そしていよいよ最終日、打ち上げのダンスパーティー会場に開始までまだ時間があるにも関わらず、ナマエの姿はそこにあった。

「ここが照明、こっちが音響」

ナマエは図面とプログラムを確認していた。

「お早い到着ですね、ナマエさん」
「本当真面目だなーお前」

そんなナマエの元へ天霧と不知火が到着した。二人におはようございますと頭を下げれば、二人から同じ挨拶が返って来た。

「会長は」

ふと一人足りない事に不思議に思ってナマエは首を傾げる。それに二人は顔を見合わせて微笑んだ。

「野暮用だよ」
「野暮用です」

揃った二人の言葉に不思議に思ったが、サボりでは無いのだと判断して深くは追求しなかった。

そして午後、日が暮れる時間帯に生徒たちは続々と集まっていた。

「着替えが終わったらホールへ集合して下さい」

女子の着替え室、ナマエがそう案内の声を上げれば、楽しそうな声の返事が沢山聞こえた。

「ナマエちゃん」

ナマエがふう、と一息ついた所で綺麗に着飾った千鶴がナマエに声を掛けた。

「千鶴、凄く綺麗」

そんなナマエの言葉に千鶴は照れながらもありがとう、と呟いた。そしてふとその表情に影を落として言いにくそうにナマエに問い掛けた。

「本当に出れないの・・?」

そんな千鶴にナマエは困った様に笑って頷く。

「これから料理の確認をしに行って来る」
「そっか・・」

そう俯く千鶴に、ナマエは楽しんで、と笑ってその場を後にした。

「・・でも、待ってるよ」

そんな千鶴の言葉は、ナマエの耳には届かなかった。





「あ、いた」
「!」

厨房へ向かう途中、前から歩いて来る姿にナマエは思わず目を見開いた。

「先輩・・」

そんなナマエの目の前に来て、総司はフッと笑ってナマエに顔を近付けた。

「なーに、見惚れちゃった?」
「・・別に」

そんな呆気ないナマエの反応に、総司は笑う。君らしいね、と。

彼はこのダンスパーティー用に正装し、髪を固めていた。その普段とは違った雰囲気に、ナマエはその姿をマジマジと見つめていた。

「孫にも衣装」
「ひどいな」

君に褒めてもらおうと頑張ったのに、と総司は苦笑いを零す。

「どこ行くの」
「厨房」

最終確認に、と言って歩き出すナマエに総司はそのまま並んで歩き出した。

「・・ホールはあっち」

そんな総司にナマエは立ち止まって反対方向を指差す。

「知ってる」

つまりはわざとだと総司はなんでも無い様に言う。そんな総司に顔を顰めて、ナマエはその背中を押した。

「・・楽しんで」

そう言ってナマエは総司を置いて走って行ってしまった。そんなナマエの背中を見つめて、総司はその口元から笑みを消した。

「無理だよ」

君がいないのに、総司のそんな言葉は、静かな廊下に音もなく溶けていった。


そして二校合同のダンスパーティーが遂に始まった。その規模と豪華さに初めて参加する一年生は歓喜の声を上げ、誰もが浮き足立っていた。

「流石、風間が仕切るだけはあるよなー」
「うん、思ってたよりずっと凄い」

着飾った平助と千鶴が辺りを見渡しながらそう呟く。そこは英国風のダンス会場。煌びやかな装飾。初めて歩く赤い絨毯に自然と心が躍った。

「あれ、総司と龍之介たちは」

平助の言葉に千鶴は「あっち、」と少し離れた場所を指差した。

「ちゃんといるんだな、総司の奴」

サボると思ったのに、と漏らす平助に千鶴は苦笑いを零した。

「ナマエちゃんに釘刺されちゃったみたい」
「・・だからあんな機嫌悪そうなんだな」

まるでその言葉が顔に堂々と書かれているかの様な彼を見つめながら、それでも二人は笑った。

「でも総司にはいてもらわなきゃな」

そんな平助の言葉に千鶴は強く頷いた。





「音、流します」
「ああ、照明の準備もおっけーだぜ」

舞台の裏側、ふとインカム越しに不知火の言葉が聞こえて、ナマエは了解、と言葉を返す。

そしてナマエは音楽を掛ける。するとホールにゆったりとした音が鳴り始めた。ナマエはその裏からそっとホールの様子を伺う。

「照明、大丈夫です」
「おう、了解」

そしてナマエが次のプログラムを確認する為に手元の資料を捲った時だった。

「ほら、さっさとしなさいよ」
「・・何で君と踊らなきゃいけないのさ」

ふと聞き慣れた声がしてナマエは再びホールへと視線を向けた。広いホールだったが、少し探せば直ぐにホールの隅で言い合いをする総司と千がいた。

(二人が、パートナーなんだ)

