「・・はあ、」

総司は一人ため息を吐いた。ホールにある階段の下。千に化粧を直して来るからここにいろ、と言われてもう随分経った。

ナマエを探しに抜け出そうかとも思ったが、この建物の広さを考えてそれはやめた。それよりもここにいた方が彼女がこの場に顔を出す確率の方が高い気がしたからだ。

それに、待ってろと言った時の千の鬼の様な形相にいなくなったら後で面倒臭そうだと思い結局ここに立ったままだ。

「・・やっぱり無理だよ」

楽しんで、と最後に彼女に言われた言葉を思い出した。今思えばあの時の声は、少し寂しそうだった、なんて思えて、途端居ても立っても居られなくなった。

「・・もう、限界」

彼女を思えば彼はあっさりとそれを迎えた。そしてその階段を一歩踏み出した、その時だった。

階段の上の扉が音を立てて開いた。自然と視線が上へ向き、総司は視界に入って来た人物に思わず自分の目を疑った。

「・・嘘」

そこから出て来た一人の人物、それは確かに彼女のはずなのに、そう思わずにはいられなかった。そんな彼女は広いホールを上から忙しなく見下ろしている。

「ナマエ、」
「!」

俄かには信じがたい光景が目の前にあった。ドレスアップして綺麗に着飾った、正に探しに行こうとしていた人物の登場に、総司は目が離せなかった。

そして総司が呼んだ事によりナマエの瞳に総司が映った。その瞬間、やっと見つけたと言わんばかりの笑顔に、総司の胸は大きく脈打った。

「先輩・・!」

階段を駆け下りる彼女は、彼を目の前にしてそう言って舞い上がった。

総司の首に飛び付いたナマエを、彼は驚きながらも咄嗟に受けとめる。そしてナマエを降ろそうと腕の力を抜いた。

だがナマエがそれに反応して腕の力を込めた為に、総司は再び腕に力を入れた。

「ナマエ、」
「好き」

名前を呼んで何かを言いかけた。だけど何を言いたかったのかは一瞬で忘れた。他でもない、腕の中の彼女の発した言葉によって。

「え・・」

総司はさっきは自分の目を、そして今度は自分の耳を疑った。

そんな総司の声に、ナマエは抱き付いていた腕を緩め、総司の瞳を見つめた。また、総司の胸が大きく鳴った。

ほんのり化粧をした彼女が、あまりにも綺麗に笑ったから。

「先輩が、大好き・・!」
「・・っ」

総司は思わずナマエを抱き抱えたままの腕に更に力を入れて、ナマエの身体に顔を埋める様に抱き締めた。

なぜか、泣きたくなったからだ。彼女からのこの言葉を、どれだけ欲しただろうか。でもそれを聞く勇気はなかった。

こんな言葉を言ってもらえる資格なんてないとさえ思っていた。自分は彼女を傷付け過ぎたから。

でも、それでも傍に居たかった。それが自分の我が儘だろうとも、ずっと。

一緒にいられるならそんな言葉はいらないとすら思った。でも彼女がそれを示唆する様な言葉を発する度に期待した。それが、してはいけないものだと、分かっていながら。

でも目の前の彼女はどうだろう。自分の名前を呼び、何にも例えられない程綺麗な笑顔を自分に向け、言葉をぶつけてくれている。

それも、愛の言葉を。

これは夢か。そんな非現実な妄想に走りそうになった。だがすぐに止めた。現実であって欲しいと願ったから。そんな自分に思わず笑った。どこまで我が儘なのだろうか、と。

「!」

ふと、ナマエが再びそんな総司の頭を抱いた。

「好き」

感触も、温もりも、鼓動も、そしてこの声も、全てがこれは現実だと教えてくれる。

「ナマエ、」

そっと顔を上げれば、ナマエも自分を見つめていた。そしてそっと総司の頬を包み込んで、ナマエは僅かに潤んだ瞳へと口付けを落とした。

「遅くなって、ごめん」

ナマエはそう言って少し申し訳なさそうに微笑んだ。

「ねえ、もう一度聞かせて」

そんな甘える様な、切ない様な声で言う総司に、ナマエは小さく笑った。

「大好きだよ、先輩」

そして、人目もくれずに口付けを交わした。






「良かった、ナマエちゃん・・っ」

階段の上、開け放ったままの扉に計画の参加者が勢揃いしていた。

そんな上から二人の様子を伺っていた一行。その中の千鶴はそう言って思わず涙を滲ませた。

「素敵ですね」
「そうね」

子鈴の言葉に 、あいつにナマエちゃんは勿体無いとは思うけど、なんて言う千も微笑みながら二人を見ていた。

「あいつら恥ずかしくねーのかな」
「俺は無理だ!見てられない!」

平助はそんな疑問を浮かべ、龍之介は遂に視線を逸らしてしまった。

「演出的には最高だな」
「綿密に練った甲斐がありますね」

不知火と天霧も満足そうにそう言って二人を見つめる。

「全く、彼奴らの為だけのパーティーではないと言うのに」

そうため息を吐く風間もまた、その口元に笑みを浮かべていた。そして総司はようやくナマエを降ろして、彼女の足が地に着いた。

