俺の家から孤児院まで早くても二十分は掛かる。だがそんなに時間なんて掛けていられない。『彼女の居た孤児院が襲われたらしい』首領の言葉は非常に簡潔的で質素で、そして途轍もない破壊力を秘めていた。

 理由や何処の組織かもまだ判っていない。首領が今誰かに調べさせているだろう。首領は俺に『好きにしなさい』そう云った。知らん顔で見過ごすも良し、現場に向かうも良しと云う事だ。

 正直驚いた。直ぐに向かえば襲った組織がいる可能性だってある。情報が何も無い故に相手の組織に依っては組織規模の抗争になるかも知れない。

 ポートマフィアと無関係の襲撃だった場合は此方が横槍を入れる形にもなる。だが首領はそう云った。矢張り其の意図は俺には幾ら考えても判らない。

 首領と云いナマエと云い、何かがおかしい。そんな違和感を抱えたまま俺はブレーキと云う概念を忘れた愛車を走らせ続けた。



episode 13...Light of the Requiem



「嘘、」

 孤児院に着いた。車を降りた俺達の目の前には悲惨な情景が広がった。孤児院に近付いていた時にも微かにそれは見えていた。だがそれは間近で見るのとは迫力も絶望感も天と地程の差があった。

「如何して、」

 ナマエは唯々理解に苦しむ様に燃え盛る孤児院を見上げた。俺はその隣で帽子を深く被る。−−完全に手遅れだ。子供達が何時も居た講堂の場所は特に激しく燃え、その炎は闇の様な夜空を真っ赤に染めて居た。地獄絵図、そんな言葉さえ脳裏に浮かんだ。

「・・っ!」
「おい!ナマエ!」

 だがそんな事を構わず炎の中に走り込もうとするナマエに思わず声を上げた。今中に入れば講堂に辿り着く前に死ぬのは目に見えている。−−もう誰も生きては居ない。喉元まで出掛けた言葉だ。

「手前!俺まで殺す気か!」

 そう云ってその手を力任せに引いた。そう云えば止まると思ったからだ。案の定ナマエが俯いたまま歯を食い縛るのが見えた。大分炎に近付いたそこは息をしているだけで喉が焼けそうだ。火の粉がチリチリと舞い、夜にも関わらずその明るさに目を瞑りたくなる。

「そう、だよね・・ごめん」

 ナマエはそう云って俺の服を握った。俺は安堵した。こんな炎に突っ込めばどうなるかを判らない奴ではないと、ナマエを判ったつもりでいた。だが俺は理解していなかった。彼女の執念の様な想いと、この場所の子供達への愛。そして、手段を選ばない彼女の冷徹さを。

「っ!」

 驚きに口を開いてる暇は無かった。

「・・っ」
「莫迦ヤロウ・・!」

 俺はナマエの自由の利く左手を握り締めてそう声を上げた。ナマエは俺の懐にある短刀を瞬時に引き抜き、そして自分の腕へと振り上げた。その躊躇の無さと俊敏さにナマエの腕に俺の短刀が食い込んでいる。

 一瞬でも反応が遅れれば間違いなくナマエの腕が落ちていた。短刀を握り締めたナマエの手を押さえた手に力を込めてそう云えばナマエは顔を歪めて顔を背けた。

「・・手遅れだ」

 俺は先程飲み込んだ言葉を敢えて口にした。

「もう誰も生きちゃいねぇ」

 遠くに消防車のサイレンの音が聞こえた。だが此処に来るには車一台ギリギリ通れる小道を抜けなければなら無い。其処で立ち往生しているのだろう。その音が近付いて来る気配は無い。

 俺の言葉に短刀を持つ手の力が抜けた。それを確認して俺はそれをナマエから奪い、血の付いたそれを一振りしてから懐にしまった。

「ナマエ、」

 こんな処にいたらその内肺が焼けちまう。これだけ火が回っている事から犯人もいはしないだろう。俺はこの場を離れようと俯いたままのナマエの肩を掴んだ。

「・・何故だ」
「!」

 ふと掠れそうな男の声が俺達の耳に入って来た。

「手前は」
「何故昨日連絡した時に来なかった!」

 其処には肩から腹部から血を流し命辛々歩いて此方へと向かって来るこの孤児院の院長がいた。

「矢っ張り電話は手前か」
「そうだ!彼奴らに狙われて、俺は!」

 奴の話しはこうだった。裏社会の組織の一つと商談をしたがその任務に失敗した上に逃げた。消される、と命の危険を察知した此奴の脳裏に浮かんだのがナマエだ。この孤児院が管轄下であるナマエにあろう事か自分を守れと連絡を寄こしたのだ。そうすれば俺も着いて来ると思った。五大幹部がいたとなりゃ小さな裏組織なんて相手では無い、と。

「巫山戯てんのか!手前の不始末で彼奴らは・・!」

 思わず拳を握って言葉を詰まらせた。過ぎったのはあの無垢な笑顔。俺を「ちゅーや」と呼び捨てにし、「遊べ!」と命令し、俺にナマエを「守れ」と云った子供達だった。

「クソ・・っ」

 其奴らは今全員炎の中だ。生きては、いない。胸にムカムカとした感情が広がって胸糞悪い。

「・・院長先生、一つだけ教えて下さい」

 今まで俯いたままだったナマエが顔を上げて院長を見詰めた。その瞳には驚く程感情が無かった。怒りも殺意も哀しみも。あるのは唯喪失感だけ、そんな瞳だった。

「何故、あの子達が死ななければならなかったんですか」

 繋がれた手に僅かに力が入った。それは震えそうになる声を抑えているかの様だった。

「あの子達には未来がありました。私は唯、あの子達に・・っ」
「・・ナマエ」

 ナマエは云っていた。『唯、笑っていてくれたら』と。だが其れさえも、たったそれだけの事すら彼奴らは許されず、奪われた。苦しかっただろう。親のいない彼等は身を寄せ合い、迫る炎に恐怖しながらも、屹度ナマエの名を呼んでいたのだろう。最後の、最期まで。

