次の日、もう時期日が暮れる頃、総司は目を開ける。すると自分の腕の中で眠るナマエの寝顔が間近にあって、頬を緩めた。

例え世界が終わろうとも、この身体は離さずにいたいと願う。

きっとそれは自分の我が儘だとしても、君が例え僕を拒んだとしても、きっともう離してあげられない。この心がある限り。

「−−・・・」

顔に掛かる髪を避ければ、それに反応してその瞳がゆっくりと開かれた。

「おはよう」
「・・うん」

そう小さく返事をして胸に顔を埋めてしまった。

「ナマエ?」

見えなくなった表情に問い掛ければ、代わりに寝息が聞こえて来て総司はその小さな身体をギュッと抱き締めた。

「可愛いな、もう」

そっと髪を撫でて口付けをした。

「!」

だがその途端、ナマエが勢いよく起き上がる。総司は何事かと目を瞬かせた。

「足音」

小さくそう言ってナマエは立ち上がる。干してあった上着だけ肩から掛けて祠から顔を出した。

「ナマエ、」
「!」

そんなナマエの頭にポンと総司の手の平が乗る。振り返れば呆れた顔があってナマエは首を傾げる。

「君、その格好で出る気?」

なら襲われても文句は言えないね、と言われても尚、上着一枚のナマエは平然としていた。

「別にどうでも」
「僕はよくない」

だから、そう言って服を一式渡され、ナマエは淡々と着替えていく。

「で、何が来るの」

自身も着替えを終えて二人で祠から外の様子を伺う。するとぞろぞろと数十人規模の隊列が二人の視界に入った。

「昨日の嗅覚といい、君の感覚はどうなってるの」

そんな列を見ながら総司はそう呟く。元殺し屋は伊達じゃないらしい。

「敵かな」
「分からない」

声を殺して二人で様子を伺う。方向的に目的地から遠ざかる様に進軍して行く。新選組隊士の洋装姿に似てはいるが確証は持てなかった。

「!」
「あれって」

そしてその隊列の中に二人は見知った姿を見つけた。

「千鶴!」
「!」

ナマエは思わず声を上げて祠から駆け出した。呼ばれた千鶴もナマエの声に反応し、辺りをキョロキョロと見回した後に二人の姿を見つけ、駆け出した。

「ナマエちゃん!沖田さん!」

お互いを目の前にして、二人で手をギュッと握った。

「ナマエちゃん、良かった。本当に・・っ」

握る手に力を込めて、千鶴は目に涙を浮かべた。

「私があの時、ナマエちゃんをちゃんと引き止めてればって・・っ」
「千鶴・・」

千鶴の、新選組の皆が見たナマエの最後の姿は余りにも悲惨だった。千鶴はあの時の事を後悔していた。闇雲に刀を振るうナマエを、どうして止められなかったのか、と。

「でも、本当に良かった」

千鶴は涙を零しながらもそう言って笑った。そしてナマエの横に遅れて来た総司が並んだ。

「私、信じてました。沖田さんならナマエちゃんを目覚めさせてくれるって」
「大概、君も土方さんに似て来たのかな」

人使いの荒さがね、と呟く総司に千鶴は何の事かと首を傾げた。

「おい、千鶴!何が」

そして列の中から声がして、その人物は目の前の光景に目を見開いた。

「お前ら、何でこんな所に」

そう呟いて三人の所へと歩み寄る。

「久しいですね、土方さん」

総司はそう言って口元だけ笑い、ナマエは丁寧に頭を下げた。

「総司、それにナマエ。島田から目覚めたとは聞いたが・・もう大丈夫なのか」

土方の言葉にナマエは無言で頷いた。あの時僅かな意識の中で土方の声が響いていた。

結果的には命令違反の末の怪我。きっと迷惑を掛けてしまったと、ナマエは思っていた。

「すみません、副長。あの時私が命令を」
「馬鹿野郎」

ナマエの言葉を遮って土方が言葉を発した。でもその声は余りにも優しく、ナマエは俯いていた顔を上げた。

「お前らの命令違反なんざ今に始まった事じゃねぇんだよ」

そう言って土方は深いため息を吐いた。

「二人とも単独行動するは私闘はするは、俺の忠告なんて聞いた試しがねぇ」
「そんな事もありましたっけ」

土方の苦労を総司は当人で有るにも関わらず笑って流す。そんな総司に一際大きなため息を吐いて、ナマエに視線を変えた。

「兎も角、あの時はお前のおかげで多くの隊士が死なずに済んだ。ありがとな」
「・・っ」

土方の言葉にナマエは服の裾をギュッと握った。色んな思いやあの時の心境、感情が押し寄せて来たからだ。

でも結果的に土方に礼を言われ、自分のした事が迷惑ではなかった事が嬉しかった。改めて受け入れられた様な、認められた様な、はたまた許された様な、そんな気持ちにその言葉はさせた。