だが尚も笑いながら見つめ合い、額を付けながら抱き合っていた。

「・・我慢ならん」
「おい、風間!?」

隠れる様に眺めていた一行だったが、風間がそんな二人に痺れを切らし、不知火の制止も聞かずに前へと出た。

「沖田総司!」

そう叫んだ風間に、一行は思わず頭を抱えた。それに気付いた二人は、声の聞こえて来た階段の上を見上げた。

「本当空気読めないよね、彼」

そこにある風間の姿に、総司はウンザリした様にそう言った。そんな総司と風間に、ナマエは思わず笑った。

「そいつは俺の所有物である事を忘れるな」
「っとに、あんたは!」

それを止めたのは意外にも千であった。

「放っておいてあげなさいよ!」
「ふん、貴様にその様な事を指図される謂れはない」

そんな二人のやり取りに生徒一行は瞬きをした。二人は知り合いだったのか、と。

「お二人は婚約者でございます」

そんな生徒一行に天霧が衝撃の事実を告げた。

「ええー!?まじ!?」
「千ちゃん、可哀想・・」
「雪村、それは風間がちょっと可哀想だぞ」

そんな風にガヤガヤと騒がしい一行に、総司はため息を吐く。

「・・、!」

ふとナマエが皆の方へ声を掛けようとして、総司がそれを制止する。

総司を見れば、片目を閉じながら口元に人差し指を立てていた。

「・・ってあれ、二人共いねーじゃん」

騒ぎの最中、ふと平助が階段下に二人の姿がない事に気付いた。

「んじゃ、お開きだな」
「私たちはまだ仕事がありますしね」

不知火と天霧がそう言って廊下を歩いて行く。

「俺らもパーティー戻るか」
「そやね」

龍之介と子鈴も二人揃って階段を降りる。

「あ、待てよ龍之介!」
「私たちも行くよ!」

その後を千鶴と平助が追った。

「・・・」
「・・・」

そして取り残された風間と千。二人にパートナーはいない。

「ふん、仕方がない。今日は貴様の相手でもしてやるか」
「それ、こっちの台詞だから」

そう言って二人も揃って階段を降りて行った。





「やっと静かになった」

月の見えるテラスにて、総司のそんな言葉にナマエは頷く。

「でも、皆のおかげ」

感謝しきれない、と言って空を見上げたナマエに、総司はそうだね、と短く返した。

「!」

そしてそっとナマエを後ろから抱き締めた。

「・・夢じゃないよね」

そんな風に不安気に自分の肩に額を置いて呟く総司の言葉を聞いて、ナマエは彼に向きを変えた。

「夢じゃない」
「・・うん」

総司の頬を包んでそう言うナマエに、総司はホッとした様に頷いて額を合わせた。

「順番めちゃくちゃだよね、僕らって」

まぁ僕のせいだけど、と苦笑いを零す総司に、ナマエは確かに、と笑った。

「!」

そして徐ろに総司が身体を離し、その場にしゃがみ込んで片膝を地に付けた。そしてナマエの手を取って、そっと見上げた。見つめた彼女の背後に、大きな月が見えた。

それは彼女の為の物かと錯覚する位、彼女の少し驚いた表情を照らし輝かせていた。風に靡いた髪が揺れている。その眩しさに思わず目を細めた。

「ナマエ、」

愛しさに名前を呼んだ。こんな事、柄じゃないのは知っている。だけど、そうせずにいられなかった。彼女の眩しさに当てられたのかも知れない。

でも嫌じゃなかった。むしろ嬉しかった。こうして触れて、名前を呼んで、言葉を君に伝えられる事に。

そんな総司にナマエは瞬きをする。いきなりどうしたのか、と。

夜の少し冷たい風が二人の頬を優しく撫でた。一歩中に入れば多くの人が居るにも関わらず、まるで時間が止まった様にそこは静かで、心地が良かった。

「僕の、彼女になってくれますか」

そんな空間に、総司の凛とした声が響いた。

ナマエの顔は総司のその言葉を聞いて僅かにその瞳を見開いた。だがそれも一瞬で、見る見る内に優しい笑顔へと変わっていった。

「はい・・」

その瞳には、僅かに涙が浮かんでいた。

「ありがとう・・っ」

総司は握っていたナマエの手に額を付けて、そう声を漏らした。

心底ホッとした様に、溢れ出しそうな愛しさを、噛みしめる様に。

そして立ち上がってナマエの目尻に溜まった涙に口付けを落とした。

「大好きだよ」
「私も、大好きっ」

ギュッと抱き合って、それでもお互いの顔が見たくて、でも口付けもしたい。色んな感情がひしめき合って、二人は笑った。

「今すぐ、君が欲しいよ」

総司はナマエの耳元に唇を寄せてそう囁く。ナマエはくすぐったそうに身を捩って笑った。

「でも今は、君と踊りたい」
「!」

そんな総司の言葉にその瞳を見つめれば、やっぱり優しく微笑んでいた。

「うん」

ナマエも微笑んで頷いた。自分も同じだと、彼に伝わる様に。

「君を、僕のものだと皆に見せてやりたい」
「何それ」

変なの、と笑うナマエ。そんな彼女を見ながら、総司は自分の言葉を噛み締めた。

(ああ、やっと言える)

