時の流れとは恐ろしいモノだ。其処には慣れと云う言葉が付いて来る。仕事も悪業も殺しもその一つだろう。躊躇うのも戸惑うのもそれが繰り返されればその感情は薄れて逝く。

 そして大体の事は無になる。心の奥底で不快に思いながらも、それさえも慣れて逝く。実に恐ろしい事だ。そしてそれは無限に続く悪夢の様になる。

「おい、それ俺のシャツだぞ」
「え?あ、本当だーまぁいっか」
「よくねぇ、俺が今日それ着るんだよ」
「私の着れば?」
「・・流石に女物は着れねぇだろ」

 目の前の女−−ミョウジナマエとの不意の共同生活も三ヶ月が過ぎようとしていた。俺達は共同作業の着替えにも慣れ、例えその姿がお互い下着姿だろうとも赤面する事も目を反らす事も無くなった。

「此れ頼む」
「ん」

 俺が短くそう云えば首元で抑えたチョーカーにナマエが前から俺の首の後ろに手を回しそれを手に取って前で留め具を止めてくれる。

 シャツの袖を通しただけのナマエから肌が漏れている。それさえも慣れてしまった。だが此れに関して云えば無になった訳じゃない。それが最近の俺の悩みの種であった。



episode 11...Desire to glimpse



「今日は何の任務だっけ」
「午前中は特訓、午後は取引先と交渉に出る」

 着替えを終え、最低限の荷物を持って戸締りをする。俺がそう云えば隣のナマエは「なら髪結ばなきゃ」と怠そうに云う。そんな今日の仕事の話しをしながら家を後にした。相変わらず俺達の手は離れようとはしない。

 だが当初に比べてお互いがお互いの行動を把握する様になり格段に動き易くなった。何方かが片手で梃子摺る時は何も云わずとも手伝い、される方もそれが当然の如く受け入れる。ナマエから始めたそれは如何やら大当たりだったらしい。

 宛ら手を繋いでいる事に不便の文字を感じなくなっていた。そして此れだけ片時も離れられないとなると不思議とそれすら当たり前になってくるから可笑しな話しだ。

 朝ナマエが中々起きずに人の胸に顔を擦り付けるのも、その後人の肩を枕代わりにしながら歯を磨くのも日常の一つ。ナマエに取って俺は程のいい寄り処だ。心では無く身体的に。だが何もせずとも鍵付きだった筈の心の扉が急速に開いて俺達は一つになったかの様な錯覚さえ起こす。

 とは云えそれだけだ。俺達の関係はまるでその生を受けた時から隣にいた双子の様だった。肌を見せ様と見られ様と違和感も況してや不快感も有りはしない。

 寄り添う。無理矢理かの如く繋がれた状況はまるで自分達自らそうしたかの様な言葉に変化していた。だが正直それで満足した時間は風の様な疾さで過ぎてしまった。俺は最近ナマエに触れたくて仕方ない。心も身体も、最も深くまで。

 女に興味を持ちそんな事を思ったのは初めてだった。だからこそこの想いは特急列車の様に急速に俺の中を駆け巡ったのかも知れない。初めての恋、なんて云うには純粋さに欠ける生活だがそれ以外言葉が見つからなかった。

 それに気付いたのだって早かった。やたら鼓動が煩くて繋いだ手が心地良くて、変だとは思っていた。手がくっ付いて二日三日目辺りに目覚めた時ナマエを抱き締めていた時があった。

 あの時は驚きと焦りと恥ずかしさで思わずベッドから落ちたりなんかしたが、それが続けば目覚めた時「またか」と思う。初めこそ偶々目の前に居るからだ、と思っていたが如何やら違う様だ。

 俺は探しているんだ。例え寝ていてもナマエの温もりと匂いを。起きている時は俺から触れる事はあまり無い。だからその時位良いだろう、と俺の中の俺が囁く声を聞いた気がした。





「此方からの提示は以上になります。何か不明点はありますか」

 午後、取引先に俺達はいた。うちと繋がっている大企業のお偉いさんとやらに完璧な営業スマイルを貼り付けて俺は右手を差し出して問い掛ける。それは宛ら「文句は云わせねぇ」と同義語だ。

