あれから二週間が過ぎた。悲しみは拭い切れないながらも、私はそれまでの生活とそれ程変わらない日々を過ごしていた。

「さっさと飲め、支度するぞ」
「うーん」

 朝、ソファーに座って日課のコーヒーを飲む。相変わらず隣の中也の肩は私の枕代わりだ。だがその私の頭に中也の頭が寄り掛かっている。それはあの日、口付けを交わした日を皮切りに始まったモノだった。

 最初こそ僅かに驚きはしたが、のしかかる重みを苦痛と捉えず寧ろ心地良ささえ感じていた私は何も云わなかった。疑問はあったが敢えてそれを問い掛けるのもこそばゆくてそのままだ。

「遅刻してえのか」
「・・はいはい、動きますよ」

 私がそう云って手の中のカップをテーブルに置けば、その瞬間引き寄せられて唇が重なる。僅かに声が漏れ目を細める。だが中也はするだけしてあっさりと立ち上がる。まるで挨拶かの如くそれさえも日課になりつつあった。

 私はそれに遅咲きの発情期か?と首を傾げる。最初こそ煩かった心臓も、こうあっさりしたモノが続くとそんなふうに思えて来る。つくづく慣れとは怖いモノだ。



episode 15...The identity of that day



「中也君が見たそれは恐らく光子だろうね」

 休みを貰った次の日、互いに報告のあった私達は朝から臨時に貰った休みの礼を云う為にも首領の執務室へ足を運んでいた。

 そして自分の目で見たモノを中也は正確に首領に報告していく。私はそれを他人事の様に聞いていた。何故ならその力を使っていた時の記憶は靄が掛かった様に曖昧だったからだ。俄かには信じ難い力。しかもそれを自分のモノだと云われたって実感も何もない。

 中也は当時を私が覚えていない事を前置きに首領に話していった。すると首領は考える素振りも見せずにそう云った。まるで初めから私に眠るその力を知っていたかの様に。

「中也君の"汚濁"が周囲の重力子を操り目に見える程に圧縮される様にナマエ君の"天劾"は周囲の光子をそうさせるのだろう」
「"天劾"、ですか」
「君がそう云っていたのだろう?」

 私が思わず繰り返した聞き慣れない言葉に首領は何を云っているんだ、と云わんばかりにそう云った。

「光子は素粒子の一つで、光を含む全ての電磁波の量子状態だ。恐らく君を光の発信源、そして受信先として多くの光子を呼び寄せ院長を貫き孤児院の火を消した」

 正直な感想を云おうか。さっぱり判らない。ある程度の学問は受けて来たが成績優秀、なんてステータスは残念ながら私には無かった。だがそれに気付きながらも首領は言葉を続けた。

「それが本来の君の異能力なのだろう」

 中也君の"汚濁"がそうな様に。そう云われても私は中也の"汚濁"とやらを見た事もない。だがあの時中也が必死に何かを叫んでいたのはその為だったのかと思った。薄れる意識の中で僅かに聞こえた声の言葉を今知った。

「だが違う点は君の力は死ぬまででは無く体力が続く限りと云う処だね」
「はい、あの時は五分も持ちませんでした」
「元々ナマエ君の異能力は体力の消費が激しいのかもね」

 まぁそれも推測だけど、と付け加える首領。確かに異能力を使う様になってから朝が更に苦手になり、帰りは決まって中也の車で睡魔に負ける。些細な事も繋がっていたのだろう。だけれど矢張り実感は皆無だった。

「だけど力を使っていた時の意識もない様だし、実用的では無いねぇ」
「そう思います」
「・・首領」

 二人が話す自分の事を右から左へと流して聞いていた私は静かに口を開いた。それに首領と中也の視線が私に集まる。私は首領を真っ直ぐ見詰めた。

「一つ、お聞きしたい事があります」

 私の言葉に首領は「何だね」と嘘臭い笑みを浮かべる。ずっと、ずっと疑問だった。何でも知っている様な口振り、中也から聞いた当日の首領の言葉、私がマフィアに入った事も含め、凡て首領の意図、若しくは策略さえあった様に思えて仕方なかった。