声を大にして、堂々と、何にも気にせずに、君は・・僕のものだって。

君はそうやって笑うけれど、この事がどれほど嬉しいか、言葉では伝えきれない。

「行こうか」

そう言って総司はナマエの手を引いて、ナマエは総司に手を引かれてホールへと入って行く。

「僕と、踊ってくれますか」

そして足を止めた先で、綺麗に腰を折って手を差し出す総司にナマエは思わず笑った。

「似合わない」
「ひどいな」

君の為にしてるのに、と総司は頬を膨らませる。

「嘘、凄く格好良い」
「!」

そう言って微笑むナマエに、総司は思わず口元を抑えた。

「本当ズルい」
「先輩ほどじゃない」

ナマエの言葉に総司は確かに、と笑った。

「踊ろうか」

そう言って差し出された手を、今度こそ掴んだ。

「あ、あいつらいた!」
「本当だっ」

踊る二人を見つけた平助と千鶴は、そう踊りながら声を上げた。

「凄く楽しそう」
「な、なぁ千鶴、」

二人に見惚れる千鶴に、平助は緊張感を漂わせながらその名を呼んだ。

「お、俺もお前に言いたい事が、」
「ほう、なんだ」
「!?」

平助が顔を横に向ければ、そこには踊る風間と千の姿があった。

「ほら、俺たちに構わず言ってみろ」

貴様にその勇気があれば、の話しだがな。と風間は笑った。

「っだー!くそ!俺は、千鶴が・・!」
「平助くん・・、きゃあ!」

見つめ合ったまでは良かったが、バランスを崩してその場に倒れ込んでしまった。

「残念だったな!・・っおい、引っ張るな!」
「あーはいはい」

わはは、と声高らかに笑った風間は千に引きずられる様にして去って行った。

「たく、何やってんだよあいつら」

そんな平助たちを見て龍之介も子鈴と踊りながらため息を吐いた。

「でも、あの二人本当お似合いやね」

子鈴のうっとりする様な言葉に、龍之介も総司とナマエを見つめた。

「ったく、たかがダンスがそんなに楽しいのかねー」

子供の様に楽しそうに笑いながら踊る二人の姿に、龍之介はそう呟く。

「きっと、好きな人とやから、だと思う」
「・・ふーん、」

そんな子鈴の言葉に、龍之介は思わずその二人を見つめる横顔を見つめていた。

そして曲が終わり、向かい合ってお辞儀をする。顔を上げた二人は、愛おしそうにお互いを見つめた。

「!」

ふと突然総司がナマエの肩を抱いた。その手にはいつの間にかスマートフォンが握られていた。

「こんな綺麗な君を、残しておかないなんて勿体ないからね」
「本当、変なの」

ナマエは再びそう言って笑った。

「ふん、記念撮影か」

ならば参加してやろう、と二人の背後に風間が立った。そんな風間に総司は心底怪訝そうに振り返る。

「ちょっと、君 邪魔だよ」
「俺も俺もー!」
「なんだ?写真か」

総司がそう言っているにも関わらず、そこには結局皆が集まってしまった「はぁ、」と思わずため息を吐く総司の服を、ナマエは控え目に引っ張った。

そしてそれに反応して総司がナマエを見れば愛らしい笑顔があって、総司はもう一度ため息を吐く。先ほどのとは少し違った、優しいため息だった。

「仕方ないな」

ほら、撮るよ。と総司がスマートフォンを掲げれば、皆の視線が一点に集中した。

カシャっと音がして、画面を確認する。画面いっぱいに映った顔は、皆楽しそうだった。