「あんな子供達等どうでもいい!」

 だが俺とナマエの耳には現実のモノとは思えない言葉が聞こえた。言葉を詰まらせたナマエの肩を掴んだ俺も、俯き涙を堪えていたナマエも、ハッと息が止まった気がした。

「どうせ親にも棄てられた価値の無い餓鬼共だ!だが私は生きるぞ!お前達がいれば彼奴等は手出し出来ない!」

 半ば狂った様に院長はそう両手を掲げ、「勝った」と云わんばかりに炎に向かって不愉快極まりない高笑いをした。

「手前・・っ!」

 殺してやる、そう思った。手をもぎ取り、足をもぎ取り、逃げる事の出来ない絶望と共にこの炎の中に棄ててやる。彼奴等の苦しみを少しでも味わって死ね。今俺が、そうしてやる。俺はナマエの肩から手を離し一歩其奴に近付いた。

「な、」

 だが俺は驚きに足を止めた。ナマエの周りに白い光が舞い始めたからだ。何が起こったのか、否これから何が起こるのか。咄嗟にナマエの表情を伺おうとしたが彼女は俯き、しかもその光は数を増しナマエさえも光輝かせていた為に俺は眩しさに目を細める。

 胸騒ぎがした。何か途轍もない何かが迫って来ている。否、産まれようとしている。それは疑わずとも光を放ち続けるナマエの内からと云うのは明白だ。僅かにナマエの口が動いているのが見えた。か細い声で何かを呟いている。俺は木片がパチパチと音を立てるその中でナマエの声を拾った。

「・・"汝、高潔なる天劾の許容よ"」

 漸くナマエの呟いていた言葉を聞き取った。だが其れに俺は目玉が飛び出そうな程の目を見開いた。その呪文の様な言葉はまるで、俺の"汚濁"の始まりの言葉の様だったから。−−真逆。自分とは逆のその光。だが光景はそれ程大差無い。彼女を取り巻く光を見た瞬間に感じた違和感。それは急速に俺の中で膨らんでいく。

『君達の力は基本相互作用と云うもので一括りに出来る訳だ』

 初めてナマエの異能力を聞いた首領の言葉が浮かんだ。俺達の異能は似ている、と。

「ナマエ!止めろ!」

 俺は咄嗟に叫んだ。もし、だ。もし仮に首領が云う通り俺達の異能が似ていて、尚且つ今目の前のモノが俺の汚濁と同じ様なモノだったのなら。

「死ぬかもしれねぇぞ!」

 自分の力がそうな様に、ナマエのこの未知の力もその可能性がある。俺が汚濁を使う時は異能無効化を持つ元相棒が居る時だけだ。奴がいればその暴走は止まる。だが奴はいない。使えば死ぬまで暴れる事になる。

「ナマエ!!」

 必死に叫んだ。使うな、使うんじゃねぇ。こんなクソ野郎殺すのに手前まで死ぬ事なんて無いんだ。繋がれた手を目一杯握り、反対の手でナマエの肩を掴んだ。

「"────"」

 だがナマエは止めなかった。舞う光の粒子で炎の熱さえ感じず、その声さえも光に包まれてしまったかのように聞き取れはしない。

「クソ・・っ!」

 目の前に居る俺に構わずナマエが院長に向かって手を突き出す。すると空から光の槍の様なモノが立て続けに院長のその身体を貫いた。

「ナマエ・・」
「・・・」

 違う。俺の汚濁とは。それはナマエの顔を見れば一目瞭然だった。ナマエは自分を手放しては居ない。否、手放しているのかも知れない。だが其奴は静かにその場に立ったままだ。

「な、ぜ・・だ」
「!」

 光の槍を注がれて尚、其奴はまだ息をしていた。その執念は驚く程図太くそれだけに至っては尊敬さえしてしまう程だった。

 だがナマエが一目すれば其奴は貫かれたまま宙に浮かんだ。男の顔が見る見る内に焦りの表情に変わっていく。

「やめろ!やめてくれ!」

 だがナマエは見詰めたまま微動だにしない。男はそのまま炎の上へと掲げられた。

「うわああああ!」

 その熱が足元から男をジリジリと焼いていく。断末魔の様な叫び声が暫くその場に木霊した。だが其れも聞こえなくなり、其奴が死んだ事を俺達に知らせた。

 するとナマエが燃え盛る孤児院へと手を翳した。途端流星の如く夥しい光が降り注いだ。壮大な天体ショー、プラネタリウム。そんな言葉では例えられない程の淡い光が次々と空を埋め尽くし、燃え盛る地上へと降り立つ。それはやがて炎を鎮めた。まるで子供達に向けた様な優しい光だった。

「っ、」
「ナマエ!!」

 その瞬間、ナマエは意識を手放した。前のめりに倒れるナマエを咄嗟に支えて息を確認する。どうやら眠っているだけの様で俺はそっと胸を撫で下ろした。

 だがそれも一瞬だった。この力は何なのか。『ナマエ君の力を目覚めさせて上げてくれ』そんな首領の言葉が過ぎって俺は顔を顰めた。

 否、そんな事よりも子供達は死んでしまった。彼女が目覚めた時、俺は何て声を掛けて遣ればいいんだ。重大な問題を抱え込んだ俺は、小さく舌打ちするしか術はなかった。