「はい、承知しました。はい、失礼します」

 俺はあの後ナマエを抱えて自宅へ戻った。首領への簡易的な報告の為に耳に当てていた電話を切って一つ息を漏らす。横を見れば未だ眠り続けるナマエ。其の眠りは何時もより深い様だ。

 取り敢えず焦げ臭い服を着替えさせベットへと寝かせた。その間もナマエは起きる事は無く俺も勿論その見えた肌にも手を出す気なんて微塵も起きず、自分も着替えてナマエの隣に腰掛ける。

「無茶しやがって」

 その髪を掻き上げ頬を撫でる。生きている筈なのに、呼吸をしている筈なのに、その肌は死人の様にヒンヤリとしていた。空いている手でその輪郭を包めば、考えるより先に顔を近付けていた。


episode 14...Sorrow of the consequences



「ん、」

 その後、いつの間にか寝ていた様だ。外から朝の光を感じない辺りまだ夜更けなのだろう。俺は額に掛かった髪を掻き上げて身体をナマエへと向ける。ナマエは身体を仰向けにしたまま顔だけを反対に向けていた。

「流石にまだ起きねぇか」

 小さく呟いてナマエに布団を掛け直す為に肘を曲げて僅かに上体を浮かせた。

「!」

 だが俺の目に入ったのはナマエのその頬に光るモノ。ナマエは起きていた。起きて、音も無く泣いていた。手を繋いでいるから俺に背は向けられない。だから顔を目一杯逸らし、震える身体を押さえ込む様に静かに泣いていた。

「ったく、」
「!」

 俺はナマエの肩を掴んで身体を自分へと向けた。咄嗟に腕を伸ばして距離を取ろうとするナマエの後頭部を掴んでそのまま自分の胸へと押し当てた。声は出ずとも驚いているだろうとは思ったが、そんな事はどうでもいい。

「こんな時くらい我慢すんじゃねぇよ」
「・・っ」

 そう云えばナマエが俺の服をギュッと握って自ら俺の胸に顔を押し当てた。そんなナマエの頭に頬を寄せて髪を撫でる。繋がれた手が邪魔だ。これがなきゃ全身で力一杯此奴を抱き締めてやれるのに。手がくっ付いて今が一番この状況を忌々しく感じた。もう、手を繋ぐだけじゃ足り無くなっていた。

 それでもナマエは声を上げはしなかった。啜り泣く声が僅かに聞こえるだけだ。・・本当、気の強い女だ。泣き喚いたっていい筈なのに。

「俺を頼れよ」

 そう云えば戸惑いながらも俺の服を掴んでいた手が脇の下から肩に回された。ギュッと力の入る手が愛おしく思えて、出来る限りナマエを抱き寄せる。何方かとも無く足を絡ませ唯ひたすら抱き締め合った。

「カイト、ケント、ユズノ・・っ」

 震える声で子供達全員の名前を呼ぶ。唯名前を呼んでいるだけだと云うのに、其奴らはもう居ないと云うだけで切なくて堪らない。何故ならナマエが呼ぶ名前の顔をまだ鮮明に覚えていて、尚且つその顔は凡て笑っていたから。

「ごめんね・・っ」

 矢張り間にある互いの腕が邪魔だったが、もう構わなかった。胸に突き刺さったままの哀しい現実を掻き消す様に俺達は朝までそうしていた。

 辛くも俺達が出会ってから一番、相手を近くに感じた日だった。







 次の日、簡易的な報告も済んでいた為首領の計らいで休みを貰った。俺達は私服で昨晩いた場所へと花束を持って訪れていた。あくまで一般人を装う為だ。

 色取り取りのそれはナマエが一本一本子供達を一人一人連想させながら選んだモノだ。ナマエはその花束を既に門の前に飾られた多くはない貢ぎ物の隅へと置いた。そしてそっと立ち上がり変わり果てた孤児院をジッと見詰めていた。