「・・やっぱり邪魔だな」

それを見て、総司はそう呟かずにはいられなかった。それでも、千鶴たちと楽しそうに話す彼女を見てそれをナマエへと向けた。

彼女にバレない様にそっと確認する。総司は映ったそれに満足そうに微笑んだ。

「あー、総司が盗撮してるぞーナマエー」
「俺も撮っておこうかなー」

売れそうだし、なんて言葉が横から聞こえて、総司は龍之介と平助に笑みを浮かべた。

「殺すよ」

その殺気のこもった笑顔に二人は思った。さっきの彼は幻だったのか、と。

「ナマエ、」

しばらくしてから総司はそう名前を呼んでナマエを腰から抱えた。ナマエは咄嗟に総司の首に手を回し、彼を見下ろした。

「帰るよ、お姫様」

ナマエを見上げて、総司はそう言って笑った。

「うん・・!」

そう言ってナマエが笑い返せば、どちらかともなく近付いて口付けした。

「おーい、俺たちいるんですけどー」
「頼むから俺のいないとこでやってくれ」
「全く、貴様らに節操はないのか」

そんな二人を見て、平助と龍之介、風間が不満の声を漏らす。

「素敵・・」
「羨ましいです」
「女の子の憧れよねー」

男子とは正反対の子鈴に千鶴、そして千の言葉に三人はギョッとしていた。

「君たちまだいたの」
「ひっでぇ!」

ナマエを抱えながらそう言う総司に、平助はそう声を上げた。そして総司は地に降りたナマエの手を引いて走り出した。

「逃げるよ」

不敵な笑顔を見せ走りながらそう言う総司にナマエは頷いた。

背後から皆の声が聞こえて、ナマエは総司に手を引かれながらも僅かに振り返った。そこには大切な人たちが大勢いて、手を振っている。ナマエにとっては、彼らもまた眩しく見えた。

(ありがとう・・)

そっとそう心で呟いた。

そしてナマエは外の道を走りながら総司のその背中を見つめていた。繋がれた手が愛おしくて、通った事のある道のはずなのに、その景色は全く知らないもの様に感じた。

彼が、走りながらキラキラと世界に光を撒いている錯覚さえ起こした。

(ああ、これが)

−−恋 。

その言葉はあまりにも甘くて、でもまるでパズルのピースの様にピッタリと自分の胸に収まった。

嬉しかった。何よりこの感情を彼に抱けている事に。彼が、自分の手を引いてくれている事に。

まるで自分が自分じゃないみたいだ。もしも貴方と出会わなければ、こんな自分には出会えなかった。誰かを想う自分に、出会えなかった。

「先輩、」

ふと、名前を呼びたくなった。もう少しで家に着く。その直前で二人は足を止めた。

「なーに、ナマエ」

そっと振り返って彼は笑った。

「・・・」

でもナマエは黙ってしまった。呼びたくなっただけ、なんて言葉は口に出来ず、ただジッと総司を見つめていた。

そんなナマエに総司はフッと笑ってナマエの腰を引き寄せた。

「覚悟して」

そう言って額に一つ口付けを落として、ナマエの頬に触れた。

「今日は、君を離してあげられそうにないから」

そう言って、でも総司は「いや、」と言葉を訂正する様に口を開いた。

「きっと永遠に、君を離してあげないから」
「先輩・・」

そしてそっと唇が重なる。ナマエには総司の言葉の本当の意味を理解してはいないだろう。それでも彼女は頬に添えられた腕を掴んでその瞳を閉じた。

まるで、愛おしさに身を委ねる様に。