「あああああああ・・」
「煩え」

 初の(私にとっては)大舞台を終えた私にその人物は手の温もりとは逆に酷く冷たい。

「足がもげそう。産まれたての子鹿の様に足が震えてるよー中也」
「手前の足はもげねぇし、そんな小刻みに震えてねぇから安心しろ」
「・・そりゃどーも」

 親切ご丁寧にご説明下さった中也に私は脱力感を微塵も隠そうともせずにそう呟いた。・・くそう。彼を優しいかもなんて少しでも思った自分を今すぐ全力で投げ飛ばしてやりたくなった。



episode 9...Sharp eye of the former



 本部に帰り首領に報告を終えた。首領は私の異能の成長にあの時の中也と同じ様に満足そうに笑って「素晴らしい成長だ」なんて呟いた。

 強いて云えば中也は普通に褒めてくれたが首領に至っては微塵も思っていないだろうと私に心で突っ込ませる厭に白々しく嘘くさいモノに聞こえた。私の脳内変換の所為だろうか。

「中也ー中也ーちゅーうーやー」
「・・何だよ」

 厭々歩く私に中也は私の手を引きながらうんざりした雰囲気を明らさまに醸し出して振り返った。眉間にはシワが寄っている。あと残りますよお兄さん。

「おんぶして」
「片手じゃ無理だろ」
「じゃあ抱っこ」

 そんな子供が駄々を捏ねるかの様な言葉に中也は顔を更に顰める。

「手前、それは本気で云ってんのか」
「・・否、嘘です」

 半分は、と付け足す私に「半分は本気かよ」と中也は呆れている。確かに歩きたくは無いが流石にそれは人目が気になる処だ。

 それにその姿を想像したが思わず笑った。滑稽過ぎる。だがそうも云って居られない程疲れた。その一言に限る。

「異能って使うと疲れるんだね」

 私達が出会った初日は彼の体術に付き合う羽目になった為の疲労だと思ったが違う。これは身体を動かしただけで起こった疲労では無い。何とも言葉では言い難いが身体の奥底が重い。それは唯単に武術を稽古していただけでは感じ得れないモノだった。

「まぁ、此れであんだけ逃げ回らなきゃいけねぇ事も無くなるだろ」
「そうかねぇ」

 中也の言葉に曖昧に呟く。正直もう一度やれと云われても出来る気がしない。と云うかもう懲り懲り、なんて思う私はマフィアに向いていないのかも知れない。

「特訓しないと本気で死ぬなぁ」
「そうだな」

 中也が手を引いてくれる事を良い事に歩きながら天を仰ぐ私。そんな私に中也は何処までも他人事だ。薄情な奴。私が死んだら死体と手を繋ぎ続ける事になるんだぞ、と思ったが死んだら自然と離れるのではとそれこそ他人事の様に思い直した。

「あーあ、跪け!塵ども!って高笑いする予定が」
「何だそりゃ」

 今日の任務の目標だったの、と私が付け足せば隣を歩く中也は私を横目で見る。声に出さずともその心の声が聞こえて来た。「阿保だな」と。

 だが私は構いもせずに思考を巡らせる。中々上手くは行かないモノだ。当然と云えば当然だが、矢張り何事も地道なのだ。

 マフィアになったからと云って私の中で何かが突然覚醒する訳ではない。子供達とのお遊びの様に敵をバタバタと倒すと云う思い描いていた理想とは程遠い現実にゲンナリした。

「買い物か」

 ふと中也が思い出した様にそう呟いた。その言葉に私は「いやあああ」と糸を切った様に頭を抱え悲痛な叫びを上げた。

「無理!帰る!お風呂!寝る!」
「・・結局外食か」

 そんな私に中也はやれやれと言葉を漏らす。もう一歩足りとも動きたく無いのに買い物に歩き料理をするなんて言語道断だ!と何故か私は心で怒っていた。如何やら疲れ過ぎた様だ。

