「たく、肝が冷えたぜ」
「ごめんごめん」

 首領の執務室を出て中也が深いため息を吐きながら呟く言葉に私はそう言葉を返した。結局何を話していたのか、私の頭には粗方の内容はもう消えていた。理解出来ないモノを覚える事ほど難しく無謀な事は無い。

 残ったのは最後の首領の瞳、そして"応え"の出なかった私のやり場の無い喪失感だけだった。



episode 16...Accidental reunion



「ぎゃあああ!違う!それはこっち!」
「あァ!?そりゃこっちだろ!」

 あれから暫くが過ぎた。俺達は仕事が長引いたが為に久々に外食をしていた。食事を取り酒を飲み、そして「エリスちゃんに買ってあげたのに要らないって云われた」と云って首領から貰った100ピースのパズルをテーブルに広げていた。

 こんな処でやるもんじゃねぇだろ、と云ったが「いーじゃん、酒の肴に」とナマエが始めたのが事の発端だ。だが見ての通り一向に絵は完成しない。兎にも角にも目に付いたピースが同じらしく取り合いの連続に思わず頭に血も登るってもんだ。

「中也はこっち側って云ってんでしょ!」
「こっち側やってんのに手前が邪魔すんだろ!」
「あんたが邪魔してんのよ!ちびっ子!」
「煩え貧乳おん、がっ!」

 酒も入っているからか、お互いムキになってやたらと騒ぐ。終いには矢張り頭突きが飛んで来るんだからどうなってんだ此奴は。これじゃあ何時になっても出来やしねぇ。

「はぁ、何か食うか」
「私甘い物」
「ンなもん食ったら腹が出て余計、ぶっ!」

 少し落ち着こうとメニューを手に取ってそう云えば今度はパズルの箱が俺の顔面を直撃した。ぱこーん!と間抜けな音が店内にこだました。

「あんたは酒じゃなくて牛乳でも飲んだら?」
「手前、良い度胸じゃねぇか・・!」

 思わず俺が右手を震わせた時、俺達のテーブルに一人の女が近付いて来た。騒ぎ過ぎたか、面倒くせぇと舌打ちをする間に女は俺達の目の前で立ち止まった。

「こんな処で騒いでんじゃないわよ」
「・・悪かったな」

 見下ろしながら怪訝そうに云う見た目は四十代前後と思われる女に俺はそう云って視線を逸らす。此れが男なら喧嘩上等だったが女となりゃ面倒以外の何物でもない。謝ったからさっさと消えろと云わんばかりに俺は其奴を睨み付けた。だかその女の声にパズルに視線を落としていたナマエが目を見開いて勢いよく顔を上げた。

「お、お母さん!?」
「はァ!?」

 ナマエの言葉に口に運ぼうとしていたグラスを危うく落としかけた。それをテーブルに置いてもう一度目の前の女を見る。云われて見れば髪色やその顔立ちにナマエの影がある様で先程の自分の対応に頭を抱える。

「そうだ、あんたのお母様だよ莫迦娘」

 その女−−基、ナマエの母親は腕を組んで瞳孔を開いている。如何やらお怒りの様だ。ナマエの母親は俺達のテーブルの椅子に音を立てて座り足を組む。そして一つため息を吐いて髪を掻き上げた。

「ったくあんたは今まで何処に行ってたんだ」

 連絡も取れない、家にも帰って来ない、オマケに働いていた筈の孤児院は全焼。駆け付けた時は絶望した、とナマエの母親はため息の理由を並べていく。

「あーごめんごめん、携帯なんて会社の使ってるからどっかにあるわ」

 あれ何処やったかな、なんて首を傾げるナマエに母親はまたため息を吐く。如何やら此奴の自由さ加減は母親でも手に負えないらしい。

「あんたは昔から云う事聞きやしない」
「えー異能を黙ってるってちゃんと守ってたでしょ」
「それだけでしょ!・・って、あんた」

 母親はそこまで云って僅かにハッとしていた。俺に視線が向いている辺り「此奴も異能者だと知っているのか」と云っている様だった。

「知っています、どんな物かも」

 俺の言葉に母親はそりゃもう盛大にため息を吐く。ため息を吐くと幸せが逃げると云うがそれが本当ならナマエの母親の身体にはもうそれは無いだろう。それ位深く重いため息だった。

「何処ほっつき歩いてるかと思えば男と居るし、何やってんのかねえ」
「別にちゃんと働いてるし問題無いでしょう」

 ナマエの言葉に母親が「へぇ」と顔を上げた。厭な予感がした。連絡を取っていないとなればナマエのその"働いている先"が何処なのかを知っている筈がない。それは今の反応を見ても明らかだ。

 流石に「マフィアやってます」なんて堂々とは云わないと思うが、下手な嘘を付けばすぐバレる。如何する気かと俺はナマエを横目で見た。

「何の仕事してるの」
「ん?マフィア」

 ああ、そうだよ。此奴はそう云う奴だ。平然と云ってのけたナマエに頭を抱えたくなる衝動が起きた。否、だがだからこそ一般人の癖に平然とマフィアに入っても此奴はやっていけてる。目を見開いたまま固まった母親に同情さえした。

「何だ、その冗談は流行ってんのかい」
「えー本当本当、私ポートマフィアにいるの」
「なっ!?」

 ポートマフィア、その言葉に母親は思わずそう声を上げた。

「・・あんた、母さんの職業を云ってごらん」
「内務省直属のエージェント」
「なっ!?」

 ナマエの言葉に今度は俺が思わず声を上げた。・・此奴、今なんて云った。内務省?エージェント?詰まりは政府機関だ。それを母親に持って尚、ナマエはマフィアと云う組織に躊躇いも無く入った。此処に来て新たに発覚した内事情とナマエの奔放さに眩暈さえ起こしそうだった。