「お前は、お前たちは充分戦った」

土方がそう呟く頃、辺りは暗くなり静けさが夜と共に訪れていた。

「だからお前達はどこかに隠れて暮らせ」
「!」

そんな土方の真剣な言葉と表情に、総司とナマエは目を見開いた。

「何言ってるんですか、近藤さんを助けに行くんでしょ」
「・・・」

総司の言葉に土方は面持ちを崩さずに、真っ直ぐ総司を見つめていた。

「近藤さんは、先日斬首の刑にあった」
「・・っ!!」

土方の言葉に総司は思わず土方に掴みかかった。ナマエは言葉を失い、俯いたその肩を千鶴がギュッと握った。

「あんたなら、土方さんなら助けられたはずだ・・!」
「どうにも出来なかったんだよ・・!」

二人の悲痛な叫びが響いた。胸倉を掴み合いながら、やり場のない痛みをお互いにぶつけた。

「それでも僕は、近藤さんに死んで欲しくなかった・・っ!」
「・・っ」

総司の震えた声に、ナマエは思わず二人の間に入った。ギュッとその身体を抱いて、その肩に顔を埋めた。

「ナマエ・・っ」

啜り泣く声が僅かに聞こえて、総司もギュッと抱き締め返した。一筋の涙がその頬を伝った。

「・・土方さん達は、これから何処へ行くんです」

ふと総司がそう言って顔を上げた。

「俺達は函館へ向かう。会津には斎藤が残って戦ってくれてる」

そんな土方の言葉に総司はフッと鼻を鳴らした。

「はじめくん捨て駒にして、逃げるんですか」
「違います沖田さん!土方さんは」

千鶴がそこまで言って、土方の手がその先を遮る様に伸びる。

「さっきも言ったが、お前たちは」
「嫌ですよ」

土方の言葉を遮って、総司はそう言って土方に背を向けた。

「僕は近藤さんの命令以外聞きませんから」
「おい、総司!」

そして歩き出してしまった総司に土方は頭を掻き毟る。

「おい、ナマエ。お前から」
「すみません、副長」

間髪入れずに答えるナマエに土方は目を見開く。そして盛大にため息を吐いた。

「本当、お前らは」

だがその表情は穏やかだった。そんな土方にナマエも千鶴も微笑んだ。

「もう、穏やかな時間は過ごさせてもらいました。だから今度は、今度こそは」

そう強い決意でここまで来た。ナマエも、そして総司も。そう真っ直ぐに言うナマエに、土方も二人の決意を感じた様に そうか、と呟いて表情を引き締めた。

「だが拾った命、無駄にする事は許さねぇぞ」

それこそ切腹だ、と言う土方にナマエは背筋を伸ばした。

「はい」
「おう、肝に命じておけ」

そう言って笑った。

「ナマエ、お前に俺が命令した事覚えてるか」

それは風邪を引いた時の事だ。無理はするな、彼は一言そう言った事をナマエは脳裏に蘇らせて一つ頷く。

「それだけは護れ、いいな」

再びナマエが頷いたのを確認して、土方はナマエに背を向ける。

「・・あと、総司を頼む」

それは、心の底から出た様な言葉だった。命令ではなく、土方個人の願いの様に聞こえた。僅かに首だけ振り返り発せられたその言葉を、ナマエは身体に叩き込む様にその手をギュッと握った。

「・・はい」
「気をつけろよ」

まぁお前らなら無用な心配か、と フッと笑って皆の所へと土方は消えて行った。

「ナマエちゃん・・」

ふと心配そうに千鶴がナマエの名を呼んだ。そんな千鶴にナマエは微笑んで手を握った。

「ありがとう千鶴」

何かを悟った様に千鶴は握られた手を握り返して、涙を堪えた。

「私たち、友達・・だよね」
「・・もちろんっ!」

俯きながらも力強く頷く千鶴に、ナマエはもう一度ありがとう、と返した。

「副長をお願い」
「あ、ナマエちゃん・・!」

そう言って先で待つ総司の元に行こうとするナマエに、千鶴は声を上げた。

「また・・また、会おうね!」
「!」

ナマエはその言葉に振り返って、笑顔だけを返した。きっと、その約束は護れそうにないから。

「ナマエちゃん・・っ」

千鶴は二人並ぶ影が、夜の闇に消えるまでそこで祈っていた。

どうか 二人に幸せを、と。