帰り道、家までの道程を二人並んで歩く。正直今夜は驚きっぱなしだ。ナマエの話しに依れば母親は異能特務科に属しているらしい。と云う事は母親も異能力者。彼女達は珍しい"異能親子"だったのだ。だから自分は捨てられなかったとナマエはあの後俺が腰を抜かしそうになる事実を平然と云って退けた。

 それに驚いたのはそれだけじゃ無い。俺はナマエがマフィアに入ると云った時に「本気か」と問い掛けた。更には俺の車にて任務の話しをした時に「殺せるのか」と聞いた。俺はあの時の俺に云ってやりたい。「くだらねぇ質問するんじゃねぇ」と。

 ナマエは最初っから判っていた。覚悟していた。孤児院の男を傷付けた時に刑務所に行く事も、その時既に母親と決別せざる得ない事も。

 ポートマフィアから勧誘を受けたのは予想外だっただろうが差して変わりはしない。ナマエ的には失くしてしまったが、当時は孤児院も守れて一石二鳥だったのだろう。

 恐らくああは云っていたが母親に連絡を取らなかったのも意図的だろう。判っていたとは云え、いざ話すとなると気が滅入る様な案件だ。話しが拗れて仕方ない。まぁ一言で云えば面倒だったのだろう。何とも彼女らしいと、俺の呆れたため息が夜の空気に溶けていった。



episode 17...One of impatience



「あーあーお母さんの所為でパズル完成しなかった」

 先程の店で広げていた100ピースのパズル。あれは結局「私達じゃ完成は無理だ」と云い適当な店員にナマエが勝手にくれてやっていた。

 俺が「貰い物だぞ」と云ったら「だって荷物になるじゃん」と何とも清々しい迄の本音が出て来た。そうじゃねぇかとは思ったが。

「母親の所為じゃねぇと思うがな」
「じゃあ中也の所為」

 即答するナマエに「なんでだよ!」と思わず声を上げた。随分夜更けになってしまった。人通りなんてあったもんじゃない。まぁ裏通りと云う事もあるが。

 それでも俺は何処か安心していた。矢張りナマエは莫迦じゃない。俺が不安に思った事はどれも此れもナマエに取っては考え済みなのだ。

 それが末恐ろしくもある上に考えての行動とは思えないモノもしばしば有るがまぁ良いだろう。それは不本意だがこの数ヶ月こうして四六時中共にいる事に依って慣れてしまった。

「にしても、手前と母親はそっくりだな」

 家に帰り風呂に入りながらそんな話しをした。

「よく云われるけど私あんな威圧的じゃないし」

 既に風呂を終えたナマエは扉一枚向こう側で不満気にそう呟いた。まぁ確かに目力は半端無かったな、と思い出したそれに思わず冷や汗をかきそうになった。

「ん?」

 ふと繋がれている左手に違和感を感じた。なんだか柔らかくて温かくて、それが跳ねるように俺の手に・・って!!

「・・おい、ナマエ」
「んー?なにー?」

 俺は小さく呟いた。ナマエはドライヤーで髪を乾かしているのか、少し声を張り上げてそう問い掛ける。尚も俺の手に当たり続けるその柔らかい物。それが離れるのは俺が風呂を出る時かナマエが自分で気付くかの何方かだ。

「・・・」

 やべえ、何だこの拷問は。唯でさえ我慢して居ると云うのに。なんだ?神は俺に試練でも与えてんのか?ふざけんな、俺の理性はこの程度じゃ

「ちょっと、呼んどいて何よー」
「・・っ!」

 くそ!ナマエの足と思われるモノと柔らかい何かに手を挟まれて思わず手で顔を覆った。・・耐えろ、耐えろ俺!自分で自分を律するのはこれ程大変なのか、と俺は今痛感している。

「ねーねー」
「っ、だー!当たってんだよ!くそ女、」

 俺は耐えきれず風呂の扉の隙間からそう顔を覗かせた。だが目に入った光景に思わず声も窄まる。

「えー何がー?ねー何が"当たってる"のかなー?」

 ナマエは然も楽しそうに口角を上げてそう云った。その手には水風船。そして床に転がった電源の入ったドライヤー。そうつまり、俺は図られたのだ。大体何処でそんなモノ手に入れたんだ。

「手前・・!」

 俺の慌てっぷりが面白かったのか、ナマエはケラケラと笑っている。本当にムカつく女だ。俺は一つため息を吐いて風呂を再開する。くそ、腹の虫がおさまらねぇ。

「そういや、手前にそんな柔らかい処なんてなかったな」
「何ですってぇ!?」

 俺が仕返しと云わんばかりに十割厭味の言葉を呟けば、ナマエはそう怒りの声を上げる。

「水風船以下じゃ話しになん、っ痛え!」

 俺の言葉は繋がれた手を思いっきり引かれた事に依って遮られた。しかもナマエはちゃっかり反対の手で扉を抑えてやがる。俺は扉にぶつけた側頭部の怒りのそのままに扉を開けた。

