横浜のとある公園へと私達は足を踏み入れた。まだ夕暮れ前とあり人通りはそれなりにある。様々な音が聞こえた。愉しそうな声、はしゃぐ子供達。空を舞うカモメの鳴き声。船の汽笛。

海が下に流れている為髪を靡く風は普段とは少し違う。それにそっと手を当てて海と空の堺、地平線を見詰めた。無意識にもう何ヶ月も繋がれた侭の手の平に力が入ったのだろう。其処に優しい圧迫感を感じて隣の人物を見ればやたらと真剣な瞳を携えていて思わず苦笑いを零した。

この手が離れる事に対しての寂しさや切なさ、私の中にあったそんな僅かな感情が滲み出てしまっていたみたいだ。

「大丈夫、だって何も変わらないんでしょ?」
「そうだ。だからそんな顔してんじゃねぇ」

彼の言葉に静かに頷いて目を伏せた。瞼の裏には何でも無い日々が浮かぶ。甘ったるさも可憐さも持ち合わせていなかったが、それはとても心地よく脳裏を駆けて行き私は決意を秘めそっと目を開いた。

「行こう、太宰さんの処へ」



episod.22...The other side of warmth



先程の公園から少し歩いた横浜の観光地の一つにもなっている橋の上。中也が太宰さんへと連絡を取って指定されたのがこの場所だった。どうやらこの近くでの仕事を終えてから来るらしい。

私と中也はなんて事無い雑談をしながら目的の人物を待っていた。やれ風が強いだの見下ろした行き交う人々を見てあの人は医者だろとか唯の会社員だろうとかそんな事。

そこから見ても大きな観覧車を見てあんなのに乗って襲われでもしたら一溜りもないな、なんて私達らしい会話に内心笑みを零す。

だけど心の奥の奥はまだざわついていた。頭でも心でも判ってる。不安を抱いていても仕方無い。何だか最近色々な事があって自分でも気付かない処が疲れているのかも知れない。こんな感傷的になってしまうのは、屹度その所為だ。

忌み嫌っていた首領が自分の実の父親だと云われたんだ。そりゃ疲れもする。そんな風に自分をまるで他人事の様に自嘲した。

居ないと、死んだと云い訊かせられていた父と云う存在。正直未知数で何をどうしたら良いのか判らないのが正直な処だ。私が取り引きの道具にさせられる可能性だって完全に失くなった訳では無い。

それでもあの首領の微笑みと言葉を信じて見たいと思った。母が一時でも愛した、あの男を。

「やぁ、遅れて済まないね」

街の景色へと視線を向けていた私達の耳に聞き覚えのある声が届いた。二人揃って声の方へと身体を向ければあの日と同じ様に砂色の外套を揺らしながら悠々と包帯の巻かれた手を振る太宰さんがいた。

「遅えよ」
「否なに、裏社会の君達に一般人のデートとやらを少しでも味わって欲しくてね」
「余計なお世話だ、放浪者」

そんなやり取りをまるで挨拶かの様に交わす二人に仲の良さを垣間見る。まぁ二人に云ったら全力で否定されそうな処だが、そんな処もまた私からしたらそう思う要点でもあった。

「そちらは?」

ふと太宰さんの斜め後ろに眼鏡を掛けた太宰さんに引けず劣らず背の高い男性が立っていた。私の視線の先に気付いた太宰さんは「ああ、」と云って手の平を返し背後の彼へと向けた。

「彼は武装探偵社の国木田君。私の相棒だよ」
「相棒では無い。目付け役だ」

太宰さんの言葉に国木田と呼ばれた男はそう眉間に皺を寄せた。それと同時にだからか、と私は一人心で納得していた。

彼は来た瞬間から既に機嫌が悪い様に見えた。それは偏に私達がマフィアであり、彼が武装探偵社員だからだ。

「...太宰さん、この前は」

手短に話しを済ませようとも此の侭「じゃあお願いします」とは云えなかった。先日彼が私にした口付けに関してハッキリさせて於かなければと思ったからだ。

「私、」

そう云い掛けて太宰さんを見てハッとした。困った様に微笑んで居たのだ。それはまるで「悪役のままで居させてくれ」とでも云っているかの様だった。

それに私は口を詰むんだ。「ありがとうございます」一つ心で礼を云って目を伏せ、そして目を開いた。

「...お願いします」

私の言葉と瞳に太宰さんは優しく微笑んだ。そして一歩、また一歩と近付き私達の目の前でその足を止めた。

「いいのかい?」

太宰さんの問いに小さく頷く。中也は太宰さんがまた私に何かしようものなら、と睨みを利かせている。私と太宰さんはそれに気付きながらも何も云わなかった。

「いくよ」

そう云って太宰さんの腕が動き出す。私は思わず目を閉じた。だけど握られた手に力が込められてその原因を見詰める。隣の中也と目が合って一つ微笑んだ。それに私も微笑みを零した。うん、大丈夫。胸に小さな暖かいものが落ちていった気がした。