「もう牛丼でいーよ、牛丼買って帰ろ」
「勘弁してくれ」

 心底云う中也に「庶民の敵め」と呟けば「何とでも云え」と何とも反抗的な言葉が返って来た。





「おい、ナマエ」
「うーーん」

 飲食店にて俺達は四人掛けの席に二人で着いて食事をする。俺がよく行く裏通りにある店の一つだ。そこで料理を頼んだまでは良かったが、既に車の中でも目を閉じかけていたナマエに遂に限界が来た様だ。

「せめて飯食ってから寝ろ」

 首をこっくりこっくりと上下に動かしているナマエ。その目の前には殆ど手付かずでフォークが刺さっている料理がある。後はその手で口に運ぶだけだがその動きをする気配は彼女にはない。

「うーん、食べ・・るよ」
「ああ、そうかよ。ならさっさと食え」
「うーん、」

 そう云って口元に料理を持っていく。だがそれは完全に目を閉じてしまっているナマエの口には入らずに唯頬を汚した。其れに苛立ちを覚えて舌打ちを漏らす。少し乱暴に汚れた頬を拭いてからフォークを奪い取った。

「口開けろ」
「あー・・ん」

 ナマエが口を閉じる前に素早くそこに料理を押し込む。そうすればゆっくりではあるが顎を上下に動かし始めた。その隙に自分の料理を頬張る。何と云うか、呆け老人を介護している気分だ。

「!」

 だが葡萄酒で料理を流し込んでる途中肩に重みを感じた。横を見ればナマエの後頭部。遂に彼女はなけなしの意識を手放してしまったらしい。

「ったく、仕方ねえな」

 そう呟いてナマエをそのままにして自分の料理とナマエの料理をつまんでいく。本当、世話の掛かる奴だ。

 だがこの疲れも無理ないだろう。初日に俺と戦闘して拳や蹴りを避けるのと、銃弾を避けるのとは当然の如く訳が違う。だが初日と今日とでハッキリした。此奴はギリギリにならないと動かないタイプだ。

 其れこそ死線を目の前にしなければ異能も本気で遣わない。例えれば学生時代の夏休みの宿題。此奴は絶対に夏休みの終わる三日前に完徹して終わらせる類いの奴だと断言出来る。

 だが恐ろしいのは今日の任務は首領の思惑通りだったと云う事だ。首領は電話でこの任務を俺に告げた。「良いのがあったよ」とそんな良物件を見つけた報告の様に当てられた任務だった。

 俺は「まだ早いのでは」と進言したが「大丈夫、中也君もいるしね」となんともさらりと重圧を懸けられた。

「彼女の異能は無限大だよ、君と同じでね」

 だから早く目覚めさせて上げて欲しい、なんて無理難題を押し付けられ俺は仕方なく引き受けた。勿論拒否権なんてモノはない。ポートマフィアの掟その一、首領の命令は絶対、だ。

「・・無限大、ねぇ」

 人の肩を断りも無しに枕代わりにして寝息を立てる其奴を見る。首領の目を疑う訳ではないがどうもこのマイペースな此奴にそんな大それたモノが眠っているとは思い辛い。

 首領はナマエに何を期待し、何を求めているのだろうか。流石に判らず仕舞いだった。だが今日は頑張った方だろう。下級構成員にあんな任務はまず回って来ない。然も入って三日四日の奴に、だ。

 異能力者とは云え裏の仕事をしていた訳でもないナマエからしたら、重労働以外の何物でも無かっただろうと思う。

 だがこんな荒治療の様な事をしていては此方も身が持たない。異能の特訓をしなければと云っていた位だ、このままでは命が幾つあっても足りない事を察したのだろう。明日は任務も無い。仕方ないから付き合ってやるか、と心で呟いて俺は食事を終えた。

 そして小突いても起きやしないナマエを抱え、結局"抱っこ"と云う名の辱めを一人受けて俺は彼女の生暖かい寝息を首筋に感じながら家路を急いだ。