「今回の件に、首領は手を加えてお出でですか」
「おい、ナマエ!」

 私の言葉に中也が焦った様に声を上げた。首領は浮かべた笑みを消してその目を僅かに開き、唯口角を上げたまま私を見ていた。そんな首領に私は更に言葉を続ける。

「応えて下さるなら、私は二度と貴方に嘘を吐かないと誓います」

 それは深夜の電話の件を首領から聞いた時の話しだ。どうせ私のあんな苦し紛れの嘘は見破られているのは知っていた。でもこれをあやふやにしたまま首領の下にいる事は出来無いと思った。

「関与している、と云ったら如何する心積りかね」

 首領の言葉に内心舌打ちを漏らした。そう来るだろうと判っていても、だ。だが表立っては眉一つ、筋一つ動かさずに言葉を続けた。

「私に貴方を殺す事は不可能でしょう」
「それは過大評価だね」

 首領は私の言葉にクスクスと笑った。

「ただ、私は知りたい」

 見詰めていて相手の心内を凡て見える人間は居ないのだろう。それこそその類いの異能力者でない限り。だが此の瞳はそんな非凡の様な気がしてならなかった。

 私はこの凡て見えているかの様な瞳が嫌いだ。私の遥か奥深くを見詰める様な、私の知らない私を見詰める様なこの瞳が。

 だから言葉にするしかない。立場で云ったらこの場で殺されてもおかしく無いのは知っている。重々承知だ。首領が黒なら殺してやりたい。それが出来ない事も知っている。ならせめて、あの子達が死ななればならなかった理由を、私は知りたかったんだ。

「ナマエ君が嘘を吐いた事、そして電話の相手があの孤児院の院長だと云うのも大体予想はしていたよ」

 そして院長が裏組織に出入りしている事も。と首領は言葉を続ける。

「ああ云った愚か者の末路は安易に想像が出来る。その火の粉が周囲に撒き散らされる事も珍しくはない」

 あの孤児院が危険な場所だと云う事は判っていた、と首領は云う。その言葉に嘘は無いのだろう。否、私には先入観が邪魔をして判らない。だがそれでは聞いた意味が無くなってしまう事は判っていた。

「だが流石に電話の翌日とは思わなかったよ。余程せっかちな組織と交渉していたのだろうね」
「・・結論をお願いします」

 私の言葉に「君もせっかちな部類かな」と首領は苦笑いを零す。だがそれも一瞬で、再び口を開いた。

「私は関与していないよ」

 良い意味でも、悪い意味でもね。と首領は言葉を締めくくった。それに私には目を伏せ、その言葉を自分に言い聞かせた。

「無礼な質問をしてしまい、申し訳ありません。此の処罰は受けます」

 そして頭を下げた。組織の頭である首領に此の事件はお前の所為かと投げ掛けた上に五大幹部の一角が隣にいる。これを口にすると決めた時から処罰は覚悟の上だった。

「気にする事はないよ」
「!」

 だが首を垂れた私に掛けられた言葉は意外なものだった。思わず顔を上げ首領を見れば、ケラケラと笑っていた。何が可笑しいのだろうか。

「茶会の世間話だったとでも思えば良い。それに対して処罰だなんだ云っていてはうちから構成員が消えてしまうよ」

 ふと頭にもう一つの疑問が浮かんだ。

「・・何故私に良くして下さるのですか」

 極悪非道のポートマフィアの首領が、入って数ヶ月の下級構成員でしか無い私のその待遇、と云うか接し方に違和感があった。私は首領を詳しく知らない。何となく、本当に僅かな違いを感じただけに過ぎない。だけどそんな私に首領は意外にも少し驚いた表情を見せ、そして笑った。

「それは君が、私の大切な」

 一瞬、ドクン、と胸が鳴った。その瞳に吸い込まれる様な感覚を覚えた。

「大切な、部下だからだよ」

 その奥に慈悲深い何かを感じた様な気がした。そんな事、あるはず無いのに。