位は手の隙間を通るらしい。もしや、とその瞬間に手を離そうと試みたが結果は云う迄もない。

「俺も入る」
「えーあんたも入るの?」
「・・当たり前だろ」

 何て自己中心的な奴だ。本当にこんな生活やって行けるのか?此奴と?そう先行きを考えたらため息しか出なかった。タオルと着替えを持って風呂場に入る。服を脱げば矢張り布一枚は通った。出なければ此奴と離れるまで同じ服を着る羽目になる処だ。それは僅かな救いだった。

「・・って、寝てやがる」

 風呂を終えて扉を開ければ、座った状態で壁に寄り掛かりながら眠るナマエの姿があった。まぁ無理もない。普段の生活プラス俺との戦闘にマフィアへの加入。一日に起こるには多過ぎる出来事が此奴には起こったのだから。

 片手が塞がっている為に仕方なく肩に担いでベッドに運んだ。・・そうか、寝る時も一緒か。と目の前に来て思う。何とも気が休まらないモノだ。

 だが手を繋いでいると云うのは不思議だ。出会ってからもまだたった数時間しか経っていないにも関わらず、もうそれなりに一緒いた様な気になる。前から知り合いだった様な、傍にいた様な。偏に此奴が図太く図々しいと云うのも有るのかも知れないが。

 そういや、俺は此奴と。ナマエの横に寝転がってその寝顔を見詰めれば、戦闘中に異能が強制的に解かれた時の事を思い出して思わず口元を押さえて視線を逸らす。

 ナマエはあれをファーストキスだと云って騒いでいた。だがそれは俺にも云えた事だ。と云うか女と手を繋ぐ事すら初めてだ。今の地位に上がるまで我武者羅だった。今は消えた元相棒に負けまいと必死だった。幹部に成ってからは忙しいの一言だ。女に現を抜かす暇も興味も無かった。

「!」

 コツン、と肩に何か当たって視線をやる。其処には俺の肩に額を付け、腕に手を回すナマエがいた。

「・・っくそ、」

 思わず空いている手で視界を覆った。心臓がやたら煩く顔が熱い。何なんだよこれ。厭でも聞こえて来るナマエの寝息に、脳が侵されそうだった。

 結局俺はその日、一睡も出来なかった。