二人で繋がれた手を太宰さんに差し出した。正直太宰さんの異能でこの状況が解かれる可能性は百では無い。だけど

『俺は手前を抱きたいんだよ』

真っ直ぐな彼の言葉が浮かんだ。全く、色気も雰囲気も合ったもんじゃないと笑った。だけど、彼らしいと思えた。そして私も、

「.....」

太宰さんの手が私達の手に重ねられた。そして数秒後に音も無くそれは離れて行った。私達は視線を合わせ一つ頷き何ヶ月もの間梃子でも動かなかったその手の平をそっと動かした。

「...離れた」

そしてそれは呆気なく、すんなりとお互いの手の平を撫でる様に離れていった。久方振りに自由になった手の平を見詰めて動かしてみる。矢張り数ヶ月もの間そのままだった為にぎこちなさと鈍い痛みがある。

これは先ずリハビリからかな、なんて思ってフッと笑った。そして遂に離れて風通しの良くなった手の平に矢張り寂しさが募った。

「世話になったな」

中也が太宰さんにそう云い私も顔を上げて太宰さんに頭を下げた。

「ありがとうございます」
「否、私は何もしていないよ」

そう云って微笑む太宰さんにもう一度礼を云う。

「行くぞ」

そして足早に太宰さんと国木田さんに背を向ける中也に私は改めて二人に頭を下げ、そしてその背中を追った。

「特異点すら無効にする能力、か」

ふと国木田が独り言の様に呟いた。それに太宰は視線の先にある並ぶ二つの背中を見詰めた。

「本当に私は何もしていないよ」
「何?」

太宰の言葉に国木田は未だ前を見据えたままの太宰の横顔を垣間見る。

「私だって自分の異能が発動しているかいないか位判る。だが先程二人の手に触れた時それは起こらなかった」
「...と云う事は」

国木田に太宰はフッと一つ笑って二人に背を向けた。

「もうとっくに彼等の現象は解消されていたと云う事だね」

全く人騒がせだよ、と踵を返す太宰の言葉に国木田は再び去って行く二つの背中を黙って見詰めていた。

「...否、それに気付かない程互いが自分の一部になっていたのかもね」

囁く様に呟かれた太宰の言葉は、潮風に流されてその広大な海へと溶けていった。






離れた手を携えて並んで歩いていた。今まで否応なしに繋がれた手が離れた事に違和感とぎこちなさが私達の間を走っていた。

そんな私達の横を小さな兄妹が駆けて行く。それを追うようにその子達の兄であろう少年が声を上げていた。

ふと私は足を止めてその姿を目で追った。それに気付いて中也も足を止める。

「どうした」
「...ううん、何でもない」

中也の問いに首を横に振ってそう応えた。何だか寂しさに感傷的になってしまう。通り過ぎた兄妹達に亡くしたあの子達を重ねてしまうなんて。

「...ほらよ」

ふと中也がそう云って手の平を差し出した。疑問に思って首を傾げて中也を見れば頬を赤くして視線を逸らしている。

「落ち着かねぇんだよ。だから早くしろ」

ぶっきら棒にそう云う中也に目を見開いて、そして笑った。

「これじゃ離れた意味無いじゃない」
「...煩え」

彼の手に自分のそれを重ねて茶化す様にそう云えば、矢張り中也は照れた様にそう返した。でも安心した。何より中也がそう思ってくれた事に。

「それに、この方が手前を護れる」
「護る?」

私の言葉に中也は「ああ」と頷いて空を見上げた。

「約束しちまったからな」

そう云って微笑む彼の横顔と言葉に胸が締め付けられた。それは初めて中也を孤児院の子供達の処へ連れて行った時にカイトが発した"約束"だった。

同じ様に私も空を見上げた。其処には雲一つ無い綺麗な青空が広がっていて、眩しさに涙が出そうになる。

「仕方ねえから護ってやるよ、この先ずっとな」

そう云って笑った中也に私も笑みを返した。

「じゃあ私の衣食住も頼みますね五大幹部様」
「...本当手前は図太いな」

呆れた溜め息を零す中也にケラケラと笑った。さぁ、今日の御飯は何にしようかなんて話しながら私達は並んで歩いて行く。

昨日と同じ様に、今日も明日も明後日も。この先ずっと。








【完結】

御愛読ありがとうございました!