「・・・」
「でさ、土方先生ってば」

ナマエは隣にいる彼に違和感を感じていた。

(よく喋る)

帰り道、既に一緒帰るのが当たり前になりつつある今日この頃、この前の一件から彼が僅かに空けた距離にナマエは思わず顔を顰める。

昼休みにしろ帰り道にしろ、彼が自分に触れてくる事が目に見えて減った。それこそ別れ際に頭を撫でる程度に留まっている程だ。

特段変わった様子な訳ではないが、その余りの変化にナマエは動揺を隠せずにいた。

そしてそんな日が続いたある日の昼休み。いつも訪れる彼と一緒に、見慣れない人物がナマエの元へやって来た。

「彼女がナマエちゃんだよ、はじめくん」
「ああ、」

総司にはじめくんと呼ばれた人物はそう言ってナマエと面と向かう。少し癖のある髪を靡かせて、彼は真っ直ぐな瞳をナマエに向けた。

「二年の斎藤一だ、許可もなく突然訪れてすまない」

斎藤はナマエを前にしてニコリともしないが、年下にするには誠実過ぎる挨拶をした。

「いえ、沖田ナマエです」

そう言ってナマエも席を立って頭を下げた。

「・・・」
「・・・」

二人は何も言わず見つめ合う。お互いが何を思ってそうしていたかは定かではないが、傍でその様子を静観していた千鶴は思う。この二人はどこか似ている、と。

「ちょっとはじめくん、用があるんでしょ」
「・・ああ、すまない」

痺れを切らしてそう言う総司の言葉に、斎藤は僅かにハッとした様にそう言った。

「剣道部に入らないか」
「!」

直球な彼の言葉にナマエは思わず目を見開いた。

「お前は小中と県大会で数々の功績を残したと聞いた」
「・・・」

俯くナマエに気付かず、斎藤はそのまま言葉を繋げた。

「剣道部 部長の俺からすれば、是非とも入部してもらいたい」

そうすれば部の士気も高まる、と斎藤を言う。そんな斎藤の言葉にナマエはギュッと手の平を握り、そして立ち上がった。

「すみませんが、私はもう辞めました」

だからその話しは断る、そう言ってナマエは足早に教室を後にしようとする。

「それ程の腕がありながら、何故辞めた」

引き止める様に発した斎藤の言葉に、ナマエは足を止めた。

「・・つまらないからですよ」

そう怪訝そうに振り返って、それだけ言い残してナマエは遂に教室を去ってしまった。

そんな彼女の背中を総司はジッと見つめて、そして斎藤へ声を掛けた。

「はじめくん、竹刀二本借りてもいいかな」
「ああ・・だが、彼女はもう辞めたと」

そんな斎藤に総司は笑うだけだった。





「・・・」

ナマエはガチャっと屋上の扉を開けた。途端、外の空気がナマエの髪を舞い上がらせた。

「あれ、お前は」

ふと聞こえた声に視線を移す。

「あんた、同じクラスの」

確か、そう言って彼を見下ろす。

「井吹」

そう彼の名を呟いて、ナマエは目の前に広がるものを見つめていた。

「"龍之介ショップ"・・?」

堂々と掲げられたそれにナマエは思う。これはいいのか、と。

聞けば金が無さ過ぎてこうして小金を稼いでいるのだと言うから、自分は恵まれているのだとナマエは思う。

「井吹、」
「龍之介でいいよ」

俺もナマエって呼ぶし、と彼は言う。まぁ沖田って呼びたくないとか、そんな言葉が聞こえた気がしたが差して触れなかった。

「・・長い」
「そうか?」

ナマエの呟きに龍之介は初めて言われた、と首を傾げる。

「龍、でいい?」
「ま、別に何とでも呼べよ」

どーでもいいし、と彼はカラッとした笑顔を向けた。

「・・なんかあったのか?」

ふと一瞬の沈黙に龍之介がそう言って、ナマエは思わず目を見開く。

「・・なんで、」

そう思うのか、ナマエは問い掛ける。彼と話したのは初めてのはずだ。それなのになぜそんなことを聞くのか、ナマエは不思議だった。

「いや、まぁ何となくだな」

うん、と龍之介は頷く。ナマエは彼のその本能的な直感に感心した。

「この仕事、向いてる」

聞けば、龍之介ショップとは何でも屋の様なもので、雑用もすれば人の愚痴を聞いたり相談に乗ったりもするらしい。一瞬で自分の心を見透かした彼に、ぴったりな仕事だと思った。