 その横顔は哀しみと遣る瀬無さを含みながらも、凛としていて気高ささえ感じさせた。

「警察の情報だと子供達も職員も一人残らず遺体が発見されたらしい」
「・・そう」

 俺の言葉にナマエはそれだけ呟くだけだった。屹度その目には子供達と過ごした時間が映っているのだろう。遠くを見つめる瞳が僅かに滲んだ。

「助けて、あげたかった」
「・・そうだな」

 絞り出す様な言葉にゆっくりと頷いて握る手に力を入れた。その哀しみが、少しでも和らぐ様にと願いながら。

「腕は平気か」

 昨日ナマエ自ら刃を突き立てた右腕。ナマエが寝ている間に手当てをしたが、出血に比べてその傷は思ったよりも浅かった。

「平気、ありがとね」
「ああ」

 ナマエが俺を見てそう小さく笑うから、俺も同じ様に小さく笑ってそう返した。

「行こう」
「・・もういいのか」

 孤児院を後にしようとするナマエに俺はそう声を掛ける。

「うん、だって子供達はこんな私望んでない」

 あの日々と同じ様に笑って過ごさなきゃ、あの子達は察しが良いからゆっくり眠れない。ナマエはそう云って何時もの様に笑った。その笑顔が逆に俺を切なくさせたが、それを悟られない様に俺もナマエの後に続いた。

「折角の休みだ、何処か行くか」
「お、いーねー」

 俺の言葉にナマエは楽しそうにそう云う。何時もだったら「孤児院!」と云っていたがもうその行き先は無い。それが一番辛かった。

「昼間から飲んじゃう?」
「手前、話しが判るようになって来たじゃねーか」
「まーねー」

 そんな何時もの様な会話をしていても違和感が合った。それはナマエもだろう。昨日の出来事はそんな簡単に振り切れる訳も、忘れられる訳もない。だがそれでも俺達は違和感に気付きながらも気付かない振りをした。この哀しみが癒えるその時まで、これが何時もの会話になるその時まで、唯耐えるしか遺された者の道は無かった。







「あー飲んだー!」

 散々飲んで、店を出た頃には外はもう真っ暗だった。私達は海沿いの公園を歩いていく。真っ暗と云ってもこの街に光が消えるのはもっと後の事だ。ビルの光だけで無くクリスマスかの如く様々な色がこの横浜には常に灯されていた。

 海沿いの街と云えど砂浜はない。その殆どが港やこうした公園へと改良され、その下に海が流れている。それを不思議とさえもうここの住人達は思わないだろう。逆にそれに違和感を感じる私がおかしいのだろうか。兎も角そんな海の上を酒の力に依って軽くなった足取りで私は歩く。

「おい、歩くのが早えんだよ」

 半ば私に引き摺られる様な形でフラフラと覚束無い足取りで歩く手の平の先の中也はもうずっと顔が赤い。そんな中也を見て私は口角を上げた。それに彼が気付く前にそのまま全力疾走。夜の横浜を走り出した。

「ば!やめ!手前・・!」
「あははは!」

 背後から焦った声が聞こえた。だが私はそのまま走り続けた。夜の海風が髪を撫でて心地良かった。まるで哀しい出来事なんて、無かったかの様に。

「未成年の飲酒はいけないよ少年?」
「手前・・」

 体調不良を訴えた中也に広い公園にある一つのベンチへと腰掛け私は補導を始めた。すると中也は顔を覆って項垂れた顔を少し上げて私を睨む。なんて目付きの悪い少年だ。

「・・気持ち悪ィ」

 中也はそう云って帽子を支えながらベンチに肘を乗せ天を仰ぐ。それに釣られる様に私も背もたれに寄りかかって空を見上げた。その街の星は淡く薄い。それは街の光り故だ。だが公園の少し奥に来たからか街灯の少ないそこからは星がよく見えた。この街にしては、だが。

「中也ってさ、変な奴だよねー」

 徐ろに呟いた言葉に中也は「何だよいきなり」と最もらしい返事をした。お互い顔を空へ向けたままだ。端から見たら可笑しな二人に見えたに違いない。

「私を、助けてくれる」

 昨日、久々に泣いた。いつ以来だろう。小学生の時に転んだ時か? 高校の時にお母さんと喧嘩した時かも知れない。なんで喧嘩したんだっけ。

 兎も角そんな曖昧なモノだ。唯泣いてそう云えば、と思っただけの事。だがこんなに泣いたのは初めてだと云う事は確証があった。

 自分で云うのも何だが私は恵まれている。前にも話したが母は私を異能者として見なかった。否、例え異能力者だろうと関係ないとさえ思っている様だった。

 だから私は普通の人と同じ様に生きて来た。それが恵まれていると思えるのは私が普通では無いからだ。父が記憶も起こらない頃に他界した事にだって特に悲観はしなかった。存在すら知らない人物に嘆く程心乙女では無い。

