「総司、」

部活中、いつかの様に斎藤は打ち合う一人の姿を見て隣の総司を呼んだ。

「ナマエは、一体どうしたのだ」

平助相手に試合をしているがその一振り一振りが荒々しく辺りを騒然とさせていた。

「・・機嫌が悪いんだよ」

そう言う彼もどうやら彼女と同じの様だ、と斎藤は心で思う。

ふと戦意喪失し崩れる平助を置き去りにしてナマエが二人に近づいて来た。そして面を取ったナマエの瞳に斎藤は驚きを隠せなかった。

「先輩、」

総司を見つめて一言だけナマエはそう言った。そして彼女が言おうとしている事が分かったかの様に総司は自身の横に立て掛けてあった竹刀を手に取った。

それを見てナマエは再び面を被ろうとする。だがその手を総司が止めた。

「僕らの試合に、それは必要ないでしょ」

そう言った総司にナマエは静かにその口元に笑みを浮かべた。

「総司、」

そう斎藤が困惑した様な声を上げた。それに総司は小さくごめんね、と呟く。

「土方先生には、黙っておいてよ」

面倒だからさ、と言う総司に斎藤はそれ以上何も言わなかった。そしてナマエは防具を全て外し総司と面と向かった。審判として斎藤が二人の間に立ち手を挙げる。

「・・・」

剣道とは本来両手で竹刀を持っていなければならないな競技だ。だが始めの合図を直前にしても、二人が構える素振りはない。

むしろ走り出さんとする気配すら感じて斎藤は眉を顰める。だが総司からの目配せに仕方なく息を吸い込んだ。

「始め!」

案の定、斎藤の予想通りその声と共に二人が走り出した。竹刀は片手で握られ剣道と呼ぶには荒々しい光景が広がっていた。

「っとに、君はバカなの・・かな!」

交わった竹刀を弾きながら総司は思わずそう声を漏らした。

ナマエが正式に生徒会に入る事になった。その紙を受け取った土方は目を見開き、ナマエの横に立つ総司に思わず目配せをした。

そんな土方の視線に気付いたのか、総司は深いため息を吐いた。

「本当に入る気なの」
「しつこい」

それはここ、職員室に来る前に何度も問われた言葉だった。

「あんな奴の言葉、無視していいと思うけど」
「生徒会に入れば、あいつを監視出来る」

ボコボコにも、ナマエはそう言って笑った。そんなナマエに総司は再びため息を吐いた。

そんな二人のやり取りを見ていた土方は思う。総司にこんな表情をさせる奴がいたのか、と。

そして生徒会からの申し出と、何より本人からの希望によってナマエは生徒会の一員となった。

「私が、千鶴にしてあげられる事なら何でもやる・・!」
「それがバカだって言ってるんだよ・・!」
「・・っ」

力強く打ち込まれた竹刀を受け止めてナマエは表情を歪める。

「っ、ゃああ!」
「!」

だがその総司の竹刀を力任せに弾き返した。

「・・何が、いけない」

そしてナマエはボソッと呟いた。

「女なのに、女のくせに」

どいつもこいつも、とナマエは呪文の様に言葉を零していく。それは単に風間だけの事を言っている様には聞こえなかった。

「・・っ」

バチン!と激しい音がして今度は総司が押し込まれた。総司は竹刀が重なる度に思う。あの細い腕のどこにこの力が潜んでいるのか、と。

きっと今のナマエの瞳に総司は見えていない。そこには遠い日の残像が映っているに過ぎなかった。

小中と剣道をして来た。元々才能が有ったのだろう。彼女はその実力を恐るべく速さで付けていった。

だがそれは、才能だけでそうなったのではない。朝起きる時間を一時間早くし、昼休みを返上し、夜寝る時間を惜しんで稽古した賜物であった。

だが苦だと思った事はない。なぜなら彼女が進んでそうしていたからだ。剣道を始めたその日から、彼女は剣道に囚われた。ナマエの頭は常に剣道の事しか頭になかった。

だからか、友達付き合いはほぼ皆無だった。自然とそんな時間は彼女になかったから。気付いた時には既に遅かった。

道場の皆も初めは讃えてもそれが妬みに変わるのは一瞬だった。更に対戦相手を怪我させてしまう事が続き練習相手すら彼女はなくした。

だから彼女の稽古と言えばもっぱら素振りと公園の木々たちへの打ち込みだった。

常に竹刀を持ち歩く彼女は恐れられやがて誰も近寄らなくなった。近寄らないだけならまだいい。

女の子なのに、女のくせに、そんな言葉を聞かない日はなかった。そんな忘れかけてた過去が今日の風間の一言によって蘇った。

何でもない振りをしていた。傷付いてなどいない。気にしてなどいない。強がりはただ自分を苦しめた。それでもその時はそうするしか自分を保つ術がなかった。

だから地元を離れた。自分を誰も知らない場所に行きたかった。なのにあの時は言えなかった、ぶつけられずに胸に残り続けていた柵が今、ナマエの中で暴れていた。

「初めて、出来たんだ」

ギリギリと音を立てて総司の竹刀を押し込んでいく。その狭間でナマエは声を震わせた。

「その友達を護って、何が悪い・・!」

彼女はただ不器用だった。ただ知らないだけだった。伝え方も、護り方も。

「!」

総司はスッと力を抜く。するとナマエの竹刀が総司の竹刀を滑った。力の受け口を失ってナマエは倒れる様に膝をついた。

「・・っ!」

そして背後に竹刀が振り下ろされる。それに瞬時に反応して膝をつきながら総司の竹刀を受け止めた。

「君のその護るは、自己満足に過ぎないんだよ」
「!」

竹刀を押し込む先に見た総司の瞳は冷たかった。

「でも、そんなのどうでもいいよ」

そう、総司からすればナマエの今考えている事なんてどうでも良かった。彼が苛立っている理由、それは他でもない彼女のあの発言だ。

『嫁でも家来でも、何でもなってやる』

彼女が発した言葉を彼女自身が理解していない。そしてそれを聞かされた総司の気持ちも。

「!」
「・・もう、その辺でいいだろう」

ふと、斎藤が総司の竹刀を掴んだ。気付けば周りには誰もいない。日はすっかり暮れようとしていた。

そんな斎藤に総司は荒く息をしたまま竹刀をゆっくりと下ろした。そしてナマエも肩で息をしながらその両手を床に付けた。

「大丈夫か」
「・・はい」

そっと差し出す斎藤の手をナマエは掴んで立ち上がる。

「・・っ」
「!」

ふとナマエがよろけて斎藤が抱き抱える様にナマエを支えた。

「・・僕が送ってくよ」

お隣さんだしね、と総司は半ば斎藤から奪う様にナマエの手を取った。

「おい総司!」

斎藤はその荒々しさに思わず声を上げるが二人はそのまま道場を後にしてしまった。