「これは、どう云う事かな」

 ポートマフィア本部ビル最上階にある執務室。赤い絨毯の敷かれたその部屋の最奥にある机に黒い髪を掻き上げた中年の男が座っている。異形な雰囲気を纏ったその男−−ポートマフィアの首領、森鴎外は目の前でピッタリとくっ付いている俺とミョウジナマエに目を瞬かせた。

「申し訳ありません、首領。自分にも判りません」

 俺はそう云って僅かに動く頭を目の前の女の顔を避けながら下げた。

「報告書にあったミョウジナマエと交戦し、何故かこうなりました」
「ああ、君がミョウジナマエ君か」

 その光の無い地中深くからでも見詰めただけで人を殺せそうな漆黒の瞳が女を捉えた。



episode 3...By the way is it Japanese ?



 今まで黙っていた目の前の女の肩が僅かに揺れた。当然だ。極悪非道と名高い横浜の裏組織の首領が目の前にいて自分の名を呼んだのだから。

「そう、ですけれども」

 俺は其奴からも首領が見える様に身体を横に向ける。女と目が合った。その目はまるで「余計な事をするな」とでも云っている様だった。顔が見える位置に移動してしまった以上、首領の顔を見ない訳にも行かず女は恐る恐る首領を見つめた。瞬間、ゴクッと女の喉が鳴る。

 恐らく此奴は莫迦では無い。俺を見た時も此奴は俺の力量を上手い具合に測っていた。それは今もそうだろう。そして目の前の大き過ぎる力に生唾を飲み込んだ。氏が無い孤児院に勤める女とは思えない洞察力だ。

「そんなに畏まる事はないよ」
「・・それは、無理です」

 取り繕う様ではあるが微笑んでそう云う首領に女はそう云って眉間にシワを寄せた。

「貴方がお使いに寄こした者に殺されかけましたから」

 女は首領を真っ直ぐ見詰めながらそう云った。度胸あるな、と云いたい処だが首領から見えない反対の手が俺の服を掴んで震えている。本当、報告書通りの"気の強い女"だ。

「おやおや、温厚なのを送ったつもりだったのだけどね」

 そんな女の言葉に首領は右手を天井へと向けてそう云う。当然の事の様に悪気と云う文字も無ければ悪びれる様子も有りはしない。

「・・で、返事は?」

 首領の瞳が光なく女を見つめる。その口元は笑っているが、それだけだ。ギュッと俺の服を掴む手に一層力が篭った。

「お断りします・・っ」

 一瞬にして空気が張り詰める。聞いているだけの此方まで冷や汗が出そうな空気だ。「死んだな」俺は心でそう呟いた。

「何故かな?五大幹部の中也君と交戦して君は生きている。其れなりの武術と異能力を持っていると私は推測する」

 流石だ。思わずそう思った。俺はまだ交戦した時の状況を何も話してはいない。確かに俺は手加減をしていた。だが此奴は俺の攻撃を見切り、尚且つそれが自分が受け止められる強さか迄を見極めていた。普通の女とはとてもじゃないが思えない。

 それにあの異能力。正直何時でも殺せる様な奴を態々殺す気なんて無かったが、ああでも云わないと本気で朝が来ちまうと思ったから「取り敢えず死ね」と云ったに過ぎない。直接体感したのは二回。だがその本質迄は悔しいが結局判らなかった。一体此奴の異能力は何なのか、それは気になる処ではある。

「武術は手当たり次第母に習わされました。異能力を持つ事に依って何か有るかも知れないから、と」

 それが今日現実になった訳か。随分聡明な母親だ。此奴の洞察力もそれ等の賜物だろうと思った。

「で、異能力は?」

 ニコニコと笑みを浮かべながら流れでそう問い掛ける首領に女は一度俺の顔を見た。何を思ってそうしたか判らないが、その表情は半ば諦めが浮かんでいた気がした。そして再び首領に視線を戻し口を開いた。

「私の異能力は、触れたモノの電磁力の操作です」

 女の言葉に首領は「成る程、だからかな」ともう全て見透かした様な口調だった。何が「だからか」なのかは俺達には判らなかった。

「君達の其れは、"特異点"かも知れない」

 その言葉に俺は目を僅かに見開いた。女はそう云われても何の事か判ってはいない様だった。

「日本政府が調べてると云うあれですか」

 俺の言葉に首領は「うん」と小さく頷いた。−−特異点。同じ様な異能を持つ者同士が対峙した場合に能力が全く別方向へと暴走する事があると云う。だが事例が少なく、日本政府の研究対象となっているらしい。

「中也君の重力操作は謂わば"引力"だ。そしてナマエ君の電磁力は"引力"と"斥力"を兼ね備えている。君達の力は基本相互作用と云うもので一括りに出来る訳だ」

 特異点が発動する可能性は十二分に有る、と首領は云う。正直力の詳しい事は俺には判らない。其れは目の前の女も変わらないだろう。明らかに頭が絡まっていると云う顔をしている。だが問題はそこじゃない。

「どうしたら離れられますかね」
「それは私にもお手上げだねぇ。必死に研究している日本政府ですらその全貌を把握出来ていないからね」

 僅かな希望は呆気なく絶たれてしまった。

「兎に角、そうなっている以上君は此処に出入りしてもらう事になるね」
「っ困ります!私は孤児院の子供達を守らなきゃ・・!」

 首領の言葉に女はそう声を上げ、ハッとして口を塞いだ。

「大丈夫だよ、君を引き抜きたいからと孤児院を襲う程君を欲している訳ではない」

 首領の言葉に女は少しホッとした様に口を塞いだ手を下ろした。

「そうか、いい考えが浮かんだよ」

 ポンッと手を叩いて首領は笑った。

「君が孤児院を管轄下に置けばいい」
「・・管轄下、ですか」

 女のイマイチ理解が出来ていない頭に首領は「そうだ」と言葉を付け加える。

「マフィアになれば私達の後ろ盾もある。今の孤児院は状況が良くない処も多いからね。だが君が子供達を守りたいのならその権力を振り翳せばいい」
「権力・・」
「そうだよ。今は手の届く子供達しか救えない。だがそうなれば複数の孤児院の子供達を救えるかも知れない」

 首領の言葉に女は何かを考えている様だった。本当に首領はえげつないな、と思う。たった一言で此奴が何を重要視して何をチラつかせれば揺れるかを察した。

 確かに此奴は間違いなく即戦力になる。異能力だけじゃない、総合的に見ても何れ幹部の座に着いてもおかしく無い可能性を秘めている。それに、純粋無垢な心は一滴の黒でその全てを染めるのは容易い。

「中也君はうちの五大幹部と呼ばれる一角だ。孤児院に泊まりこみをさせる訳にはいかない」

 マフィアに入るかは兎も角、その点に於いて女に選択肢は与えられなかった。

「返事は君達が離れた後で」
「いえ、なります。マフィアに」

 首領の言葉を遮って、女の気丈な凜とした声が執務室に響いた。口元で指を絡ませていた首領のその口角が、妖しく釣り上がった。


「ポートマフィアは君を存分に歓迎するよ」


 こうして、俺と此奴の二人三脚は始まった。