「おはよう、ナマエちゃん」
「・・・」

朝一番、家の玄関を開けた先にいた人物を見てナマエは思う。私はまだ夢の中にいるのか、と。

一先ずバタン、と静かに玄関を閉め、もう一度我が家へ戻る。そこでナマエは思う。これがデジャブというやつか、と。

「ひどいな、人の顔見て何も言わずに閉めるなんて」

傷付くよ、とやはり毛ほどもそんな風に思わせない表情で言う彼を背に戸締りをする。そして心で思った。

(幻覚か)

ナマエは一種の現実逃避に走った。そうだ、なら幻覚に挨拶をするのもおかしな話だとそのまま階段を降りて行く。

「今日は髪が湿ってるね」
「!」

ふと幻覚が髪を掬って顔を近づける。

「いい匂いだね」

その余りにも近い距離に、やはりナマエは駆け出した。

「ねぇ、なんのシャンプー使ってるのかな」

それなりの速さで走っているにも関わらず、難なく追い付いてそう問い掛ける総司にナマエは目を見開く。

「・・ラッ◯ス」
「やっぱり、僕と同じだと思ったんだよね」

分かってたなら何で聞いたんだ、と思いながらその足を更に早める。

「まだ速くなるの?本当君、面白いね」

横でシャッター音がして、ナマエは思わず持っていた鞄を振り上げた。

「あはは、残念」
「・・チッ」

それすらもひらりとかわされ、ナマエは思わず舌打ちをする。

「・・ナマエ?」

朝から机にひれ伏すナマエに平助と千鶴は心配そうに顔を覗き込む。

入学二日目から一週間と少し、そんな二人の毎日の爆走劇は既に学園の噂になっていた。

「お水でも飲む・・?」

千鶴がそう言ってペットボトルを差し出す。それにナマエは僅かに顔を上げて受け取った。

「・・ありがと」
「いいえ」

そんなナマエの返答に千鶴は微笑んでそう言った。

「でも凄いよな、あの総司が遅刻してないなんて」

ふと平助の言葉が引っ掛かった。入学式当日も彼は既に総司を知っていた様だったが、その口ぶりはもう既に何年もの付き合いの様に感じられた。

「平助たちはあいつと知り合いなの」

最早ナマエに総司に対する先輩などと言う敬う精神は払拭されていた。

「ああ、俺たち剣道の教室が同じだったんだ」

だから部活も剣道に入ると豪語する平助を他所に、ナマエはその言葉に眉間にシワを寄せた。

「剣道、」
「ああ!面白いんだぜ、ナマエもやるか?」

そんな平助の言葉にナマエは思わず立ち上がる。

「ナマエ?」
「・・やらない」

それだけ言ってナマエは席を立った。突然物々しい雰囲気になったナマエに、平助と千鶴は思わず顔を見合わせた。

「・・・」

トイレの手洗い場にて、ナマエは流れる水を見つめていた。ふと手のひらを見つめて、ギュッと握る。

「もう、辞めたんだ」

何かを振り切る様に呟いて、水を止めた。顔を上げれば鏡に映る自分がいて、思わず自嘲の笑みを浮かべた。

「・・そう、決めたでしょ」

鏡に手を置いて、まるで自分自身を諭している様だった。

「ねぇナマエちゃん」

今日も朝から二人は爆走中である。

「今週の土曜日空いてる?」
「空いてない」
「じゃあ昼前に迎えに行くよ」
「来るな」

涼しい顔をして二人は走って行くが、それを目で追えた者は一人もいない。

「デート、楽しみだね」

会話になっていない事など彼にはどうでもいい様だった。

そして土曜日。ナマエは目の前の人物に、これでもかと言う程怪訝そうな顔を見せた。

「それ君の私服?まぁ君らしいね」

7分のカットソーにショートパンツ、腰にはシャツを巻いたシンプルな服装に総司はそう呟いた。

まさか本当に来るとは、ナマエは内心驚いていた。自分も日用品の買い出しをしに行くのに準備をしていた所、インターホンが鳴ったと思ったらこれだ。


「私は行くとは」
「ほら、早く」
「!」

時間が勿体無いと、総司はナマエの手を引いた。咄嗟に玄関に置いてあった鞄を取り、片手で戸締りをした。

「・・・」
「どこに行こうか」

笑顔でそう言う総司にナマエは戸惑う。何故なら掴まれた右手がそのままだからだ。

「だから」
「うーん、お腹も減ったしまずはお昼かな」
「っ!」

人の話しも聞かずに駆け出す総司に、ナマエは掛ける言葉を失う。

(・・私、何してるんだろう)

ファーストフード店にて、席に付いて総司を待つ。何を食べるか聞かれて思わず答えてしまったが為に、一人待たされている状況だ。

「お待たせ」

そう言ってトレーに二人分のハンバーガーのセットを乗せて総司が向かいの椅子に座る。

「・・ありがとう」
「いいえ」

ナマエの言葉に総司は上機嫌そうに微笑んだ。そんな彼を直視出来ず、買ってもらったハンバーガーを頬張る。

「付いてるよ」
「!」

ふと総司の手が伸びて来て、口元に指が触れる。咄嗟に腕で口元を隠すが、総司は何でもない様にその指に付いたソースを舐め取った。

「・・っ」

ナマエは視線を逸らして、いつかの千鶴の言葉を思い浮かべた。

「女の扱いに慣れ過ぎ」

だから他校からも人気があるのだと解釈した。こんな事をされて、きっと喜ばない子はいないのだろう、と。

「初めてだよ」

そんなナマエの言葉に総司は飲み物を飲みながらそう言った。ナマエは何の事かと首を傾げる。

「こうして、女の子とデートするの」
「!」

思わず目を見開いた。これは嘘か誠か、見抜く術はナマエにはない。

「疑ってるでしょ」
「・・勿論」

頬杖を付いてナマエを見つめる総司に、ナマエはハッキリとそう返す。それに総司は笑って、素直だね、と呟いた。

「でも本当だよ、他の女の子なんて興味ないからね」
「・・・」

そんな総司の言葉にナマエは聞いてはいけない事を聞いてしまった気がした。

「なーに、その顔。言っておくけど、僕が好きなのは女の子だからね」

どうやら彼にその気はないらしい。一瞬にして抱いた警戒心は直ぐに解かれた。そんなナマエに総司は思わず 鈍いな、と心で呟く。

そして食事を終えてファーストフード店を出て直ぐ、総司が左手を差し出した。何かと思って見つめれば、自分の右手をまた掴まれた。

「デートなんだから、こうしなくちゃね」
「・・・」

そう言うものなのか?と疑問に思ったが、そう言った類いの知識は皆無で、成すがままにされた。

「さあ、どこに行こうか」

まだ一日は始まったばかりだった。