「お、沖田先輩、いますか!」

昼休みに入った直後、千鶴は意を決してその教室の扉を開けた。途端に刺さる視線に足が竦みそうになったが、彼女の決意は固かった。

「雪村?」

その珍しい来訪者に扉の近くにいた、同じく二年の斎藤が千鶴に声を掛けた。

そんな見知った顔に千鶴は僅かに安堵しながら、再び総司はいるか、と問い掛ける。

「総司なら」
「あれ、千鶴ちゃん」

何してるの、とその人物は何でも無い様な顔でそう問い掛ける。

「沖田先輩、お話があります・・!」

その物々しい雰囲気に、総司はニヤッと笑って教室を出た。それに続いて千鶴も総司の後を追う。

そして人気の無い廊下にて総司が足を止めた。

「で、話しって何かな」

告白とかじゃないよね、雰囲気的に。と総司はそれでも上げた口角を下ろす事はない。

それでも千鶴は手をギュッと握って、総司をキッと見つめながら大きく息を吸い込んだ。

「ナマエちゃんに、これ以上会わないで下さい」
「!」

千鶴から出た予想もしていなかった言葉に、総司はその笑みを瞬間的に変えた。

「どうして、君にそんな事言われなくちゃいけないのかな」

口元は笑っていても、目が笑っていない。そんな僅かに怒りを含んだ瞳と口調に、千鶴は足が震えた。

でも言わなければ。あんな彼女の横顔を、放って置くなんて自分には出来ない。例え彼に嫌われようとも、これだけは言わなければと思ってここに来た。

「ナマエちゃんを、これ以上傷付けないで!」
「!」

半ば叫ぶ様に力強く言った自分の言葉に、涙が出そうになった。

「・・聞きました。お二人は前世で恋人だった、って」
「・・そう、君に言ったんだね」

そう呟く総司の顔に、最早笑みはなかった。総司の言葉に千鶴は俯きながら言葉を告げる。昨日のナマエの横顔を思い浮かべながら。

「ナマエちゃんは、前世の彼女を自分に重ねられて、苦しんでる」
「・・・」

いや、彼女の気持ちと自分の気持ちとに困惑している様に千鶴には見えた。グッと胸が締め付けられた。彼女はどうしようもない想いと心に揺さぶられて、その瞳はまるで迷子の幼子の様だった。