 でもそんな生活、そしてこんな性格だからか、誰かに頼る、甘えると云う事を知らずに来た。自分が普通で無いと、恵まれていると感じても悩みや苦悩は付き物だ。生きている限り人にそれは付き纏う。恵まれている私だって例外じゃない。

 だけどそんなモノは何時も身体に無理矢理押さえ込んでいた。何も考えずにその感情をぶつけられる場所なんて無かった。

 だから昨日も目覚めた後一人泣いた。私は何時も泣く時はああして泣く。拳を握り、声を殺し、哀しみを掻き消そうと様々な思想を広げる。でも流石に昨日は駄目だった。原因が大き過ぎた。幾ら涙を拭おうとも、幾ら他の事に思想を向けようとも、その涙は止まってはくれなかった。

 そんな時中也が起きた。思わず息を止めた。泣いてるなんて察されてはいけない。これは何故か私の胸の内に自然と浮かんだ言葉だ。私が泣いてるなんてそんな似合わない事はない。−−気の強い女。中也の中での私はそう分類されている。中也だけでなく、私を取り巻く多くの人間が不思議と私をそう評価していた。

 人間とは不思議なモノだ。そんなモノどうでも良い筈なのに、それを崩さない様にしなければと思うのだ。それ以外の自分を見せるのは恥かしく、まるでそれは自分では無いと自ら否定する。私も正にそれだ。

 それを超える為には全てをさらけ出せる自分と、その曝け出した人間を受け止めてくれる相手が居なければ成り立たない。そんな事不可能に近い。だが巡り会えた場合、人はそれを奇跡と呼ぶのだろう。

「昨日も、ってか・・出会った時から」

 私の言葉に中也が私を見た気がした。「何の話しだよ」とぶっきら棒に彼は云う。

「あの日中也が来て、こうして手を繋ぐ事にならなきゃ・・多分私も昨日死んでた」

 例えマフィアに入ったとしても彼処に居ただろう。そして彼と共に居なければ此処まで急速に命のやり取りを目の当たりにはしなかっただろう。彼はいつの日か云っていた。『下級構成員に対した仕事はない』と。その対した仕事と云うのは戦闘とかそう云ったモノだ。つまり私は孤児院に居た時の私と大差無かっただろうと思う。

 そこに殺す気で来た他の組織が襲撃に来たとして私に何が出来る?屹度何も出来なかっただろう。皆と同じ様に山積みにされた屍の一つとなっていただろう。それが運命の悪戯か、それとも必然かは判らない。だけど結果論として私は彼に礼を云わなければと思ったのだ。

「だからさーありがとね」

 照れ隠しに何時もの調子で云ってみる。改まって云うとなると矢張りこそばゆい言葉だ。中身が詰まっていたら詰まっていただけ。

 でも中也は何も云わなかった。矢っ張り似合わなかっただろうか。つい自嘲の笑みが漏れた。でもこれは、これだけは云っておきたかった。伝えなきゃいけないモノだった。

 シンと静まり返ったそこで私は海を見つめ、そして肺いっぱいに海風を吸い込んで目を閉じた。今この時に、彼が隣にいる事に感謝した。出なければ例え昨日の時点で生き永らえたとしても、こんな風に強く居られなかった筈だから。

「ん?」

 ふと頬に何かが当たって擽ったい。それが何かを確認しようと目を開けたのと、唇に何かが当たったのはほぼ同時だった。

 目の前には目を伏せた中也の顔。一瞬、何が起こっているのか判らなかった。だけどそれを理解した次の瞬間、妙に胸が締め付けられた。言葉は交わしていない。だけど触れ合っている場所から言葉が流れ込んで来た気がした。

 手前は一人じゃない、強がらなくたっていいんだって、不思議とそんな風に云われている様だった。だから私は中也の服を握り同じ様に目を閉じた。それに中也は繋いだ手に力を込めて私の頬に触れた。・・優しい手だった。

「・・・」

 永遠に続くかと思われた長い口付けをどちらかとも無く終えて唇を離す。お互いの吐息が僅かに漏れる。視線に困った私は少し目を開いたままその瞳を伏せていた。

「っ、」

 ふと音を立てて中也が私の額に口付けをする。それに驚いて一瞬目を瞑り、触れられたそこを押さえて瞬く瞳を中也に向けた。

「感謝するならこの位しろよな」

 そこには不敵に、そして優しく笑う中也がいた。