「手前!何しやがる!」
「べっつにー」

 ふいっと視線を逸らしてナマエは然も莫迦にした様にそう呟いた。

「手前・・、わっ!」
「な!?」

 勢い良く立ち上がったが俺は忘れていた。今は身体を洗っていた最中。つまり泡だらけだ。それ故に足は滑り前のめりになる。片手は塞がれ、もう片方の手には石鹸。最早回避は不可能だった。

「ってぇ・・」
「うー・・っいたぁ」

 最悪だ。俺は重なる様にナマエの上へと倒れ込んだ。滑った時に風呂の入口にぶつけた足首が痛む。風呂で転けるなんて格好悪過ぎる。俺は揺れた脳を抑えながら肘を立てた。

「!」
「いーたた・・」

 目の前には俺の体に付いていた泡が至る所に飛び散り、水分に依ってその身体の線を明確にさせた寝間着。俺にくだらない悪戯をしていたが為に乾かし損ねた濡れた髪を掻き上げる様に頭を押さえたナマエがいた。

 その光景は着替えの時の下着姿何てものよりよっぽど破壊力があった。痛みに歪む顔さえも何故か色っぽく見えてしまうから可笑しい。ドクン、と俺の身体が音を立てた。

「ちょっと・・重、」

 気付いたらナマエの言葉を遮ってそのまま唇を押し付けてた。ナマエの塞がった唇から小さく声が漏れる。それに繋がれた手に思わず力が入って、反対の手でナマエの頬を掴んで顎を少し上げていた。

 互いに薄目に開いた瞳が重なって身体の芯から熱が充満していく感覚に襲われた。ナマエは抵抗する事も厭がる素振りも見せずに俺のそれに応じる。ナマエの左手が俺の右手に重なってギュッと握り締めた。もう、止まらなかった。

 互いの熱を帯びた息が交わって湿度の高い部屋に溶けていく。背後から絶えずシャワーの音がBGMの様に鳴り響いていた。この熱さはシャワーの所為か、それともこの吐息の所為なのか判らなかった。

 俺は手をナマエの身体へと動かそうとした。そこでハッとした。動かそうとしたのは左手。つまりナマエと繋がれている手だ。俺は心で舌打ちを漏らす。・・矢っ張り邪魔だ。これじゃ満足に抱けやしねぇ。孤児院が失くなった日も思った事だ。あの日とは少し意味合いが違うが。

 俺はゆっくりとナマエから離れ、近くにあったタオルを下半身へと巻き付ける。ナマエは潤んだ瞳のまま視線を逸らし赤い顔を隠す様に腕を口元に当てていた。そんな姿を見下ろして矢張り舌打ちを漏らしたくなった。

「ほら、起きろ」
「わっ!」

 俺は抱きたい衝動を掻き消す様に繋がれた手を少し乱暴に引いた。ナマエが自分の意志とは関係なく起き上がる身体に声を上げて小さく俺を睨み付ける。

「もう少し乙女に対して優しく出来ない訳?」
「あーはいはい、悪かったよ」
「・・あんた謝る気ないでしよ」

 ナマエの頬に付いた泡を取ってやりながら「手前の真似だ」と笑った。ナマエは「厭な奴」と頬を膨らませる。そしてそのまま手を引いて風呂場に戻る。ナマエはそれに黙って着いて来た。

「ちょっと!自分でやるわよ!」
「あー煩え」

 シャワーを二つある置き場の上に引っ掛けてナマエに向ける。そして頭からわしゃわしゃと荒々しく撫でればそんな抗議の声が聞こえた。だが俺は構わずに続けた。流してやる事への優越感みたいなモノを少し感じたからだ。

「・・チッ!」
「な、手前・・ぶっ!」

 キッと睨み付けられたと思ったらナマエはそのシャワーを乱暴に手に取りその口を俺の顔面へと向けた。至近距離のそれに目なんて開けられたもんじゃない。

 必死に顔を背けてその攻撃を避けようとするも凡て見えているナマエからそれを回避するのは至難の業だ。聞こえて来るのは風呂場に響くナマエの人を小莫迦にする時の笑い声だ。

「やめ、くそ!」
「あはは!ざまぁ!」
「手前・・!」

 さっきの口付けなんて無かったかの様にシャワーを奪い合いながら俺達は子供みたいに何時までもそこでそうしていた。