「おい、何怒ってんだ」

 昼食を終えた私達は任務地へと足を運んでいた。私のその足取りは早い。最早競歩レベルだ。それをそんな言葉を上げながら勘違いをした中也が追って来る。繋がれた手と云うのは厄介だ。私は今布団に身体丸ごと投げ込んで悶絶したい気分だと云うのに。

「別に、何でもないです」
「熱で頭イカれたか?」
「死ね」

 私はこんな失礼な男の何処が良いと云うのだろうか。我ながら謎過ぎて頭が痛い。


episode 19...Weave not words



「ねー晩御飯何にする」
「肉だな」
「また!?」

 先に云おう。私達は任務中だ。横浜の港場。ポートマフィアの商売の邪魔をした組織の壊滅が今日の私達、と云うか中也に与えられた任務だ。それに私は文字通りくっ付いて来て居るに過ぎない。

 だがこの数ヶ月行動を共にしたが、危なっかしいと思った事はない。否、自分の命の危機を感じた事はそれこそ死ぬ程あるが、この男に勝てる奴なんてこの世界には居ないのではと思う。

 最初から幹部の任務に付き合わされる羽目になっていたからか、私もそれ相応の度胸と技量が厭でも身に付いたし、だから敵に銃口を向けられ様ともこんな会話も出来る迄になった。それこそ初任務の慌てっぷりが遥か遠い過去の様にさえ思える。

「厭!今日は...魚!」

 最後の一人を片付け終えて私はそう云った。

「あァ!?育ち盛りなんだから肉食わせろ!」
「もう育たないわよ!」
「手前もな!」
「なんですってぇ!?」

 思わず私は中也の背後の壁に自分の靴底を音を立てて押し付ける。目尻を釣り上げ下から威嚇する猫かの如く中也を見上げ腰に手をあてた。

「なんだ、やんのか?」
「上等よ」

 お互い青筋を立てながら一歩足りとも引かない。空いてる手で胸倉を掴んで引き寄せる。それでも中也はその上がった口角を下げようとはしない。終いには「俺は上司だぜ?」なんて職権乱用な言葉を紡いだ。

「離しなさいよ、この帽子置き場」
「手前からだろーが、暴力女」

 僅か数センチの距離で睨み合う。議題に不釣り合いな緊迫感と殺気が入り乱れる中で私の心は一寸たりとも動きはしない。だって今日はお刺身の気分なんだから!

「君達、こんな処で口付けでもする気かい?」
「ぎゃああああ!!」
「がっ、ぐっ!」

 突然訊こえたその声に驚きの余り中也に悲鳴を上げながら抱き着けば、中也からゴン!と鈍い音が二回した。どうやら私の頭に顎を、そしてその勢いで後頭部を壁にぶつけたらしいがとてもそれに気を配っている余裕なんてありはしない。

 私達の真下でしゃがみ込み両手に顔を乗せた状態で私達を見上げるその人物。こんなに間近に人の気配を微塵も感じさせなかったこの男は何者なのかと冷静にその突如現れた人物を見下ろす。

 先程も云った通りこの数ヵ月で私は驚くべき進化を遂げた、と自負している。殺気とかも感じる様になったし、人の気配だってそれなりに判る様になって来た。まぁ武術をしてたから習得するのはそれ程難しい事じゃ無かったのだけれど。

 だが目の前の人物は入り口からそれなりにあるこの距離を、云っても私は兎も角云い合いをしていたとは云え中也にさえも気付かれずにこうしている。私は思わず警戒する様に中也の服をギュッと握った。

「そんなに警戒しなくても大丈夫さ、可憐なお嬢さん」
「...」

 そう云って男は立ち上がった。その意外とある身長と黒い髪と瞳、砂色の外套に胡散臭い喋り方。警戒するのはそれだけが理由じゃない。立ち上がった時に一瞬だけ瞳から笑みが消えた。まるで私を品定めするかの様な冷たい瞳を感じて私は顔を顰める。

「騒がしいと通報があってね、武装探偵社と云えば判って貰えるだろうか」
「!」

 武装探偵社。異能特務科から異能開業許可証を授かり政府や警察でも対処出来ない案件を引き受けると云う異能集団。と云う事はこの男も異能者、しかも通報があって来たと成れば私達を捕まえに来たのだろう。