「だから、沖田先輩が前世のナマエちゃんを求めているなら・・もう、!」

顔を上げれば既に背を向けた総司がいて、千鶴は慌てて声を上げた。

「沖田先輩!?どこへ、」
「・・決まってるでしょ」

ふと首だけ僅かに振り返って、総司はそう呟く。

「待って下さい!もうナマエちゃんには・・!」
「僕は、」

駆け出そうとした千鶴の言葉を遮って、総司は言葉を続けた。

「ナマエちゃんを前世の彼女として見た事なんて、一度もないよ」
「・・え?」

聞こえた言葉に千鶴は思わず足を止めた。そのまま呆然と去って行く背中を見つめていた。

「それって、」

千鶴はその後の言葉を自分の手で塞いだ。その顔は、驚く程赤く染まっていた。





「・・千鶴、遅い」

そして彼も。とナマエは心でぼやく。千鶴は昼休みの鐘が鳴ったと思ったら、険しい表情でお手洗いに行くと教室を出て行った。

そんな彼女に疑問を持たなかった訳ではなかったが、こちらの返事も待たずに出て行った彼女に掛ける言葉はなかった。

「お待たせ」

そして先に現れたのは総司だった。席に座ったままその声に振り返る。すると何処かいつもと違う彼の雰囲気に、ナマエは違和感を覚えた。

「さ、行こうか」
「でも、千鶴が」

手を引かれて思わずそう反論した。でも彼はナマエの顔を見る事なく、構わずにそのまま足を進める。

「千鶴ちゃんなら、直ぐ帰って来るよ」

何処か確信めいたその発言に疑問を抱きながらも、ナマエは手を引かれるままに総司の後に続いた。

「っ!」

そして空き教室に着いた途端、閉めた扉に押し付けられた。何事かと思ってその表情を伺えば、傷を負った様な彼の表情がそこにはあった。

「千鶴ちゃんに、怒られたよ」
「!」

まさか、とナマエは心で呟く。千鶴が先ほど教室を出て向かったのは、彼の元だったのだ。

「君を傷付けるなら、もう会うなってね」
「・・っ」

ナマエの脳裏には、昨日の千鶴が浮かんだ。自分の事の様に嘆き、怒りを露わにした彼女を。

彼女がこんな事を望んでする訳ない。それは彼女が一番嫌いな物の一つだと想像したから。

それでも彼女は、緊張しながら、震えながらも彼に食って掛かった。他でもないナマエの為に。

そんな姿が安易に想像出来て、申し訳なく思った。こんな嫌な役を、彼女にさせてしまったから。

「驚いたよ。千鶴ちゃんのあんな怒った顔、初めて見た」

それ程までに彼女はナマエの気持ちを感じたんだろう、と総司は思った。そしてそれを思わせたのは紛れもない自分で、思わず自嘲する。

「ごめん」

小さく囁かれた言葉に、ナマエは目を見開いた。彼の瞳を見つめれば、見た事もない真剣な瞳があってナマエは戸惑う。

「君が、前世の君を重ねられるのを嫌なのは知ってた」

それはナマエの家でナマエが呟いた言葉からしても明らかだった。

『私は、彼女じゃない・・っ!』

だけど同時に、前世の人物をチラつかせれば、彼女が自分を拒めない事に気付いてしまった。

「君は、優し過ぎるよ」

そう言って困った様に笑った。だから前世の彼女の想いを蔑ろに出来ず、自分を受け入れた。自分とは大違いだ。

「僕は、前世の僕の気持ちなんてどうでもいい」

だってそれは飽くまで彼の気持ちであって、自分の想いとは無関係のものだから。

それに左右される程優しくないし、感受性も高くない。

「なら、なんで」

当然の疑問だった、ナマエにとっては。そんなナマエの頬に触れて、総司は優しく笑った。

「君が、好きだからだよ」

前世の恋人だから、なんて気持ちは最初からない。そんなものを一瞬でも大事にした事なんてない。

前世の自分が聞いたら怒るかも知れない。だけど彼ならこういう気がした。僕らしいや、と。

「何、それ」

なら自分が抱えた苦しみや悩みは何だったのか、とナマエは思う。そう思ったら言われた言葉の甘さに浸るより早く、腹が立った。

「ふざけ、んな・・っ!」

思わず右ストレートが総司の顔目掛けて飛び出した。だけどそれすら簡単に受け止められてしまって、ナマエは顔を顰める。

「おかしいな。僕、今告白したはずなんだけど」
「・・っ」

くす、と笑う総司に思わず視線を逸らす。

「・・君の中に、まだ彼女はいるの?」
「!」

ふと、問い掛けられてハッとした。思えば入学式の日に見たきり、あの夢を見ていない。

なんでそんな事にも気付かなかったのか、と頭を抱えた。

"ありがとう"

ふとそんな声が脳裏に過ぎった。

それは桜の木の下で彼女たちを見た、最後の夢。抱き合った二人。そして涙を浮かべながらこちらを見つめる遠い昔の自分。

それは、そんな彼女の言葉だった。

「・・っ」
「君にこの学園で初めて会った時、二人の姿を見たよ」

それはきっとナマエが見たものと同じもので、ナマエは思わず俯いた。

「あの時、僕の中から彼が消えていった気がした」

そう、二人が出会った事によって、彼らはようやく再会した。そしてきっと約束を果たしたのだろう。

もう、一人にしないと言う約束を。

「どうして君が泣くの」
「・・っ」

優しく降る言葉に、ナマエは自分の腕を目元に当てた。止まれと強く思っても、流れ出したそれは止まってはくれなかった。

「言ったでしょ」

そう言って総司はナマエの頬に触れて、その腕をそっと退かした。

「君は、優しすぎ」

だからその優しさにつけ込みたくなる。その表情を、もっと歪ませたくなる。

「・・っ」

ほら、君は僕を拒まない。こんな汚れた感情を、唇に塗り付けてぶつけているのに。

でも、そこがまた自分を昂ぶらせるのだと総司は僅かに笑う。余りの自分の歪んだ感情に。

その日、二人の姿はいつまでもそこにあった。