「・・しかし、此れは」

 相手は手元の書類を見て青ざめている。当然だ。提示した内容は極端とは云わずとも報酬は完全にうちが多い。共同で悪事に手を染めるにしては些か不本意だろう。

「護衛料を兼ねてますので。ご不満なら手取りを山分けにし、其方は専属の護衛でもお雇いに成られますか?」

 俺はナマエの手にある書類をパラパラと捲ってそう云う。そんな俺の言葉にナマエも口を開く。

「そうなられた場合、不意の襲撃が有ろうとも此方は手を出せませんねぇ」

 仕事外ですから、とナマエも笑う。それは「背後に気を付けろよ」の同義語だ。何と云うか、飲み込みの偉い早い奴だ。相手からしたら悪魔の笑みを浮かべた俺達二人に言葉も出ないだろう。莫迦か、それがマフィアだ。

「いやー交渉は楽でいーなー」

 笑ってれば良いんだから、と車に乗り込んだナマエは云う。まぁ確かに今回は表舞台に名高い大企業だ。うちに話しを回した時点で彼奴らの負けは確定したも同然。堂々と出来ない商売なんてするもんじゃねぇ。まぁマフィアの俺が云うのもなんだが。

「思った以上に早く終わったな」

 ナビに映し出された時間を確認して俺はアクセルを踏み込む。ナマエは膝に置いた書類を確認していた手を止めて「なら」と声を上げた。

「孤児院行きたい!」

 そう云うと思った。ナマエは目を輝かせて俺にそう訴える。本当判りやすい奴だ。っつか女ならもっと他に行きたい場所とかあってもおかしく無いだろ、と俺は思う。映画だの買い物だの、女の欲は底知れないと聞く。だが此奴は時間が空けば「孤児院!」と云う。

 まぁ初めてあの孤児院の子供達に会った日から何度か行って俺も大分子供と云う未知の存在に慣れて来た頃だった。それに、子供達と遊ぶナマエは実に楽しそうで此方までその気分が伝染して来る。それは子供達を世話をすると云うよりは本当に友の様に接するナマエの子供達への強い想いがそうさせるのだろうと思った。

「へぇ、こんなの出来たんだな」

 孤児院に着いて、その小さな庭にブランコと滑り台が出来ていた。それに俺は「あの院長もそんな処があんのか」と感心したのも束の間、次のナマエの一言に俺は凍り付いた。

「ああ、あれね。私が買ったの」
「は?」

 庭に子供達は居ない。俺達は孤児院の入り口に向かって歩きながら問題の遊具に付いて話していた。

「何処にそんな金が」
「えー今月の給料に決まってんじゃん」

 悪い事はしてないよ、と何だかチグハグな会話だ、なんて思ったが・・ちょっと待て、給料だと?ナマエはまだ下級を抜けたばかりの唯の構成員だ。こんな物が買える程貰ってるとはとても思えない。

「まぁお財布空っぽになっちゃったけどねー!」

 あはは、と笑うナマエに頭を抱える。

「・・そうだろうな」
「だから中也!一ヶ月私を養って!」

 お願いしまーす、なんて軽く云うナマエにため息を吐く。此奴は判っている。俺がその頼みを断り、飲み食いも出来ないナマエの横で平気で飯を食い酒を飲むなんて事は出来ない事を。否、大抵の奴は出来ないだろう。それが出来る奴は是非ともうちの組織に勧誘したい位だ。

「なら存分にパシってやるよ」
「うわー鬼畜ー」
「なら断る」
「うそうそ!何でもするー!」

 焦るナマエに俺はフッと笑う。さぁ、如何するかな、何て言葉を思い浮かべながら俺は覚えた道順に沿って子供達の集まる講堂の扉を開けた。

「あ、お姉ちゃん!」
「お姉ちゃん来たー!」
「皆元気してるー?」

 瞬間わっ!と群がる子供達にナマエは矢っ張り嬉しそうだ。

「ちゅーやー!」
「ちゅーや!遊べ!」
「呼び捨てすんじゃねえクソ餓鬼ども!あと命令すんな!」

 ナマエが俺をそう呼ぶからか、何故か子供達からも呼び捨てされる始末だ。だが矢張り初めて会った時と同じ様に俺がそんな風に云ったって子供達は笑うだけだ。・・俺はポートマフィア五大幹部だぞ。なんて怖い物知らずの子供達に云ってやった処で現状は変わらないのだろうなと思う。