 私はその男をキッと睨み付けた。だがこの男は「やれやれ」と態とらしく頭を抱え悩まし気な表情を浮かべた。

「此奴は平気だ」

 ふと中也が警戒に強ばらせた私の肩に手を置いてそう云った。此奴?知り合いなのか、と彼の口振りからそう思った。だが中也は言葉とは裏腹にとてつもなく機嫌の悪そうな顔をしている。

「真逆こんな処で手前と会うとはな、太宰...!」

 中也の言葉にその太宰と呼ばれた人物を見る。するとその男は悠々としていた笑みを捨て、先程一瞬だけ感じた冷たい瞳で静かに笑った。

「久しいね、中也」
「マフィア裏切った奴が探偵社とは片腹痛い冗談だなァ」
「相変わらずだね、君」
「死ぬ覚悟は出来てんだろうな」

 会話になってるのか、此れは。二人のやり取りに思わず瞬きをするも当の本人達は慣れた様に会話を続けていく。

「身長縮んだ?」
「あァ!?ンな訳ねぇだろ!」
「なら私が伸びたのかな、悪いね中也」
「この木偶が、今すぐ縊り殺してやる...!」

 どうやら仲が良いらしい。まぁ中也がからかわれて遊ばれてる様だが。

「...にしても、彼女が君の新しい相棒かい?」

 ふと突然視線と話題が私に移って心臓が一つ冷や汗をかく。物腰柔らかく笑っているが私にはそうは見えなかった。凡てを見透かす様なその瞳、此処にも居たのだ。私の嫌いな、それを持つ人物が。

「そんな処だ」

 太宰と呼ばれた男の質問に中也はぶっきら棒にそう応える。相棒とは少し違う気がするのだけれど、その言葉は悪くないと思った。そしてそれを否定しなかった中也が素直に少し嬉しく胸の奥が条件反射で甘く色付く。

「やぁ美しいお嬢さん、私に名前を教えて貰えるかい?」
「...ナマエ、ですけど」

 武装探偵社、裏切り者。そんな彼にどんな態度で接すれば良いのか悩む。中也は何だかんだ旧友かの様に接している様に見えるが、だからと云って堅苦しい敬語を遣うのも違う気がした。結果、不審者を見つめるような瞳でその問いの真意を探る様に応えを紡ぐ。

「どうだい、此処は一つ私と心中しないかい?」
「...は?」

 私には彼の言葉が理解出来なかった。何がどうだい、で、何が此処は一つ、と云う流れになるのか。しかも心中って。

「莫迦なの?」
「その通りだ」

 私の言葉に中也が呆れた溜め息を零しながら頷く。だがこの男は私達の言葉が聞こえていないかの如く三流役者の様に手を胸に当て、反対の手を掲げて力説を始める。

「いやぁ!丁度こんな美女と心中したいと思っていたのだよ!正に此れは運命!神様からの贈り物だ!」
「...ちょっと、何か云ってる」
「ほっとけ」

 中也の服を二度ほど引っ張ってそう云っても中也はウンザリした表情を見せるだけだ。どうしたモノか、この手のタイプは初めてで対処法が判らない。

「さあ、私と共に黄泉の國への階段を共に上がろうじゃないか!」
「!」

 彼が私へと手を伸ばしたその瞬間、中也の肩に羽織った外套が靡いた。一瞬の出来事に私はただ目を見開く事しか出来なかった。

「此奴に触るんじゃねぇ」

 中也の低い声が脳に響いた。彼は私の後頭部に手を回し自分へと引き寄せ彼から遠ざける様に身体を傾けた。耳に重く規則正しい中也の鼓動が訊こえ、顔が急速に熱を発する。

「...中也、酷いよ」
「は?」

 中也の言動に男はそう声を僅かに震わせた。それに何事かと私も顔を上げて彼を見る。そこには両手で顔を覆って俯く太宰と云う人物がいた。そして勢い良く顔を上げた彼の目に涙が浮かんでいる。私も、勿論中也もギョッとした。