申告の時に自分の所に来なかった為、彼のパートナーは知らずにいた。その事をあえて聞く事も彼が言う事もなく今日まで来たから。でも彼がサボらずにそこにいる事にいくらか安堵した。

「一番最初は全員参加のダンスでしょ!」
「どうでもいいよ、そんなの」

だがそんな二人のやり取りにナマエは思わずため息を吐く。折角のダンスパーティーなのに彼の表情は憂鬱そうで、それでいてこの華やかな景色にウンザリとさえしている様だった。

「ああ、もう!」
「!」

だが痺れを切らした千が総司の手を引いて皆が踊る中に無理矢理割って入って行く。その瞬間、ナマエは感じたことの無い感情を覚えた。

(・・何、これ)

胸の辺りがザワザワと嫌な音を立てた。少し遠ざかった二人の会話は聞こえない。だけど、どうだ、と言わんばかりの千と、総司がため息を吐くのが見えた。

そして、総司が千の手を取り、腰に手を当てて曲に合わせて優雅に踊り出す。

ナマエは思わずホールから目を逸らした。裏側に逃げる様にして、その景色に背を向けた。

尚も胸がズキズキと音を立てた。彼の手が、彼の視線が他の子に向けられ、触れている。

それを言葉にするなら嫌悪感。そんなものがナマエの身体を這いずり回った。

分かってたはずだ。彼を送り出した時、誰かと踊るのだと。でもそれに対して、自分がこんなに苦しい思いをする事になるなんて夢にも思わなかった。

どうして私はここにいるのだろう。どうして彼は別の場所にいて、他の子に触れているのか。

答えは簡単だ。自分は生徒会で裏方をしなければいけない。彼は生徒としてダンスパーティーに参加している。ただそれだけに過ぎない。

そんな事を頭で何度繰り返しても、この嫌悪感は消えてはくれなかった。

「ナマエ!」
「!」

ふとインカムから聞こえて来た声にハッとした。随分呼ばれていた様で、ナマエは慌てて返事をする。

「大丈夫か」

そんな不知火の声にナマエは自分の胸をギュッ握った。

「問題ありません」
「そうか」

そう言ってインカムは途絶えた。それにナマエは少し安堵して、天を仰いで息を吐いた。

(ああ、これが)

嫉妬、か。とナマエは思った。以前彼が言っていた。自分を誰かに取られるかも、と思ったと。だからナマエは強引に抱かれた。

あの時の彼は、こんな感情を抱いていたのかも知れない、と今更ながら思った。

「・・はぁ」

こんな憂鬱な感情を抱いてのは初めてだ。それもきっと、自分の気持ちをようやく見つけたからだと思った。

昨日は唐突な自分の両親の出現に結局言えなかったこの想い。あの時、この胸にある言葉を言えたら少し違ったのだろうか。

そう思ったら後悔と言う概念が彼女を襲った。自分を心配してあんな時間を掛け、遠路遥々会いに来てくれた両親さえも初めて恨めしく感じた。

精一杯準備してようやく始まったばかりのダンスパーティー、それを早く終われと願わずにはいられなかった。

「なんだ、珍しく疲れてんな」

一部を終え、生徒会メンバーは揃って生徒会用の控え室にて休憩に入っていた。

「大丈夫です」

不知火の言葉にナマエはそう無理矢理言葉を返した。思わず語尾が強くなってしまった気もしなくもないが、そんなナマエに不知火はそうか、とだけ返事を返して、食事に手を付けた。

今ホールには小さな音量で曲が流れ続けている。踊る者、食事する者、飲み物を片手に雑談する者と様々だ。

(今、何してるのかな)

思うのはいつも隣にいるはずの彼の事だった。彼は今何を、誰と、どんな顔でしてしているのだろうか。

そんな事を考えたら、また胸がざわ付いた気がした。だが気になりはしてもナマエはあれ以降ホールを見れずにいた。脳裏ではさっきの二人の光景が焼き付いて離れなかったから。

