土方と千鶴と別れて直ぐ、会津が見渡せる丘に出た。夜更けとあってそこから見た町は思っていた以上に静かだった。
「・・私、局長に初めて会った時」
ふと星空の下でナマエが口を開いた。その横顔を総司はそっと見つめる。
それはもう遠くに置き去りにした記憶を呼び起こしている様だった。
「同情好きの善人主義だと思った」
押し付けがましいそれに酔いしれて、自己満足に溺れる人間。どこにでもいる偽善者。ナマエの近藤に対する第一印象はそんなものだった。
「だって喋れないだけで『苦労しただろう、俺たちの事は家族だと思ってくれ』なんて」
普通言える言葉じゃない。見ず知らずのその日に会った人間に、家族だなんて。
「でもあの言葉こそ、局長なんだと思う」
きっと心の底からそう言ってくれたのだと、今なら思えた。自分を見つめる暖かな眼差し、風邪を引いた時にくれた金平糖。
何故あの人の元にあれだけの人たちが集ったのか、偏にあの人の人柄がそうさせたのだろう。
「年の離れた、兄の様だった・・気がする」
兄妹と言う概念が分からない。でも想像は少し出来た。そしたら近藤の顔が浮かんだ。
「知った人を亡くす事が、こんな辛いと思わなかった」
ギュッと胸の前で手を握った。そこに一粒の涙が溢れて、色んな記憶が頭を過ぎった。
それは新選組で過ごした何でもない日々で、でもそれはナマエの全てだった。
「・・僕にとっても、近藤さんは兄みたいな存在だったよ」
言葉を詰まらせたナマエに続いて、総司が町を見下ろしながら口を開いた。
「ただ、近藤さんの役に立ちたかった。だから君の監視役も受け入れた」
総司はそう言ってフッと一つ笑みを浮かべた。やはり総司も遠い過去を見ている様で、哀しくても胸の奥が暖かかった。
「家族、か」
ふと総司が呟いてナマエへと身体を向けた。
「君にあげようかな」
ナマエの頬に流れる涙をそっと拭って、総司は優しく笑う。そんな瞳をナマエはじっと見つめていた。
「僕と、同じ苗字にしようか」
「!」
「って、君に苗字はなかったね」
目を見開くナマエをお構い無しに、総司は言葉を続けた。
「僕と、夫婦になってくれる?」
「・・っ」
ナマエは別の涙で頬を濡らした。そして一つ大きく頷いた。
「良かった」
そう言って総司はナマエの頬に触れて抱き寄せた。
「これで君は、永遠に僕のものだ」
すっと唇を寄せて、その影が一つになる。そして僅かに唇が離れた合間にナマエが口を開いた。
「・・なら、貴方は私のもの」
同じ様に総司の頬に触れて、涙の溢れそうな瞳でそう言って笑った。
「そうだね」
ふふ、と笑って再び口付けを交わした。
誰がこんな二人を想像出来ただろうか。顔を合わせれば言い合って、殺すだと斬るだの物騒な言葉が飛び交っていた。
時にはやり場のない感情をぶつけ合い、刀を交えた事もある。でもそんな強がりも弱さも、何故かお互い見せ合う事が出来た。
それはお互いがどこかで似ていると思っていたからかも知れない。斬る事しか出来ないのも、弱い所を見せられないのも、共にいるとどこか安心するのも。
惹かれ合うのに理由なんていらなかった。それはこの二人だけに言えた事じゃない。誰かと共にいたいと思ったその時、もうきっとそれは始まっている。
どこにでもある有り触れた愛。それが二人の間にある奇跡に涙が溢れた。
「君は今から、沖田ナマエだよ」
誰の承認も見届け人もいない。書面に書く事も儀式だって出来やしない。でもそれでもいい。ここにこの想いがあるのなら。
「ありがとう、総司」
ナマエはその翡翠色の瞳を見つめて微笑んだ。
彼には沢山のものをもらったとナマエは思う。それこそ、この両手で抱え切れないほど沢山のものを。
だけど自分は与えられるばかりで何も返せていない。それが悔しい、とナマエは少し俯いた。
そんなナマエに総司は笑って顔を上げさせた。馬鹿だよ、君は。なんて言葉を呟いて、総司はナマエの額に自分のそれを重ねた。
「君がいなかったら、僕は本当にただ人を斬る事しか出来ない人間だった」
それこそ近藤を救えなかった土方をあの場で切り捨てたか、近藤を失った哀しみに明け暮れて刀を振るい、虚しく消えて逝っていたかも知れない。
でもあの時、土方に掴み掛かった時にナマエに抱き締められてハッとした。分かってた。あの人が何もせずに近藤の処刑を待つはずが無い、と。
命令を断ったのは僅かな悪足掻き。でも自分と土方の関係性なんてあの位が丁度いいと、総司は思う。
「僕だって、君から色んなものをもらったよ」
自分が近藤以外にこんなに執着するなんて夢にも思わなかった。
「こんな世界もあるんだと思った」
自分の見てる景色にナマエがいる。それだけで充分だなんて言葉、他の皆には聞かせられない。
でも君には言える。それが不思議で仕方ない。
「近藤さんが、人を信じる事を教えてくれた」
そして、と総司は言葉を続ける。
「君がこの感情を教えてくれた。愛しいも、触れたいも全部」
だからありがとう、総司のそんな言葉にナマエは目を瞑った。出なければ、止めどなく涙が溢れてしまいそうだったから。
「目を開けて、ナマエ」
「・・っ」
優しく促されてそっと目を開けた。
「僕はまだ、君を感じていたいんだから」
そこには全てを受け入れ全てを包み込む優しい瞳と、二人を照らす下弦の月が見えた。