「「 ふえっくしゅん! 」」

 本部の廊下に響く二つのくしゃみ。私達は同時に鼻を啜って少し熱っぽい身体にウンザリした。

「お二人共風邪ですか?」

 それを見ていたたまたま一緒になった樋口さんがそう首を傾げる。それに中也は「そんな処だ」と歯切れの悪い言葉を返す。

「・・あんたがしつこいからよ」
「・・手前がしつけぇんだよ」

 樋口さんに聞こえない様にボソッと呟いた言葉に同じ様に中也が言葉を返して来た。イラッとして肩をぶつければ同じ様に肩をぶつけられる。樋口さんがいる為表情はにこやかにしていたがそれも直ぐに崩れ去った。

「あんたの所為で二回もお風呂入ったから風邪引いたのよ」
「手前がさっさとシャワー貸さねぇから風邪引いたんだろ!」
「何よ!ちゃんとかけて上げてたじゃない!」
「顔面だけな!しかも水!!」

 そんな昨日の続きだと云わんばかりの掴み合い取っ組み合いになりそうな云い合いをしている私達の耳に微かな呟きが聞こえて来た。

「あの、二人でお風呂入ってるんですか・・?」

 その声に私達はハッとして平然を装った。

「・・否、チガイマス」
「・・否、チガウ」

 樋口さんが居るのをすっかり忘れていた。



episode 18...Sweet sweet emotion



「此れだな」
「ああ、本当だ」

 私達は朝の騒動に収拾を付けられないまま本部の二階、通信保管室へと調べ物に来ていた。その後終始顔の赤い樋口さんにどうしようかと思ったが隣の男も同じ顔をしていて仮に私が何かを云っても説得力の欠片もないだろうと判断してそのままにした。

 そして調べるものは当然、先日会った私の母だ。母が云った「リンタロウ」それが首領の名前だと中也が云ってハッとした。そう云えばいつも首領の部屋にいるエリス嬢が首領をそう呼んでいた、と。

 確かに長年内務省のエージェントである母が首領を知っているのは不思議な事ではない。−−異能特務科。それは危険異能力者を管理する内務省の非公然組織だ。そして、母が所属している組織名だ。

 昨晩中也にそれを云ったら気絶しかけてた。なんだ、ヘタレだな。なんて思ったりなんかもしたが彼の驚きは妥当だ。私も異能力や孤児院を調べていた時にふとした興味で母を調べた時は驚愕し腰を抜かしたモノだ。

 だがだからこそ私は捨てられなかった。母に取っては異能力者も一般人と大差ない。だって母の周りには屹度、一般人の方が少ないのだろうから。

「凄い」

 その母の写真付きの資料に書かれていた私も知り得ない経歴は恐ろしいモノだった。一斉検挙、制圧。十代後半でエージェントになった母のそれは華々しいモノばかりだった。如何に母が有能なのか、それはこれを見れば歴然としていた。

「でも流石にこの日に首領に会ってるなんて事細かい事までは書いてないか」
「そうだな、然も量が多過ぎて探す気にならねぇ」

 母のエージェント歴は二十年以上だ。中也の呟きに「確かに」と苦笑いを零してその資料をしまった。結局の所詳しい二人の接点は判らなかった。

 私は中也に悟られない様に心で舌打ちを漏らす。出来れば母と首領の接点は掴んで置きたい処であった。何故ならそれは私の命に関わる事だからだ。

 それに私はもう一つ気になる事があった。母がふと漏らした父に関する事だ。私の瞳が父に似ていると呟いた言葉がずっと引っ掛かっている。

 今まで父に関する話しを聞いた事がない。私も気になった事がない訳では無い。だが写真一つなくただ「死んだ」とだけ聞かされていた父に付いて今更聞いても、と云うのはあった。死んだ父からしたら随分薄情な娘だろうな、と思う事すら他人事の様だ。

 だが母から出た一言に依って興味が湧いた。矢張り政府の人間だったのだろうか。それならば私は母の云う通り「親不孝な娘」に違いない。

 資料にもしかしたら父に関する事も書いてあるかと期待したがそれも無かった。私が父に付いて調べられるであろう道は既に絶たれてしまった。こればっかりは母に聞かなければ解決はしなさそうだ。私は頭を切り替えて部屋を後にする。

「あーお腹空いた」
「そうだな、午後に任務もあるし済ませとくか」

 私の言葉に中也は携帯の時計を一つ確認してからそう云った。私達はたわい無い会話をしながら何処で食べるやらその後の任務に付いての話しをしていた。

 だが私の脳裏には昨日の出来事が過ぎっていた。あの長くて深い口付け。思い出せば顔から火が出そうだ。本当に隣の男はその事に関して何時も唐突で何を考えているのか判らない。

 そして厭とも思わなかった自分自身の気持ちも判らなかった。唯、唇を離した後に少し名残惜しく思った自分が厭だった。まるで私が求めている様だ。それが実に私の羞恥心を掻き乱す。

 この繋がれた手の平だけじゃ不満に思う事すら、嫌悪感となって私を襲った。誰しも未知の感情は受け入れ難いはずだ。嫌悪感を感じて居るはずなのに胸がドキドキする。少しだけ苦しい。そこである言葉がふと私の頭に浮かんだ。・・もしや此れは俗に云う

「おい、ナマエ」
「!」

 突然呼ばれてハッとした。どうやら私の身体は思考に支配されていた様だ。いつの間にやら入った店で頼んだ覚えのない料理が目の前にある。・・なんてこった。

「食わねえのかよ」
「た、食べるわよ!」

 中也の言葉に思わず声を上げてしまった。キョトンとしている中也を無視して少し乱暴に料理に手を付ける。

「あっつう!!」

 だが口に運んだ料理の激熱さに涙が出た。舌がヒリヒリして思わず口を覆う。そんな私に「何やってんだ」と呆れた声で中也が水を差し出した。それを受け取って身体に流し込む。「はぁ」と息を吐いてコップを机へと置いた。・・本当、何してるんだ私は。

「ほら、此方食えよ」

 そう云って差し出されたのはフォークに綺麗に巻かれたパスタ。湯気が出ていない辺り冷製パスタなのだろう。だから此方を食え、と。

「ん、・・美味しい」
「そうかよ」

 中也に依って口に運ばれたそれを噛み締める。中也は私の言葉に満足そうに笑った。それに私は視線を逸らす。そんな彼の優しさに久々に鼓動が煩くて仕方ない。

 此れが、恋。気付いた想いは私の知りうる限りのどんなモノ依りも甘くて仕方なかった。