そう言って一つ笑みを零せば、龍之介はへぇ、と言葉を漏らした。

「あんた、笑った顔可愛いんだな」
「!」

直球な龍之介の言葉にナマエは戸惑う。龍之介の言葉を通して、彼のそう言った声が頭に浮かんだから。

「・・っ」
「なんだ、照れてんのか」

意外と女子っぽいんだな、と真面目に言う龍之介に、ナマエは反論しようと顔を上げた。

「違、!」
「うわぁ!」

顔の横で何かが勢い良く振り下ろされる音がした。

「残念、当てるつもりだったのにな」
「お、沖田!危ないだろ!」

龍之介目掛けて勢い良く振り下ろされたもの、それは総司の手の中にある竹刀だった。

「何、ナマエちゃんを口説いてたの?」

そう問い掛ける総司の目は笑っていない。当たり損ねた竹刀を肩に担いで、総司は殺気を振り撒いた。

「んな訳あるか!こいつがなんか悩んでそうだったから」
「へぇ、弱みに付け込んだ訳ね」

だから違うって!と龍之介が悲痛の叫びを上げた。

「なんで」

ここに居るのか、とナマエは総司を見上げる。そんなナマエに総司は本来の目的を思い出したかの様に ああ、と呟いて、反対の手に持っていたもう一本の竹刀を差し出した。

「僕と、勝負しようか」
「・・・」

その言葉に、ナマエの目付きが変わった。そして思った。そう言えば彼も剣道をしているのだ、と。

「私はもう辞めた」

スッと立ち上がって屋上を後にしようとする。そんなナマエの背中に総司は声を上げた。

「君、最後に負けたのはいつ」
「・・覚えてない」

ふと問われた事に足を止めて、僅かに振り返って答えた。

「なら、僕が負かしてあげるよ」
「・・誰が、」

そんな口車に乗るのか、とナマエは冷ややかな目を総司に向けた。総司は思う、彼女のこんな瞳は初めてだと。

だからこそ知りたかった。彼女が剣道を辞めた理由を。

「じゃあ、君は僕に勝てるの」
「・・勝てる」

そう言うナマエに、総司は口角を上げた。

「なら、君が勝ったらもう剣道の話しはしない」

でも僕が勝ったら、総司がそこまで言った所でナマエは総司に近付き、その手の竹刀を奪って距離を取った。

「必要ない」
「言うね」

その可能性はないと言わんばかりに、ナマエは総司を見据える。

「井吹くん、審判してよ」
「な、なんで俺が」
「いいから」

総司の威圧的な言葉に、龍之介はぐっと言葉を飲み込む。

「ったく、審判なんてやった事ないっての」

ブツブツと呟きながらも、二人の間に移動する龍之介。そしてゆっくりと右手を上げた。

「始め!」

龍之介が言葉と共に右手を振り下ろす。瞬間、ナマエは走り出した。

「!」

それに総司は驚きながらも、目の前で振り下ろされる竹刀を自分の竹刀で受け止める。

「これは、剣道かな・・っ!」
「言ったでしょ。剣道は・・、辞めたって!」

総司の疑問にそう言って彼の竹刀を弾くナマエに、総司は笑みを深くした。

「ふーん、なら僕も、型にハマる必要はないよね」
「!」

後ずさったそこで、総司は綺麗に構えていた竹刀を無造作に持ち替える。それにナマエは驚きながらもその口角を上げた。

「な、何だよこれ」

目の前で繰り広げられるそれに、龍之介は確実に引いていた。それは最早礼儀作法から入る剣道とは程遠い打ち合い。ただの喧嘩と呼ぶには緊迫感のある手に汗握るものだった。

バシン、バシンと竹刀をが交わる音が屋上にひたすら響いた。

「思ってた以上だよ」
「先輩こそ」

それでも二人は笑っていた。それが龍之介を怯えさせる一番の原因だった事に二人は気付くはずもない。

そして勝負は意外にも呆気なく終わりを告げた。

「「 !! 」」

バシン、と重なった二つの竹刀。それが二人の間でミシッと違う音を立てた。

その瞬間真っ二つに折れる二本の竹刀の末、屋上には肩で息をした二人の息遣いだけが音として存在していた。

「え、と・・この場合、引き分けか?」

その沈黙を破ったのは他でもない龍之介だった。打ち合っている間、完全に空気だった彼の存在に、総司は 君、いたの。と薄情な言葉を告げた。