「って事は、反応を見る限り此方の彼は」
「・・・」

 視線を俺に移した母親に如何するかと考える。前のめりになってテーブルに肘をついた母親のその瞳は正しく悪を裁く死神かの様に光り、エージェントの名を沸沸と感じさせた。

「よく見りゃ手配書で見てる顔だね」

 そんな母親の言葉に「流石幹部様」何て隣のナマエは暢気に酒と先程云っていた甘い物を平然と注文している。此奴は空気を読めねぇ愚者なのか、読んで尚そうしてる大物か、理解したと思っていた彼女は底が知れない。

「・・まぁいい、私も仕事終わりだしね」

 ナマエの母親はそう云って椅子の背もたれに寄り掛かる。一気に解けた緊迫感に俺は手に汗を握っていた事に今気付いた。

「名前は」
「・・中原中也です」

 応えようか悩んだ末に俺は自分の名前を口にした。この質問は警察としてか、はたまた母親としてか判らなかった。だが応えてしまった以上俺の手配書は名前付きになるのだろうと思わず自嘲した。

「この子の母親が政府機関の人間だと知ってどんな気分だい」

 唯の質問だ。なのに何だこの威圧感は。まるで牢獄に繋がれて「今の気分は?」と聞かれている錯覚さえ起こしてしまいそうだった。

「正直、此奴が此処まで阿呆だとは思いませんでした」
「何ですって!」
「痛え!手前は少し黙ってろ!」
「はああああ!?」

 メニューを振り上げ騒ぐナマエを抑えながら、俺は言葉を続けた。

「だが、だからと云って何かが変わるかと云えば、何も変わらない」

 そうだ、だから何だ。ナマエの母親が警察だろうとナマエは自らマフィアに入った。その裏に首領の策略があったとしても此奴はそれを知っていて尚こうしている。阿呆なのも煩えのも凶暴なのも今更だ。何より俺が此奴を手放す気なんて毛頭ない。例えその相手が内務省のエージェントだったとしても、だ。

 そんな俺の言葉をナマエの母親は品定めするかの様に、でも真っ直ぐ真剣に聞いていた。少しの間を空けて、やがて母親はため息を吐いた。

「・・やだねぇ、マフィアの餓鬼は餓鬼臭く無くて」

 うちの莫迦娘とは大違いだ、と母親は嘆く。それにナマエは「如何いう意味よ!」と声を上げた。

「ったく親不孝もいいとこだねぇ」
「・・すいませんねぇ」

 母親の言葉にナマエは不貞腐れた様に呟く。

「母親と正反対の組織に付いた、この本当の意味があんた判ってるの」
「判ってるよ」

 今度はナマエと母親が互いを見詰めた。似た顔が容赦なく鋭い瞳をぶつけ、異様な緊迫感がこのテーブルに並べられた。

「縁を切る覚悟くらいあるんだろうね」
「そんなの入る時に・・違う、マフィアに入る前一般人に異能を使った時に出来てた」

 ナマエの言葉に母親が目を見開く。そして思わず頭を抱えてそのまま信じられないとでも云うようにそれを左右に振った。

「たく、その瞳・・父親そっくりだ」

 その言葉に今度はナマエが驚いた様だった。だが母親はそれには触れずにため息を吐いて視線を逸らした。

「まぁ精々母親に捕まらない様にしな」
「・・へーい」

 如何やらナマエの怖いもの知らずは筋金入りの様だ。だが幼い頃からこんな瞳に睨まれていたらマフィアのそれこそ首領以外には何とも思わないだろう。ナマエのマフィアでの冷静さなどは親が関係していたのだ。危機感がまるで無い返事に思わず此方までため息が出そうだ。

「あんたもね、中原君」

 目配せをされて俺は返事をするでも無く唯ナマエの母親を見詰めた。そして母親は静かに立ち上がった。

「あんたに会ったらドッと疲れたから帰るわ」
「ちょっと、私実の娘ですけど」

 あーあ、と云う母親にナマエはそう突っ込みを入れた。なんつーか、変わった親子だ。そのまま母親は俺達に背を向ける。

「・・ナマエ、」

 一歩二歩と歩いた処で母親は足を止め、僅かに振り返ってナマエの名を呼んだ。それにナマエは「なによ」と小さく問い掛ける。

「あんたももう大人だ。何処に居ようと勝手にすればいい」

 その言葉は俺からしたら意外だった。母親で尚且つ其れなりの地位にいるであろう目の前の人物に掛かればマフィアになって数ヶ月のナマエを無理矢理抜け出させる事は難しく無いだろう。此れからそんな身近な敵ともやり合わなきゃならないのかと話しながら考えていた。だがそれは無用な心配で終わりそうだ。

「でも、私より先に死ぬんじゃ無いよ」

 此れだけは守りなさい、そう母親の顔でそう云った。ナマエもそれを察したのだろう。真剣に頷いていた。それに満足したのか、フッと笑って再び歩き出した。

「リンタロウに云っときな、次会ったら殺すって」

 そう最後に云ってナマエの母親は店を後にした。

「・・りんたろう?」
「手前の母親何者だ」

 首を傾げるナマエに俺は母親の消えた扉を見詰めたまま顔を青ざめさせてそう問い掛けた。何故ならあの母親の云った「リンタロウ」それは首領のもう一つの名であった。