あれ以上は、自分を保てる自信がなかった。

「会長はまだ来てないんですか」

ふと、飲み物を口にして部屋を見回す。高級ホテルの一室と言っても過言ではないこの控え室には天霧と不知火、そしてナマエしかいない。流石に遅い、とナマエは眉間にシワを寄せた。

「まぁ、そろそろ来る頃だろうよ」

そう不知火が言えば、噂をすれば、とでも言う様にその扉が大きく開かれた。

「待たせたな」

その口元に笑みを浮かべたドヤ顔の生徒会長こと、風間千景。そんな彼にナマエは思わず顔を険しくしながら歩み寄った。

「何時だと思って・・、!」

文句を口にしようとしたが、彼から半ば投げる様に渡された大きな箱にナマエは思わず言葉を途切れさせた。

「・・何」
「開けてみろ」

そう短く問い掛けて彼を見つめても、彼から答えは得られない。そんな風間の楽しそうな顔に腹は立ったが、言われるがままにナマエはその箱を開けていった。

「これは、」

そして中身を見てナマエは思わず呟いた。一体誰の物か、と。そこには淡い色の綺麗なドレスが入っていたからだ。

そんなナマエに風間は馬鹿め、とでも言う様にため息を吐く。中身を見ても状況が分からず、ナマエは風間を見上げる。すると楽し気に口角がゆっくりと上って、更に訳が分からなくなった。

助けを求めようと天霧と不知火を見ても、二人も風間と同じ様に笑ってるだけだった。

「さあ、始めろ」

パチンと風間の指がなる。そしてその言葉に天霧と不知火はナマエの腕を掴んで着替え室へと押し込んだ。

「さっさと着ろ」
「は・・!?」

次が始まる、と言って有無を言わせない風間に、ナマエは言葉を掛けるタイミングを失った。

(何なんだ・・)

だがそう思いながらも渋々それを着て三人の前に出て行った。

「ふむ、やはりお前にはその色だな」

ナマエの姿を見て風間が満足気にそう言った。やたらぴったりなサイズに懸念を感じながら、ナマエは口を開く。

「だから、」
「さぁ、ナマエさんこちらへ」

だが説明を求めようと開いた口も、天霧に手を引かれ閉ざされた。

「失礼します」

椅子に座らされ、そう言って髪を梳かしセットしていく。目の前に鏡がない為見る事は出来ないが、その手つきは慣れた物だった。

「出来ました」
「どれどれ」

天霧の言葉に、不知火が真っ先にナマエの顔を覗いた。

「おー、様になってんじゃん」

不知火がそう言って笑った。それにも訳が分からなくて「はぁ、」と煮え切らない返事を返した。

天霧は髪だけでなく軽く化粧もしてくれた。本当は美容師か何かかと疑うほどの手つきに、ナマエは驚きを隠せなかった。

「見ろ」

そしてあれよと言う間にそれは終わった様で、それを見届けた風間がナマエの手を取って大きな鏡の前へとナマエを連れて行った。

「これが、私・・」

ナマエは思わす自分の姿に息を飲んだ。泡色のロングドレス、そしてハーフアップにされ、肩に流れた僅かな髪はふわふわと揺れている。そしてほんのりされた化粧。それはどれも初めてのもので、ナマエを驚かせた。