「・・どうして辞めたの」

龍之介の去った屋上で、フェンスに寄り掛かりながら総司はそっとナマエに問い掛けた。

「好きなんでしょ、剣道」

折れた竹刀を手放さない位、そんな総司の言葉にナマエはその手の物をギュッと握った。

きっと彼は分かっていたんだろう、だからこんな物を持ってここまで来た。そんな総司にナマエは諦めた様に空を見上げた。

「加減が難しい」
「確かに、一振り目があれは驚いたよ」

ナマエの言葉に総司は「あは」と笑った。

「私と戦う子は、多くが怪我をした」

酷い時はトラウマで剣道を辞めてしまう子もいた。そんな形で優勝しても、心から喜んでくれる人なんて誰もいなかった。それこそ喜んだのは優勝と言う栄誉が欲しい学校側くらいだった。

「・・両親が、哀しく笑うの」

色々な大会に言われるがままに出た。そして優勝して来た。だが誰も賞賛の声は上げない。そんなナマエに、両親が無理矢理繕った笑顔で言う"おめでとう"と。

「両親は優しいから、怪我をさせてしまった人たちにいつも謝罪に行ってた」

自分には秘密にしていたつもりだろうが、それがナマエにバレるのに時間は掛からなかった。

「だから辞めた。そんな事をさせてまで、続ける理由なんてないと思ったから」
「・・そっか」

総司はそれを聞いて思う。彼女の優しさは両親譲りか、と。

「所で、勝負の話しだけど」

コロッと話題を変えた総司の言葉に、ナマエは首を傾げる。

「無効でしょ」

竹刀が折れた試合なんて初めてだったが、恐らくそれが普通だろう、とナマエは言う。そんなナマエに「やだな」と総司は笑う。

「審判が言ってたでしょ、引き分けだって」

それは折れた竹刀を見て、龍之介が疑問系で言った言葉だ。

「だから、君は今日から剣道部だよ」
「な!?」

どうしたらそうなるのか、とナマエは思わず声を上げた。

「僕が言いかけたのを君が聞かなかったんでしょ」

つまり、最初から引き分けの場合は剣道部への入部が条件だったと総司は言う。

「でも、私は」
「見て」

俯くナマエに、総司は短くそう言う。そんな総司の言葉に顔を上げれば、両手を軽く広げて微笑む彼がいた。

「僕は、どこも怪我なんてしてないよ」
「!」

その言葉に、ナマエは思わずグッと手の平に力を込めた。

「部長のはじめくんも僕並みに強いし、平助だってそれなりだよ」

だから、大丈夫。そう言って総司はそっと、その項垂れた頭を撫でた。

「・・ばかっ」
「ありがとう」

そんなナマエの言葉に、総司は笑った。

「これで部活も一緒だね」
「!?」

ふと降って来た言葉に、ナマエは思わず顔を上げた。

「部活、入ってたんだ」

いつも一緒に帰っていたから、てっきり帰宅部だと思っていた。とナマエは呟く。

「宜しくね、ナマエちゃん」
「!」

総司はそう言って額にキスを落とした。

「っ、触るな」
「その反応、久々だね」

赤い顔を背けられて尚、総司は笑っていた。

「因みに、」

屋上からの階段を降りて行く最中、ナマエは思い出したかの様にそう口を開いた。

「先輩が勝った時の条件は」

後から降りて来るナマエの言葉に、総司は「ああ、」と悪戯な笑みを浮かべた。

「一ヶ月、絶対服従だよ」
「・・・」

そんな総司の言葉にナマエは明らさまに眉間にシワを寄せた。

「君が望むならやってあげてもいいけど」
「断る」

ナマエはそう冷たく言い切って、総司を追い越して行く。そんなナマエに総司は「だよね」と言葉を漏らした。

そして階段を降り切った所で、ナマエがふと足を止めて振り返る。そんなナマエに総司は首を傾げた。

「・・ありがと、先輩」

彼女は照れながらもそれだけ言って足早に教室へと戻って行ってしまった。

「・・本当、ズルいよね」

彼女のいなくなったそこで、総司は「はぁ」とため息を吐いて片手で顔を覆う。

「折角、我慢してるのにさ」

手の隙間から見えた彼の顔は、その手で隠せない程赤く染まっていた。