「だから、もう一度約束する」
霞みがかった景色の中で、見上げた先にいる人物は哀しさを秘めながら笑っていた。
「君を、一人にしないって」
頬を撫でる手が優しくて、無性に切なくて・・とても愛おしかった。
「−−・・また」
目覚ましよりも先に目が覚めた。いつもの事だ。母から誕生日にもらった目覚まし時計がその音を鳴らした事は一度もない。
体を起こしてその時刻を確認する。6時を少し過ぎたその針に、髪を掻き上げる。
「お風呂」
小さく呟いてその重い身体を起こした。
「っ、」
カーテンを開ければ朝の日差しが思った以上に眩しくて目を細める。
いつからだったか、あの夢を見る様になったのは。そんな昔の事じゃない。
そう、あれは中学の進路を考えていた時だ。家を出る事を既に決めていた私は、実家から離れた一つの共学になったばかりの高校に目星を付けていた。
共学になったばかりだからか、倍率も高くなく自分の成績なら面倒なテストを受けずとも入れそうな偏差値だった。
親の反対は覚悟していたが、どうしてもそこに入りたいと言えば思った以上にすんなりと承諾を得た。
そしてこの春から一人暮らし。私を誰も知らない土地での暮らしに少しほっとした。
「・・・」
お風呂に入り真新しい制服に身を包む。鏡でその姿を確認して、乾かしたばかりの髪が目に入った。
(まぁ、いいか)
いつもは結んでいた髪をそのままで鞄を手に取る。それを咎める母もこの家にはいない。いや、咎められた事はない。だけどキチンとしなければ、と取り繕う必要が今はない。
それだけでも僅かに足取りは軽かった。
「・・早く着き過ぎた」
在校生すら疎らなこの時間帯。新入生である彼女には早過ぎる到着だった。
教室どころか何組かもまだ分からない。式場である体育館は未だ最終の準備をしている様だった。
(仕方ない)
そう心で呟いて人気のない場所を探して歩いた。
「!」
ふと、ひとひらの花びらが目の前を通り過ぎた。それが来たであろう方向を見つめれば、一本の桜の木。
大きくはないが、花は満開。気付いたら近くまで歩み寄っていた。
「・・綺麗」
見上げて一言呟いた。はらはらと疎らに散るその姿に、脳裏に夢の人物がチラついた。
(私は、知らない)
あの人物も、あの約束も。なのに泣きたくなるから嫌になる。
あの笑顔はきっと私に向けられたものじゃないはずなのに、そう思うと余計辛かった。
(ここで時間を潰そう)
来た場所から見えない様に桜の裏側に腰を掛けた。伸びた木々と花びらが木陰を作り、静かな時が流れた。
(眠い、かも)
予定より朝早く起きたからか、はたまたその陽気からか、腰掛けた途端眠気が彼女を襲った。
(少し・・だけ)
そしてゆっくりと目を閉じれば、意識を手放すのに時間は掛からなかった。
◇
「本当入学式なんて、面倒だな」
日和に暖かさを増していく今日。もう既に慣れ親しんだ校舎の渡り廊下に彼はいた。
携帯を片手に、既に体育館から聞こえるマイクの音に気怠げに言葉を零す。
「・・あれ」
ふと渡り廊下から視線を中庭に向ける。そこには満開の桜の木。風に乗ってひとひらの花びらがその存在を彼にも伝えた。
「あんな所に桜なんてあったかな」
首を傾げてその桜を見つめる。すると、一瞬そこから光を感じた。
何かと思い近づけば、枝に引っかかる様に流れる古い髪留め。着物を着る時などに用いるであろうそれは、翡翠と白の二本の紐で先端には金色の装飾が付いている。
恐らく太陽の光に反射してこれが光ったのだろう、と彼は思った。そしてそれを手にした瞬間、ハッとした。
「まさか、これ」
そう、それに見覚えがあった。いや、実際に見るのは初めてだ。だけど知っている。だってこれは
「!」
カサッと木の裏から音がして肩を揺らす。見れば寄り掛かる後ろ姿が僅かに見えて、彼の胸は大きく音を立てた。
だって僅かな後ろ姿だって見間違うはずない。それはずっとずっと、探していた姿だったから。
「また会えたね」
優しい風が吹いて彼女の髪を靡かせる。その横顔を覗き込めば、規則正しい寝息を立てていた。
「−−ナマエ、」
「・・ん」
ゆっくりとその瞼が開かれていく。
(誰・・?)
呼ばれた気がして僅かに目を開いた。そこには夢の中の人物の姿があって、ナマエは思う。
(また、あの夢か)
そう思ってまた目を閉じた。そこは白い光に包まれていた。その中に二つの影が浮かび上がる。
(あれは・・私?)
夢で見ていた人物と抱き合う自分に良く似た、自分ではない人物。見慣れない格好の二人の腰には刀が刺さっていた。
いつもと違う夢にナマエはただじっとその二人の姿を見つめていた。
" "
ふとこちらを見た私が、何かを言った気がした。
「・・君、ねえってば」
「っ、」
耳に聞こえた声にナマエは目を開けた。眩しさに一瞬目を細めて、はっきりと景色がその目に映る。
「!」
「君、新入生でしょ」
入学式、始まってるよ。と目の前の人物は口元に笑顔を見せた。
「夢?」
「・・まだ寝ぼけてるのかな」
首を傾げるナマエに目の前の彼はため息を一つ吐く。そんな彼にナマエは目を見開いた。
(夢じゃ、ない)
それもそうだ。その目の前の人物は、夢に出て来ていたその人に似ていたから。似ている、と言っても服装とか、見つめる瞳だとか、そんな僅かな違いしか分からないほど彼はあの人物に良く似ていた。
「君、名前は」
その言葉にハッとした。いつまでも夢見心地でいる訳にはいかなかったから。
「・・ナマエ、沖田ナマエ」
そんなナマエの言葉にその人物は へぇ、と笑った。
「奇遇だね」
そう言う彼の言葉にナマエは首を傾げる。何が奇遇なのか、と。
「僕は総司、沖田総司だよ」
宜しくね、ナマエちゃん。なんて笑顔にナマエは頷く。
それが僕らの、初めまして。そしてここ薄桜学園での、ナマエの最初の出会いだった。