「お前はこの二ヶ月間良くやった」

そのご褒美だ、と風間は笑った。

「凄く、嬉しいです」

夢心地な気分だった。自分にこんな物を着こなせている自信はなかった。だけどこれらは幼い時に絵本で見た童話のお姫様を連想させた。自分には無縁の夢の世界。

「でも、こんなに綺麗にしてもらっても私には」

そこまで言ってナマエは顔を俯かせた。自分には、踊る人はいないから。

「!」
「愚かだな」

そんなナマエの顎を掴んで風間は視線を自分へと向けさせた。真っ直ぐな瞳がぶつかって、ナマエは視線を奪われる様にそのまま動きを止めた。

「欲しいものは奪え」

そう発した風間の言葉に、ナマエは僅かに目を見開いた。

「まぁ、お前にその必要はないと思うがな」

そう言ってフッと笑う風間の瞳を、ナマエは戸惑いながら見つめていた。

「走れ、求めている者の所へ」
「!」

お前にはそれで充分だ、と風間は不敵に笑う。そんな風間の言葉にナマエはハッとした。影しか見えていなかった瞳に、光が戻った気がした。

そんなナマエの瞳を見て、風間はスッとナマエの顎から手を離した。

「・・・」
「ふん、泣くほど嬉しいか」

黙ったまま俯くナマエに、風間はそう言って笑う。

「ならば感謝の抱擁を受けてやっても、!」

風間がそう言って両手を広げた途端、ナマエは飛び付く様に風間の首に抱き付いた。

「おっと、」
「これは」

そしてナマエは他の二人にも次々と抱き付いて、扉へと走って行った。

そんなナマエの姿を、三人は微笑みながら見つめていた。

「・・・」

ふとナマエが扉に手を掛けて、振り返った。

「ありがとう・・!」

そう満面の笑みを見せ、「行ってきます」と言ってナマエは部屋を出た。

「あーあ、勿体なかったんじゃねーの」

フッと笑いながら不知火が風間にそう言った。

「・・確かにな」

ナマエが消えた扉を眺めながら、風間はそう呟いた。その表情は、長年彼と共にいる二人が見た事もない程穏やかだった。





「はぁ、はぁ・・」

ナマエは走っていた。風間に言われた通り。そしてホールに着く手前に見知った姿たちを見つけた。

「皆、どうして・・」

そこには千鶴、平助、龍之介、子鈴、そして千の姿があった。まるで、彼女を待っていたかの様に。

「これ、」

千鶴はナマエにそう言って華の髪飾りを差し出した。それはドレスと同じ淡い色をした物だった。

「なんで、」

さっきから驚く事ばかりだ。髪飾りから視線を上げて顔を見れば、皆あの三人と同じ様に微笑んでいた。

(そっか、皆知ってたんだ)

ピッタリすぎるドレスも靴も、そしてこの髪飾りも、皆が自分の為に用意してくれた物。ナマエは無性に泣きたくなって俯いた。

「ごめんね、ナマエちゃん」
「千鶴・・」

黙ってて、と言う千鶴はそんなナマエに困った様に笑った。

「でも、こーゆーのはサプライズがいいだろ!」
「平助、」

平助はいつもの様にカラッとした人懐っこい笑顔を見せてそう言う。

「お前、原田にパーティー出れない、って言われて残念そうだったからな」
「龍、」

そんな顔してたか、と問い掛ければ、龍之介は もろな、とやっぱり笑った。

そんな龍之介の言葉に そっか、と小さく呟いた。きっと無意識にずっと感じていたんだ。今日の様な感情を。そう思うと自分の鈍さに思わず笑ってしまった。

でも皆は気付いてくれていた。それが何より嬉しくて仕方なかった。

「ナマエちゃん、ごめんなさい」

そして千がナマエにそう言って頭を下げた。

「成り行きとは言え、パートナーになっちゃって」

そんな千にナマエは首を横に振った。仕方のない事、それはナマエが一番理解していた。

そしてそんな彼女を見て思う、彼のパートナーが彼女で良かった、と。出なければきっと、彼はこの会場にすらいなかったかも知れない。

「ナマエちゃん、ジッとしててね」

ふと千鶴がそう言って、天霧にセットしてもらった髪に髪飾りを差し込んだ。

「可愛いです」

ナマエの髪に咲いた華を見て、子鈴が思わずそう声を上げた。

耳の後ろに付けられたそれに、ナマエは笑う。きっとこれも計算して髪をセットしてくれてあるのだと。そう思ったら全て計画の内、と言うことになる。

「皆、ありがとう」

ナマエが微笑めば、皆も微笑み返した。

「待ってるよ、沖田先輩」

千鶴の言葉にナマエは頷く。そして駆け出した。

「がんばれよー!」
「がんばって!ナマエちゃん!」

そんな皆の声を背中に受けて、ナマエの足は更に前へと進んだ。初めて履いたヒールの靴に上手く走れない。だけどそれでも、そっと、でも力強くホールへの廊下を駆け抜けて行った。

皆の声が、自分の背中を押してくれている気がしたから。

(早く・・!)

ナマエの胸は高まっていた。彼を想えば自然と笑みが零れた。言わなきゃ。いや、言いたい。伝えたい。この溢れ出しそうな気持ちを。ぶつけたい。だだ、貴方に。

『走れ、求めている者の所へ』

先ほど言われた風間の言葉が脳裏を過ぎった。

「言われなくても・・!」

その顔は彼と同じ様に不敵に笑っていた。

ナマエは通りすがる人の目を気にもせずに裾を持ち上げて走り続けた。ホールで待つ、彼の元へと。