「あの頃はあんなに激しく求め合ったと云うのに!」
「はァ!?」

 私は彼の言葉に中也を無言で見詰めた。本気か。そんな瞳だったと思う。途端中也は慌てた様にわたわたと忙しなくなる。...本気か。私はもう一度心で呟いた。

「確かに私が出て行った!だが君との関係まで捨てた心積りじゃ無かった!」
「な、な、何の話しだ!」
「...私邪魔かな」
「バッ!?手前まで何云ってンだよ!」

 中也の顔は真っ赤だ。何だろうこの敗北感。私は男好きの奴を好きになってたのか、なんて思って思わずため息が漏れた。

「まぁ、冗談はこの位にして」
「手前!殺すぞ!!」

 パンッと手を叩いて先程の涙が嘘だったかの様に悠々とする彼に中也はこれでもかと云う程声を荒らげる。この短時間で二人の関係性が鮮明に見えた気がした。

「真逆中也に...こんな美女が!」

 そう云って今度は頭を抱え始めた。本当、忙しい男だ。

「然もずっと手を繋いでいるね」
「あ?あァ、これは」

 恨めしげに見る彼の言葉に中也が私達の繋がれた手を見て、そして動きを止めた。

「太宰!」
「え?」

 突然そう大きな声を出す中也に私は勿論、呼ばれた太宰さんも素で驚いた様だった。何事かと目を瞬かせ中也の次の言葉を無言で待つ。

「俺に触れ!」

「「 ... 」」

 中也から出た衝撃の一言に私と太宰さんは顔を顰めて一歩後退る。此奴、本性を現しやがった。宛ら私は太宰さんの代わりだったのだろうかと、そんな考えさえ脳裏を過ぎった。

「否、中也。勘違いさせてしまったならすまない。此処は本気で謝ろう」
「はァ!?」
「私は女性しか興味無いんだ、悪いね」
「バッ!違えよ!!」

 白い目をして中也を見詰めていた私にも「手前も勘違いしてんじゃねぇ!」と怒号が飛んだ。何故怒られたのだろうか、私は。

 そして中也は太宰さんに私達の繋がった手の事、特異点の事を話し、私には太宰さんの異能"人間失格"に付いて教えてくれた。それはどんな異能もを無効化する能力らしい。

「太宰の異能なら離れられる可能性がある」
「!」

 説明の後に発された中也の言葉に目を見開いた。離れる?このずっと繋がったままだったこの手が?嬉しそうな期待に心浮かれた中也の表情とは裏腹に私は指先から体温が消えて行く感覚がした。

「何で気付かなかったんだ」

 中也は尚もはしゃいだ子供の様な笑顔を見せている。「ようやく離れられる」その言葉が私の胸に鋭く突き刺さった。そんなに離れたかったの?確かに私だって最初はそうだった。

 会ったばかりのしかも自分を殺しに来た奴とこんな羽目になって苦労もするし自由も効かないし苛立つ事も沢山合った。だけど、今は...今は。

「!」
「な...っ!」

 突然視界が浮上し、唇に何かが触れた。目の前には太宰さんの顔。やたらと優しさに溢れた微笑みが其処には合った。

「...異能は使っていないから大丈夫」
「!」

 耳元で私にしか聞こえないであろう声が聞こえた。

「手前!!」
「おっと、」

 中也が太宰さんに足を振り上げる。それを太宰さんはひらりと避けて私達から離れた。私は、と云うと

「...っ」

 自分の意志とは関係なく涙が次から次へと溢れた。それに気付いた中也がキツく私を抱き締める。

「太宰、どう云う心積りだ...っ!」

 中也が怒りの声を上げる。私は糸が切れた様に泣き続けた。違う、あの人は。確信に近い思いは声にはならなかった。

「ナマエちゃんが可愛いかったからついね」
「巫山戯てんのか手前!」

 太宰さんは気付いたんだ。私が今にも泣き出しそうな事に。だから態と私に泣くきっかけを作った。何故そんな事をしたのかは判らない。でもそれは確信に近かった。

「さっきの話しはまた今度気が向いたら訊いて上げるよ」
「煩え!手前になんざに二度と頼むか!」
「酷いなぁ、まぁいいや。またね、ナマエちゃん」

 中也の胸で泣き続ける私の背中に、そんな優しい声が聞こえた。

「...悪い、俺があんな奴に頼まなきゃ」

 太宰さんの居なくなった其処で、中也はそう申し訳なさそうに云って私の頬を撫でた。額を押し付けられ俯いた顔が上がる。止まれ、そう思って瞳をギュッと瞑っても涙は止まってはくれなかった。

「ナマエ、」

 中也の唇が私の唇に重なった。それはまるで太宰さんとの触れるだけの口付けを掻き消すかの様に優しく、深い口付けだった。違う、違うんだよ中也。心で何度も呟いた。だけど一度だってその言葉は私の口から音となる事は無かった。