「ちゅーやー抱っこ!」
「ズルい!私も!」
「仕方ねぇな」

 両手を目一杯広げてせがむ子供にそう云って背後から脇に手を入れればその反対をナマエの手が入る。そして二人で持ち上げて俺の肩へと乗せた。その程度なら言葉を交わさずとも自然とやってのける迄に俺達はなっていた。

 そしてもう一人は異能を使って片手で持ち上げてやる。まるでボールを投げるかの様に少し上に投げてやれば肩に乗った奴と一緒になってきゃっきゃっと声を上げた。真逆餓鬼と遊ぶのに自分の異能を遣う事になる日が来るとは夢にも思わなかった。

 例え愛用の帽子を奪われ「取ったー!」なんて声が聞こえ様とも悪い気はしなかった。その声が余りにも楽しそうだったからだ。ったく、さっきも云ったが俺はマフィアだぞ。もっと畏れろってんだ。

「ちょっと、落とさないでよ」
「そんなヘマしねぇよ」

 少し呆れているナマエ。だが俺と子供の顔を見てフッと笑った。まるで俺が楽しそうだとでも云いたそうな顔だ。んな訳あるか。仕方なく遊んでやってるに過ぎないに決まってんだろ。

「中也も子供達に完全に慣れたみたいだね」

 帰りの車でナマエは上機嫌にそう云った。俺はスピーカーから流れる洋楽を口ずさみながら「まぁな」と口角を上げた。

「子供なんて簡単なもんだ」
「まぁ子供達からしたら中也と遊んであげてるらしいけど」
「なにィ!?」

 なんて上から目線なクソ餓鬼共だ。図々しさも図太さも誰かさんにソックリだと云ってやれば「誰よ」と不機嫌そうな声が返って来た。

「でも、あの子達は将来何になるのかなー」
「さぁな、公務員とかが理想だろ」
「マフィアが公務員とか云っちゃう訳?」

 ナマエの言葉に「それとこれとは別だ」と反論する。確かに俺達とは天と地の差がある職業だ。想像すらつかねぇ。

「まぁ何でもいーや、笑って過ごしてくれるなら」
「・・そうだな」

 前を見据えて微笑むナマエはまるで聖母の様だった。全てを暖かく包み込むそれは本で読んだだけだが、屹度子供達を見詰める瞳はこんな感じなのだろうと思った。

 もう外は陽が落ちて夕飯時だ。歩道には会社勤めを終えたスーツ姿が多く見える。信号待ち。なだらかに流れる音楽が俺の耳に届き、ぼーっと街行く人に目を向ければ子供達と遊んだ疲れがふと俺を襲った。

 どんな任務より疲れるそれは、終わると俺の心に暖かい何かを残す。脳裏にあの無垢な笑顔が浮かぶからだ。餓鬼に懐かれて喜ぶなんざ、本当如何かしちまったらしい。

「!」

 ふと肩に重みを感じる。それもまた何時もの事だ。ボサッとしていたから少し驚いたモノの、そのタイミングでちょうど信号が変わりそのまま車を発進させる。

 俺はその寄り掛かった頭に自分のそれを僅かに傾けた。マズイ、俺も寝そうだ。その温もりと心地良さにそんな事を思った。だが俺は運転中。瞼を閉じる事は許されない。今はそれが一種の拷問の様にさえ感じた。

「おい起きろ」

 借りている駐車場に車を止めて「着いたぞ」と俺の肩で寝息を立てるナマエに声を掛ける。だが返事は無い。本当よく寝る奴だ。それに此奴は一度寝ると中々起きない。だから毎朝起こすのに一苦労している。

「・・起きねえのかよ」

 ふと先程の様にナマエの頭に頬を寄せてみる。少し首を動かせばナマエのサラリとした髪が頬を擽った。視線を下げれば繋がれた手の平。親指を少し撫でる様に動かしてナマエの感触を確かめれば思わず目を細めた。

 そして更に首を動かして其処に唇を当てた。ナマエはまだ起きない。・・まずいな。そう思ったが止まらなかった。

「起きない手前が悪い」

 俺は右手を助手席の窓へと当てナマエの顔を覗き込んだ。ギュッと手の平に軽く力を込めてその少し開いた唇に自分のそれを押し当てた。

 二度目の口付けキスは吐き気がする程甘ったるく、溺れてしまいそうな程の毒を秘めていた。